「うむ、では……」


 一人残らず立った部員たちの視線を受けながら、そして照治は大声で号令を掛ける。


「他の者と重複しても構わん! 厳密性もそれほど重視しない! とにかく各員思いつく限り、物理法則を確認しろ! 可能ならば物理定数もだ!」


「うぃっす」「了解っす」「よおっしゃ!」……部員たちは各々、ばらばらだが意思だけは揃った返事をし、ガレージの中・外問わず散らばっていく。


「なに? なにが始まったの?」

「咲、ちょっと手伝ってくれ」

「え? いいけど……? お兄ちゃんこれ、皆さんなにを……」

「やってから説明した方がいいかもな。スマホ出して、ストップウォッチ機能起動してくれ。時計アプリの中に入ってるから」


 困惑したままの咲だが、言われた通りオレンジのケースに入った自分のスマートフォンを取り出し、操作する。


「……ええっと、あーストップウォッチだ、こんな機能あったんだ……なにするの?」

「ちょっと待っててな。ええっと……なるべく空気抵抗を受けないようなもの……これでいいや。高さは……1メートルだとちょっと短いか」


 部室端のラックから適当な鋼球と一緒に持ち出したメジャーを、床から胸元あたりまで伸ばす。長さはぴったり、1メートル半。


「咲、これから俺がこの玉っころを合図と同時に落とすから、床に着くまでの時間を計ってくれ。テニスで鍛えたお前の反射神経に期待している」

「え、わ、わかった! よくわかんないけどわかった!」


 状況を把握していないながらもしっかり頷いた咲は、気持ち中腰になってこちらへじっと見る姿勢へ。


「いつでもいいよ!」

「よおし。……ああ、一応もう少し離れてくれ。もうちょっと、うん、そこでいい。じゃあいくぞ、3、2、1、ほいっ」

「……はいっ! 0.56秒です!」

「さんきゅ、0.56秒ってことは……」


 甲高い音を立てて床に転がった金属球を拾いながら、自分のツナギの胸ポケットから関数電卓を取り出す。スマートフォンにも関数機能のある電卓は入っているが、物理ボタンを備えたこれに使い勝手では敵わないのだ。


「gの式に直して値を入れて…………9.57かー」

「何が9.57なの?」

「重力加速度」


 落下する距離と落下までの時間がわかっていれば、重力加速度はその場で求める事が出来る。


「肉眼手動の測定誤差がどう影響したかはわからないとは言え……地球とそんなに違わないと見るべきか? ああ、咲、重力加速度は」

「わかります! ……たぶん! 重力、の、つよ、さ?」

「合ってる合ってる、そんな感じ」


 厳密に言えば、物体が落下距離に対し重力によってどれくらいの加速を得るか、という表現になるだろうが、日常からそういう細かいところを突くのは理系の悪い癖だと思うので、一応気をつけている幹人である。


「それが地球とあんまり変わんないの? たしかに身体かるーい! とかおもーい! とかも別に思わないよね……」

「そうだな。咲、もうちょっと付き合ってくれ」

「わかった!」


 壁に立てかけてあった脚立も使いつつ、最終的に一旦外に出てガレージの屋根にまで上って、出来る範囲で落下時間を測定。それぞれ同じように重力加速度を算出していく。

 測定精度が低いとどうにもならない実験であり、本来は肉眼手動でやるべきではないのだろうが仕方ない。本人にも言った通り、なかなか反射神経の鋭い妹の活躍に期待だ。


「……うーん、どこでも大体同じくらいだな。細かい増減はあるけど、誤差以上の意味を持つものにも思えない。……この世界でも、少なくとも自由落下では等加速度運動になるんだな。それはある程度確認できたと言えそうだ」


「お兄ちゃん、日本語でお願いします」

「物の落ち方は、俺たちの世界とこの世界の間で大きな違いはないかもって事」

「あ、そういうこと。なるほど…………ていうか、なんでそんなことわざわざ確認したの? 普通に変わらないものなんじゃないの?」

「変わらないなら変わらないで良いんだ、変わらないという事を確認出来れば。当たり前に思える事を確認するのは大事だよ、たとえば……」


 幹人は、言いながら先ほど計測に使った脚立の上に登った。


「咲、こういう高いところから落ちるとどうなる?」

「足とか痛い!」

「そうだな。じゃあもっと高かったら? 百メートル、そんな高さだったら?」

「死んじゃう!」

「うん、そうだ。ある程度高いところから落下する事は自殺行為、それは俺たちの世界では常識だ。だけど、この世界では違うかもしれない」


 脚立から飛び降りて、ダンとそれなりに大きな音を立てつつ着地。咲の言葉通り、足が少し痛かった。


「例えばもしかしたら、物の落ちるスピードは一定の速さや高さから全く変わらなくなるかもしれない。この世界は、高いところから飛び降りたって死んだりしないような法則で成り立っているかもしれない」


「えー、そんなこと……」


「こんな建物を中の人間ごと転移させてくる、なんて事を起こしたかもしれない世界だ。そんなところの物理法則が俺たちの世界と丸々同じって保証はない」


 もし転移なんてものを可能にするような魔法という概念が存在するのなら、それは明らかに自分たちの世界とは異なる法則によるものだろう。であれば、他の法則だって違う可能性はある。


「だからさっき、出来る範囲で確認したんだ。もちろん、考え過ぎってんならそれで構わない。最悪のケースを警戒すると、調べておきたいって話」

「最悪のケース?」

「俺たちにとっての自殺行為がこっちではそうじゃないかもしれないって言ったろ? それはつまり、その逆だってありうるって事だ」

「あ、え……じゃあ」


 咲の表情が、少しばかりこわばった。言わんとすることをわかってくれたらしい。彼女に頷いて、幹人は続けた。


「俺たちにとって当たり前のなんでもない事が、こっちでは非常に危険な行為かもしれない。それが怖いんだ」


 だから照治はああ言って号令を掛け、それを受けた他の部員たちも各々、台車に乗って壁を押したり風船を膨らませたりボールに回転をかけつつ投げたりしているのだ。


「な、なるほどぉ……。じゃあ今も、もしかしたら誰かが大怪我するかもしれないってことだよね?」

「その可能性はある。だけど、知らずに尾を踏むリスクがあるよりかは、危ないかもしれないって警戒しながら確かめた方が良いだろ?」

「えー、私知らされてなかったよー! あ、でもだから測った時もう少し離れろって言ったの?」

「そういう事」


 球の近くにいたのでは、もしかしたらがあるかもしれなかったので、妹には距離を置かせたのだ。


「咲、引き続き色々調べよう。怖かったら遠くで見ててもいいんだけど……」

「やる! 私だけ安全なのはおかしいもん!」

「言うと思ったよ」


 殊勝な事を言う妹の頭を撫でて、幹人は次の実験に移った。


 ◇◆◇



「うーん……」


 呻いた照治の後ろにはホワイトボード、前には幹人たちがずらりと並んでいる。ホワイトボードに書かれた文字たちを見やっていた彼は、やがて部員たちに向き直った。


「それでは各員、特におかしい現象は見つからなかったんだな?」

「厳密に調べられたわけじゃないですけど、一応」「定量的に示せたわけじゃないですけど、一応」「試行回数も少ないですけど、一応」……ずらずらと部員たちから返答がなされる。


 言い回しがやっぱり理系っぽいと、幹人の隣で咲が呟いた。


「運動の第一・第二・第三法則、落体の法則、パスカルの原理、摩擦の法則、てこの原理、ベルヌーイの定理などなど……とりあえずって感じのラインナップだな」

「調べやすい奴だけだね。手元にもっと材料があれば色々出来るんだけど、現状じゃちょっと厳しい。水とかはあるけど、それは迂闊に消費したくないし」


 照治の言葉に幹人は答える。各員が所有していた飲み物や据え置きのお茶、スポーツ飲料は、現状では生命線である。言ったとおり、なるたけ使用したくはない。


「そうだな、あれこれ調べたいんだが……ああ、ちなみに電気・磁気系の法則はおそらく、変わっているものはないだろうとおおよそ判断してもいいだろうと思う」

「そりゃまたどうして」

「スマホもノーパも、ちゃんと動作してるだろ? なにか電気・磁気系の法則が変わっていたら、この手の精密機器は一発アウトのはずだ」


 自分のスマートフォンを片手に答えた照治に、幹人は納得の頷きを返した。なるほど、確かにその通りである。


「ううーーん、なんか違和感あるなあ。異世界が偶然俺たちの世界と同じ法則で成り立ってる、……これはどうなんだ、そんなもんなのか?」

「しかし、雨ケ谷妹が魔法と言うとおり、俺たちの世界ではありえない現象が起こっているのも事実だ。引き続き、油断せず様々な視点からもう少し調べてみる必要はありそうだと思う」


 手を上げつつ、照治へそんな風に言う鉢形は相変わらずの渋い声だ。


「ここがどういう場所であれ、環境情報を取得しなれば俺たちなど脆弱な生き物だ」

「テツが言うと、逆に説得力があるな」


 鉢形の言葉に苦笑する照治。明らかにこの中で最も肉体的に強いのは鉢形である。


「いや、しかし、……そうだな。俺たちは、人間は脆弱な生き物だ、にしては……やはり、これはおかしいよな」

「なにがさ、照兄」


 突然訝しげな顔になった照治は、口元に手を当てつつ言う。


「違う法則の異世界だか別の銀河の異星だかわからないがどちらにせ、俺たちがこうして生きていられるというのは都合が良すぎないだろうか? 人間の生存可能条件なんてごくごく狭い範囲だぞ」


「たしかに……」「言われてみれば」「そういやそうだ」「即死しててもおかしくないんだよな、むしろ」……部員たちが照治の言葉にざわめき出した。言われてみればたしかにおかしい、幹人も首を捻って呟く。


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