第17話「ダメ・ジャン」

 真逆連児マサカレンジの奇妙な一日が終わろうとしていた。

 爪弾冥夜ツマビキメイヤの姉、爪弾天輝ツマビキタカキの笑顔と共に。

 終始ゴキゲンではしゃいでいた天輝は、連児の前でまぶしく輝いていた。二人で牛を見たり、馬に人参にんじんをやったりしていたら、あっという間に日が暮れてしまった。

 真っ赤な夕日の中を二人は家路につく。

 あの病院のような白い施設に近付くと、天輝はギュムと連児に強く抱き付いてきた。

 冥夜とは違って、真っ平らな胸の奥で、鼓動が小さくときめきをかなでているのが連児にも伝わった。正直、ちょっと初恋への一途さが揺らいだ。


「おーしっ、着いたぜ?」

「うん……着いちゃった、ね」

「ほら、冥夜がお待ちかねだ……なあ、怒られっか?」

「大丈夫、だと、思う。冥夜ちゃんは優しいから」

「だな」


 施設の玄関には、腕組み冥夜が待ち構えていた。

 相変わらずの無表情で、ました顔も今日は一段と冴え冴えとしている。

 まさかとは思うが、何故か少し不機嫌なようだ。それを連児は、自分が姉を連れ回したからだと思っていた。

 だが、開口一番に冥夜は、見下しめつけるような視線を放ってくる。


「連児君、どういうことかしら……説明して頂戴」


 ちょっと目付きが、怖い。

 ベスパを降りた連児も、いつも以上に凍った美貌にタジタジである。

 そして、並んだ天輝と互いを肘で小突き合った。


「これは、その、あれだ! なあ、天輝」

「そ、そぉだよ! あれだよ、あれ! ね? だから、冥夜ちゃん……ねっ?」


 互いにニヘヘとゆるい笑みを浮かべて、連児と天輝は冥夜の顔をうかがった。

 やがて、冥夜は深い溜め息を零す。


「ま、いいわ……天輝さんの気まぐれは、今に始まったことじゃないし」

「だよね、だよねっ! ほら、連児! 許されたじゃん、やたっ!」

「それに、この施設にずっと閉じ込められっぱなしなのも、つらいもの」

「うんうん! うんうんうんうん! じゃあさ、冥夜。今度は三人で出かけようよ! ボク、連児のことが気に入っちゃった。それに――」


 天輝が表情をきらめかせた、次の瞬間だった。

 彼女は突然、胸を抑えてその場に倒れ込んだ。

 呼吸も荒く全身を震わせ、天輝はうずくまる。

 慌てて起こそうとした連児の手は、駆け寄った冥夜の手と重なった。だが、今はそのことを気にする余裕もなく、急いで二人で天輝を抱き起こす。

 苦しそうに肩を上下させながら、必死で天輝は呼吸をむさぼっていた。


「あ、あれ……おかしいな、発作ほっさが。最近、調子良かったの、に、な……」

「おい! 大丈夫か、天輝! 冥夜、天輝の病気か? これは」

「そのようなものよ。大丈夫、連児君。大丈夫だから落ち着いて」


 努めて冷静をよそおう冥夜。

 だが、敏感に連児は察したし、だからこそなにも言わずに天輝に寄り添う。

 初めて見る、冥夜の慌てた表情。それは、顔に感情を浮かべてはいないが、明らかに動揺だった。連児が見る限り、彼女が自分の心境を顔に出したのは初めてだろう。普段と変わらぬ怜悧れいり鉄面皮てつめんぴが、今は戦慄にわなないていた。

 絶対零度アブソリュートの無表情が美しい少女は、僅かに唇を震わせていた。


「はは、大丈夫だよぉ……心配した? 冥夜ちゃん」

「当たり前です。天輝さん、もしかして」

「あ、うん……一回だけ、使っちゃった。あのね、牧場に行ってたんだけど、ソフトクリーム作るの下手っぴなお姉さんがいて、それで」

「……いけないと言われているのに。天輝さんの【第XXの選択肢ネクスアンサー】を使っては駄目だと、アレほど」

「でもさ、やっぱ……誰かのために、ボクの力があるんだから。それは、ヒーローを目指すボクには、眠らせてはおけないんだよ。ね、だから……心配しないで、冥夜ちゃん」


 ――【第XXの選択肢】。

 それが恐らく、天輝に謎のウィルス『ニュートラル』がもたらした力。連児も見た……はっきりと目撃した。天輝は『』を『』と言ったのだ。その意味を冥夜は、僅かに震えた声で教えてくれる。


「天輝さんの【第XXの選択肢】……それは、あらかじめ無数に分岐する未来の可能性を、一つだけ増やす。それは、私の【創滅与奪ジェネサイド】とは違った未来の作り方。私は……存在しない選択肢は、選べないから」

「でも、やっぱりボクは駄目だね……身体が、力についてこれないんだもの。これじゃ、ボク……ヒーローになれないのかなあ」

「そんなことはないです、天輝さん。私が必ず……必ず天輝さんを」


 切実な表情に目をうるませる冥夜は、珍しく優しい顔をしていた。

 そんな彼女の横顔を見て、連児は初めて知る。

 この世のヒーローを、一人を残して抹殺まっさつする。

 冥夜が秘密結社アトラクシアのエンプレス・ドリームとして戦う理由は、ここにあったのだ。彼女は、天輝だけがヒーローの世界を作り上げるつもりだ。そして恐らく……姉がヒーローをやるために、自分が悪となって立ちはだかるのだろう。

 自ら倒されるべき悪となって、姉の願いを叶える。

 その日が来るまで、他のヒーローを根絶やしにする。

 そこには、いびつながらも純真な愛情があった。

 それが感じられて、連児は改めて冥夜に惚れ直す。

 怖いとは思わない。

 異常だとさえ感じない。

 姉のために全世界を敵に回す女、爪弾冥夜。

 ならば、彼女がエンプレス・ドリームでいる限り、その敵全ての前に連児は立ちはだかる。己の命を増やしては潰し、その都度増やしてまた使い続ける。そうして冥夜と、冥夜の夢とを守るのだ。

 近いも新たにしていた連児だったが……次の瞬間、衝撃的な言葉が鼓膜を貫いた。


「エヘヘ、冥夜ちゃんは優しいなあ。ボクの自慢の妹……」

「過大評価し過ぎですよ、天輝さん。本当に、もう……


 思わず連児は「ふぁっ!?」と気の抜けた声を発してしまった。

 ――兄様!?

 思わず連児は、チベットスナギツネみたいなフラットな顔になってしまった。そのまま見詰める冥夜と天輝は、見目麗しい姉妹に見える。

 だが、思い出した……確かに天輝はきょーだいと言っていた。

 そう、兄妹きょうだい

 こんなにかわいいが、

 男だったのだ。

 次の瞬間、楽しい午後の一時が黒歴史となって連児を襲い来る。

 ほんの少しだけ、僅かに揺らいだ冥夜への恋心……その絶対的な初恋を脅かしたぬくもりは、男! 連児と同じ男! 同じものがぶら下がったりしてる、男なのである!

 だが、連児は立ち直りも早かった。

 急いで手の甲を確認する。

 刻まれた数字は『07』……さっきの二人での逢瀬おうせで、増えている。

 つまり、純粋に楽しかったし、なごやかな中でいい気分だったという意味だ。


「そうか、天輝は男か! そっかそっか」

「あ、言わなかったっけかぁ。ゴメンね、連児。でも、ボクはオッケーだから」

「いやいや待て待て、確かに俺の身体も反応している、【残気天翔】もそれを裏付けてる」

「じゃ、付き合う? ボクはいいよぉ」

「いや、そういうのは! ……少し考えさせてください、お兄さん」

「ふふ、いいよぉ~」


 少し呼吸が落ち着いてきたようで、天輝は汗の光る顔で笑った。

 弱々しい笑みだが、やはりかわいい。

 顔の作りが冥夜と似ているから、自然と美しさは高水準。その上で、通りの良い鼻に大きな双眸そうぼうと、素晴らしいパーツ配置の美貌。だが、男だ。

 そして、連児は気付く。

 先程から冥夜が、凄く冷たい視線で連児を切り刻んでいるのを。

 少し、いやかなり怒ってる。

 それがわかるくらいには、連児は冥夜のことをなんでもお見通しである。


「な、なあ冥夜……これは、違うんだ。その」

「冥夜ちゃん、いいができてよかったね。ボク、すっごく嬉しかった!」

「グハッ! お友達! ち、ちが……冥夜は、俺の……」

「ねえ、連児。冥夜ちゃんと!」

「ゲファッ! く、や、やめ……俺のHPヒットポイントは、もう……ゼロ……」


 だが、弱々しく立った天輝は、連児の手を取る。

 そして、その手を冥夜の手に重ねた。


「冥夜ちゃんも、いい? 連児のことを大事にしてね」

「……使いこなしてはいます、兄様」

「そういうんじゃなくて! ね、連児っ! 連児も、冥夜ちゃんのこと守ってね……お願い、守ってあげてね? ボク、ずっと冥夜ちゃんが心配だったから……だから、今とっても、とぉぉぉぉっても! 安心したよっ」


 なにも言えずに冥夜は連児を見詰めてくる。

 ただ頷くしかできない連児も、曖昧な笑みを浮かべるしかできなかった。

 こうして二人は、天輝と別れた。

 この施設が特殊なニュータントを隔離する施設だと、あとから連児は冥夜に聞かされた。ニュートラルは人間にのみ感染し、その体組織を変えながら大きな力を与えてくれる。だが、その力に耐えることができない人間は、ただむしばまれて弱っていくのだ。まして、尋常ならざる異能の力、未来の可能性を増やす力を与えられた天輝……もともと身体の弱かった彼は、ずっとこの施設で一生を終えるのだそうだ。

 それを許さないと、冥夜はつぶやいた。

 絶対に兄をヒーローにする、兄の夢を叶えると。

 背中でそう呟く冥夜を乗せて、連児は街へとベスパを走らせるのだった。

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