彼女の悪の理由

第14話「ハイ、ペロン」

 まほろば町、某所……昼下がり。

 今日も今日とて、世界を脅かす悪の秘密結社アトラクシアは、局所的にアットホームないこいの空間を現出せしめていた。

 あの駅前公園の戦いから、既に三日が経っていた。

 そして、真逆連児マサカレンジは相変わらず、悪の戦闘員をやっている。

 バイトである、週四でシフトを入れている。

 時給1,500円、割りといいと思う。

 恋い焦がれる少女の側にいれるから。

 彼女の前ではいつだって、気持ちだけは謎のレアキャラ戦闘員零号ゼロごうである。

 平和な日常は今、穏やかにゆっくり流れていた。


「連児……いいか?」

「お、おう、こいスバル!」

「わはは、さてさてー? どっちがビリなのかなー?」


 三人の少年少女が、玉座の前で床に座り込んでいる。

 輪になる三人の中心には、捨て札となったトランプが散らばっていた。そして、一抜けで上がった伊万里真璃瑠イマリマリルがニシシと笑っている。

 無表情で手札をかざすのは、榊昴サカキスバルだ。

 連児は残り二枚のトランプを、触れては手放し、もう片方へと迷いを向ける。

 暇潰しのババ抜きも、いざやってみるとなかなかに盛り上がっていた。


「昴っ、俺の目を見ろぁ! ……これか?」

「いや」

「こっちか?」

「ち、違う」

「ここがええのか? ほれほれ!」

「……死ぬ? 連児」

「はい、すみません! こっちを引かせて頂きます!」


 触れる全てを一瞬で絶命せしめる、恐るべきニュータント能力……【骸終一触ワンタッチ】。昴はその力を持って最強と恐れられる、アトラクシアの特醒人間とくせいにんげんだ。

 そんな彼女からトランプの片方を引き抜く、連児の手に数字が浮かんでいる。

 その数は、4。

 連児の命の残高であり、彼の能力【残気天翔エクステンダー】が使える回数だ。

 連児は慎重に、そーっとカードを引く。


「――ッ! だああああああっ! あっあっあっ、ノォォォォォォォ!」

「あー、連児! ババ引いたー」

「違うっ、断じてジョーカーなど引いていない!」

「だって連児、昴ちゃんとお互い二枚と一枚でしょ? ババじゃん、あはは! ババ、ババー!」


 昴が僅かに頬の筋肉を弛緩させた。

 あっけらかんと連児を指差し真璃瑠が笑う。

 どういう訳か、連児は勝負事が滅茶苦茶めちゃくちゃ弱い。

 グヌヌとうなりつつも、少年のような昴の前へとカードを突き出した。


「さあ引け、昴! よく選んで――って選ぶのはええよ! ちょ、おまっ!」

「……上がり」

「わーい、連児がビリだー! ドンケツー!」


 昴は全く迷いを見せなかった。

 連児は最後に残されたジョーカーを放り出す。

 背後でドアが開いたのは、そんな時だった。

 三者三様に振り返って、それぞれに挨拶の言葉を投げかける。


「お疲れ様です、エンプレス・ドリーム様」

「やほー! 冥夜メイヤちゃん、オツオツー! ディー・ドッ、リィームゥ!」

「なんだよ、真璃瑠。その『ハリウッド映画のCMで見た客が順に薄っぺらい感想を言った末に、全員で最高ぉ!とか叫んだあとに流れる外人発音っぽいやつ』は。フッ、手本を見せてやろう……よう冥夜! ディー・ドリ――っておい、無視するな冥夜!」


 真っ白な制服の爪弾冥夜ツマビキメイヤは、静かに「お疲れ様」とだけつぶやく。そのまま彼女は、けだるげな無表情で鞄を放り出した。珍しくおざなりでだらしなくて、少しお行儀が悪い。着替えを手伝おうと立ち上がった昴を手で制して、彼女はそのまま玉座に座った。

 アトラクシアの首魁しゅかい、エンプレス・ドリームの不気味で荘厳な玉座。

 ゴテゴテと髑髏どくろや悪魔像で飾られたデカい椅子に、冥夜は浅く腰掛けた。

 しどけなく脚を組んで、肘掛けに頬杖ほおづえを突く。

 背徳を感じさせるミスマッチな倒錯感に、連児は改めて惚れ直した。

 やっぱりかわいい、綺麗だ、そしてエロい。

 長い黒髪をかきあげ、冥夜は一同を見て喋り出す。


「今日は用事があって、すぐ出かけるの。悪いけど着替えは省略するわ。それと」


 黒いタイツで覆われた脚線美きゃくせんびが、互いの位置を入れ替える。

 脚を組み替え、冥夜は静かに目を細めて言い放った。


「それと、先日の御褒美ごほうびがまだだったわ。支配者たる者、常によい働きにむくいなければいけないもの」


 先日というのは、まほろばセントラルパークの事件の話だ。

 冥帝めいていシュランケン、そして魔装探偵まそうたんていアラガミオン……二大ヒーローと共闘した戦い。市民の憩いの場を、アトラクシアは結果的に守ることになった。

 そのことを思い出しているのか、一層冥夜の表情がアンニュイに凍ってゆく。

 ました顔は太古の芸術品のようであり、創造者は神にも等しい人間に思える。

 物憂ものうげなその姿は、普段の黒衣を着ていなくても美しかった。

 美貌の女皇帝エンプレスは、某有名御嬢様学校の制服すらドレスのように着こなしてしまう。


「じゃあ、今からみんなに御褒美を……あら? ちょっと失礼するわ。待ってて頂戴」


 不意に冥夜はポケットから携帯電話を取り出し、液晶画面に白い指を走らせる。

 そうして、胡乱うろんげに目を細める。

 どうやらメールのようで、彼女は億劫そうに返信をし始めた。

 細い指が滑る様を見ていても、優雅で可憐な姿は堂に入ったものだ。

 やがて送信ボタンを押すと、彼女は再び携帯電話をしまう。

 思わず連児は、気になるあまり考えてることが口に出てしまった。


「メールか、冥夜! だっ、だだ、誰から」

「アラガミオンからよ。狂月キョウゲツ、たしか……御門明ミカドアキラとか言ったわね」

「あっ! あの探偵のあんちゃんから! ど、どんな」

「別に。大した要件じゃないわ。……神嶋市かみしましのショッピングモールに、美味しいクレープ屋さんができたそうよ? オススメはチョコバナナ、生クリーム増し増しで」

「っしゃ、行くしかねえな! 四人で行くか、今すぐ行くか! 電車で15分だし、おやつにゃ丁度いい。それで真璃瑠、お前は昴を連れて消えろ。俺は冥夜とそれとなくデート的な雰囲気の中で、偶然を装って休憩と宿泊が選べる特別な施設へと――」

「……昴、お願い」

「ったあ! スンマセンしたぁ!」


 昴のデコピンを避けつつ、連児は内心自分の携帯を取り出してれる。

 あのあんちゃん、なんで俺には冥夜のメアド教えてくんねーんだよ!

 因みに、連児の携帯にメールは来ていない。

 そうこうしていると、冥夜は話を戻した。


「それで……御褒美の話だったわね。みんな、よくやってくれたわ。今後も悪が悪であるために……よろしくして頂戴ちょうだい? まず、真璃瑠」

「はいはーい! お安い御用だよっ、冥夜ちゃん!」

「あなたにはこれをあげるわ」

「おおっ! こ、これは!」


 冥夜は玉座のすぐ側に真璃瑠を手招てまねきして、ポケットから紙切れを取り出す。

 なにかのチケットのようで、たば小冊子しょうさっしになっていた。

 それを受け取る真璃瑠が、両手で握り締めて震え出す。


「冥夜ちゃん! これ、あのジャーマンえんの!」

「焼肉屋の株主優待券よ。あそこの株を組織として買ってるけど、私は焼肉屋には行かないから」

「おお……おお、おお! 本格的なドイツ焼肉が食べられるってゆー、あのジャーマン苑! そしてこれは……食べ放題チケット、三万円分! っべー、っべーッスよ冥夜ちゃん!」

「喜んでもらえて嬉しいわ。次は……昴。いらっしゃい」


 ジャーマン苑の焼肉チケットは、確かに欲しい。

 一度でいいから、高級骨付きカルビをお腹いっぱい食べてみたい。

 しかし、年下の真璃瑠にたかるのはみっともないし、それに……今はいい。

 連児は自分への御褒美をもう知っている、そして期待しているのだ。それは焼肉チケットに換算できるような代物ではないし、もし無理にでも換算しようものなら、国家予算級で子々孫々まで食い放題だ。

 あの日、確かに冥夜は言った。

 、と。

 ちょっと語弊ごへいがあるかもしれないし、正確な記憶じゃないかもしれない。

 でも、あとでと彼女は言ったのだ。

 そうこうしていると、おずおずと昴が玉座の前に立つ。


「エンプレス・ドリーム様……わ、私は」

「気にしても仕方のないことよ、昴。【骸終一触】の弱点、それは……触る前に触られること。触られ続けてる限り、殺せないわ。でも、そんなのは些細なことよ? あなたのたぐいまれなる身体能力は、ニュータントとしても高いレベル。そして、無敵の能力。そうでしょう?」

「でも」

「いいからいらっしゃい、昴」


 冥夜は玉座から立ち上がると、目線二つ、いや三つ程背の高い昴を見上げる。そして、密着の距離で手を握った。指に指を絡めて体温を分かち合い、もう片方の手で昴の頬に触れた。


「御褒美をあげるわ、昴。いつもありがとう、いい子ね」

「エンプレス・ドリーム様、あの」

「駄目、学校と同じように冥夜と呼びなさい?」

「は、はい……冥夜、様」


 そのまま冥夜は、ズギューン! と昴の唇に唇を重ねた。少し背伸びして爪先立つまさきだちで、キスしたのだ。しかも、ただのキスじゃない。目を白黒させて見開いた昴が、うるんだ瞳をとろけさせてゆく。

 これ、入ってるよね? 舌、入ってるよね!

 ガクガク膝を震わせ始めた昴を、遠慮なく冥夜は唇と舌とで愛撫あいぶする。

 連児の目の前で今、百合ゆりほころぶ秘密の花園が広がっていた。

 因みにその間ずっと、真璃瑠は焼肉チケットを抱き締めて夢見心地で別世界にひたっていた。


「ん、ふぁ……う、んぁ……あ、はぁ、ふ……ふっ! ふーっ!」


 長い長いくちづけで、昴は行き交う呼気の甘さへほうけていった。そのまま腰砕けで崩れ落ち、ペタリとへたりこんでしまう。それでも唇を離さず、冥夜は情熱的なキスを続けた。息が苦しくなった昴が背中を軽く叩いて、ようやく冥夜は離れる。

 二人の唇が光の糸を引いて、それを冥夜の真っ赤な舌が舐め取る。


「……ふう。上手になったわね、昴。いつでも私はあなたと愛し合ってあげる。だから……アトラクシアの敵をこれからも倒して頂戴。あなたは私の最強の力なんだから」

「……ふぁい」

「さて、と」


 最強の特醒人間を骨抜きにしておいて、冥夜は連児に向き直った。

 そして、先程の情事……情事としか思えぬ程に淫靡いんびなキスを見せつけて尚、彼女は泰然たいぜんとしている。堂々と揺るがなく、悪びれるべきなにものも持たぬ凛とした表情だ。

 その冥夜が、意外なことを言った。


「連児君、私からの御褒美……?」

「は?」

「……嫌なの?」

「どうして!」

「会話が成立しないわ、もういいから……

「ハイッ!」


 耳を疑うような言葉は、天使がラッパを吹き鳴らす福音ふくいんとなった。

 だが、次の瞬間……その意味を知って連児は落胆することになる。それでも、冥夜と二人きりの時間が訪れることだけは確かなのだった。

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