第33話「週末・オーヴァードライヴ」

 今日も今日とて、アトラクシアの自称幹部である真逆連児マサカレンジは、いつもの場所でだらりと古びたソファに寝転がっていた。この建物はもともと、商店街の小道を入ったゲームセンターだったらしい。

 今ではここが、こここそが秘密結社アトラクシアの中枢部だ。

 エンプレス・ドリームこと爪弾冥夜ツマビキメイヤは、地球全土にいくつものビルを持っているが……基本、同世代の限られた者達だけとこの場所で世界を脅かしている。

 今も玉座にしどけなく座り、肘掛けの上でけだるげに書類を眺めていた。


「かーっ、平和だねえ……なんか面白いニュースは、っと。お? おおーっ」


 携帯電話をいじっていた連児は、速報で流れてきたニュースに思わず身を起こす。

 榊昴サカキスバルは身を正して冥夜の横に立っていたし、伊万里真璃瑠イマリマリルは熱心に漫画雑誌を読みふけっている。連児の日常は代わり映えがなく、穏やかに時間が流れていた。

 ソファに座り直して、連児は携帯電話を操作した。


「おうい、冥夜!」

「なにかしら」

「ニュース見たか? 東京湾に迷い込んだくじらな、マイティ・ロウが外洋に逃がしてやったんだってさ」

「そう」

「そうなんだよー、って、あれ? 興味ない? そっかー、残念だなー? 天輝タカキおにーさんに教えてあげれば、喜ぶと思うのになー」


 我ながらちょっと鬱陶うっとうしい絡み方だったろうか?

 冥夜は、カミソリのような視線で連児の笑みを切り裂く。いつもながら、眼帯を取った彼女は絶対零度の凍れる瞳だ。大きく切れ長で黒目がち、そして汚物を見るような、むしろ見下みくだすようにすがめてくる。

 冥夜はそのまま、自分の携帯電話を取り出した。


すでに天輝さんからメールが来てるわ」

「あ、ああ。そう、だよ、なあ。お前の兄ちゃん、めっちゃヒーロー好きだもんな」

「ええ」


 姉にしか見えないが、天輝は冥夜の兄だ。

 ニュートラル・ウィルスによって驚異的な能力を得るも、その力に徐々に食い潰されている。もともと病弱な上に、どんどん衰弱してゆくのだ。

 そんな兄を、冥夜が大切に思っているのを知っている。

 彼の夢を叶えるために、冥府は彼以外のヒーローを駆逐することにしたのだ。

 そして、連児は薄々勘付いていた。

 天輝を唯一にして絶対のヒーローにした、その時には……もしかしたら彼女は、ヒーローに対する悪として戦い、敗れることを望んでいるのかもしれない。


「ま、そんなことある訳ねぇけどな」


 ひとりごちて笑う連児を見て、冥夜は再び書類のチェックに戻ってしまった。

 こういうつれない態度、グッとくる。

 全く相手にしてもらえないかのような、極限まで突き放した放置プレイだ。

 連児は未だに、


「しっかしなんだぁ? マイティ・ロウの野郎……動物愛護法違反って。鯨が勝手に迷い込んだだけで、なんの法にも反してねえと思うんだがなあ」

「んー、それはさあ、連児」


 漫画のページをめくりながら、呑気のんきな声で真璃瑠が応えてくれた。ちなみに、彼女が読んでいるのは女子中学生らしく少女漫画……などではない。彼女は週刊雑誌はチャンピオン派なのだった。


「マイティ・ロウさ、あれって完全に『俺がルールだ!』の典型じゃない?」

「えっ、そうなの? 確か、法を破った奴に容赦しねえヒーローだよな」

「はーい、そこで連児君に問題です。ジャジャン!」


 ノリのいい連児は、ありもしない早押しボタンへ身構えるポーズを取ってしまった。そして、真璃瑠は相変わらず漫画を読みながら喋り続ける。


「日本を始めとする民主主義国家が、基本的な仕組みとして持つ、行政、立法、司法……この三つがそれぞれ独立していることを、なんというか!」

「ピンポーン! ……三国同盟?」

「ブッブー! 答は三権分立。さらに問題っ! 行政、立法、司法のうち、法を解釈するのはどの機関でしょうか!」

「ピンポーン! そりゃ間違えようがないぜ……立法! だって、法って書いてあるからな!」

「ブッブー! 答は司法。外国には憲法裁判所っていう、憲法の解釈をする専門機関があるんだよ?」


 なんでそんなに頭がいいんだ、リアル中学生。

 もしやと思って、連児はちらりと玉座の方を見やる。当然だが、我関われかんせずで興味がない冥夜は、今はタブレットをけだるげにいじっている。その横に立つ昴は、口元を抑えてうつむいていた。

 昴に笑われている……肩が小刻みに上下している。

 やっぱり、この中ではダントツに連児が頭が悪いらしい。


「真璃瑠よぉ、JCがあんまかわいげないクイズ出すなよ。もっと簡単な方がいいぞ? 例えば、そうだな……! とかな!」

「……連児さあ、なんていうか……その、つける薬がないタイプなんだねえ」

「しみじみすんなって、照れるだろ。で、なんだ? 薬がどうしたって?」

「んーん、なんでもない……およ? メールだ、誰だろ」


 なんだかアニメソングっぽい着信音が響いて、真璃瑠は携帯電話を取り出した。

 片手で操作しつつ、ようやく彼女は漫画から顔を上げる。


「ねね、連児ー? 今度の土曜日、ひま?」

「なんだよ、誰からメールだ? 因みに俺は超忙しい。冥夜の買い物に付き合わなきゃいけないからな!」


 そうなの? と真璃瑠が振り返った。

 だが、冥夜はいつもの玲瓏れいろうなる無表情で小首をかしげる。


「確かに私は土曜日、買い物に行くけど……連児君に同道を許した覚えはないわ」

「またまたー、知ってんだぜ? そろそろ夏の水着が欲しい頃だろ? な?」

「……昴」


 すかさず昴が「はい、エンプレス・ドリーム様」と手袋を脱ぐ。

 因みに今日の連児は残機に余裕があるが、だからといって簡単に殺されてはたまらない。慌てて口をつぐめば、真璃瑠がメールの相手を教えてくれた。


「なんかねー、スミレねーさんが土曜日遊びに行こうって」

「ああ、菫さんかあ。ん、いいんじゃね? ってかお前等、随分仲良くなってねえか?」

「モチのロン! 菫ねーさんはねー、親切なんだ。服とかにも超詳しいしー」

「んじゃ、土曜はパーッと騒ぎますか。……ふっふっふ、気になるだろ、冥夜っ!」


 チラリと連児は玉座を見やる。

 先程までしていた仕事が片付いたのか、退屈そうに冥夜はタブレットでマインスイーパーをやっていた。それがまた、驚くほどに手が早く、思考時間ゼロでどんどん進めてゆく。

 そして、画面から目をらそうともせず、平坦な声が冷たい。


「なにがかしら?」

「説明しよう! 佐倉菫サクラカオルとは、俺と同じ戦闘員のバイトをしている女だっ! そう……女ぁ! 彼氏の影に見え隠れする、新たな女の存在……震えたか?」

「いいえ、ちっとも」

「強がるのはよせよ……モテる男は辛いが、俺の心はいつでもお前のものさ、冥夜」


 今度はなにも言われていないのに、昴が再び手袋を外した。

 そういえば昴も、友人である以上に冥夜を慕っている。二人は有名な御嬢様女子校でも有名な百合ゆりカップルだと思われているらしい。

 ただ、昴はただただ忠犬として振る舞う以外に、冥夜への好意の示し方を知らない。

 そして冥夜もまた、そんな彼女を下僕として愛し、時には言葉ではなく身体で応えることもあるとかないとか。


「どっちにしろ、連児君。その佐倉菫というのは、確か戦闘員108号のことね。戦闘員同士、親睦を深めてよりよいアトラクシアの構成員を目指して頂戴ちょうだい

「おいおい、嫉妬は見苦しいぜ?」

「連児君は見苦しい上にみにくいわ、同じ空気を吸ってるかと思うと目眩めまいがするもの」

「……ちょっと容赦ないな、だがっ! それがっ! イイ!」


 連児は打たれ強い鋼のメンタルを持っていた。

 冥夜は小さく溜息ためいきこぼすと、ようやく顔を上げる。だが、心なしか三白眼気味さんぱくがんの目が優しいような気がした。気がしただけで十分だと、連児もにんまりと笑う。


あきれた人ね。……あら? 佐倉菫……戦闘員108号。確か、この人は」


 不意に冥夜は、再びタブレットを操作し始めた。

 そして、細く白い指をスススと動かし、止めて、そして考え込む。

 なにがあったのかと、訝しげに連児が見詰めていると……不意に彼女は顔を上げた。


「昴、今週末の土曜日は暇かしら」

「はい、エンプレス・ドリーム様」

「ならいいわ、貴女あなたも付き合いなさい。いいこと?」

「は、はあ……なにに、でしょうか。あ、買い物か」

「それもあるけど……少し興味が湧いてきたわ。戦闘員108号……佐倉菫に」


 その後のことは即断即決の欧州だった。

 真璃瑠を通して冥夜は、自分達も一緒に行っていいかと訪ね、了承を得て約束を取り付けてしまった。

 つまり、アトラクシアの幹部が普段通りの高校生として、菫と遊ぶことになったのだ。

 この時の連児の有頂天うちょうてんっぷりを、後に真璃瑠はこう語る。

 ――ぼんくれと正月が一緒に来たばかりか、その日が誕生日な上にスーパーの特売日だったかのような喜びようだった、と。


「さて、連児君。ごくごく一般的な高校生というのは、休日はなにをして遊ぶものかしら」

「そりゃ、お前さ、カラオケとかゲーセンとか……買い物もあんだろ?」

「ええ、少し」

「そうやって街をぶらぶらするだけでも楽しいもんさ」


 冥夜は静かに「そう」とだけ言って、またマインスイーパーをやりだした。

 そんな彼女のけだるげな表情を見やりながら、早くも連児は浮つき出す。

 自分以外は全員、女の子。

 しかも、全員違うタイプの美少女だ。その中にはノッポでガリガリな昴と、ロリっ娘丸出しな真璃瑠がいるが、アウト・オブ・眼中だ。

 菫との再会も楽しみだったが、単純に冥夜とプライベートで遊べるなんてそうそうあるもんじゃない。すでに気持ちは、土曜のことで頭も胸もいっぱいな連児だった。

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