第3話「罪とぱんつ」

 日本の経済と流通が集う街、東京……その一角、新宿のオフィスビルに榊昴サカキスバルはいた。周囲には黒服の男たちが囲み、誰もが報告のためのペーパーを手にしている。

 秘密結社アトラクシアの、いつもの日常だ。

 首魁しゅかいたるエンプレス・ドリームこと、爪弾冥夜ツマビキメイヤの右腕として、昴は忙しい時間を過ごしていた。だが、冥夜は昴の何倍もの量の仕事をこなしているのだ。


「ワンタッチ様、こちらが先日の株価操作で得られた利益です。ご確認を」

「先日、宮内庁特務実行班くないちょうとくむじっこうはんとの交戦結果になりますが、当方の被害は極めて軽微です」

「与党議員の懐柔かいじゅう、40%まで完了しております。このまま買収を続けます」


 男たちは皆、昴と同じくらいの身長だ。それでも、長身痩躯ちょうしんそうくでひょろりとスレンダーな昴は目立つ。少年のような顔立ちに、ざっくばらんに刈り込んだような短い髪。エンプレス・ドリームの親衛隊として、ぴっちり身を覆ってシルエットを浮かび上がらせるスーツと鎧を着てても、細い肢体が鮮明さを増すだけだった。

 そして、そんな彼女を誰もが皆、こう呼ぶ。

 ――ワンタッチ。

 それが、アトラクシア最強の特醒人間とくせい、昴の名だ。特殊なウィルス『ニュートラル』によって彼女が発症した力、【骸終一触ワンタッチ】に由来する。彼女が何らかの敵意、害意……そして殺意を持って触れた時、対象は有象無象の区別なく死亡する。ただ指先で触れて、肌と肌とが接触するだけでいいのだ。


「ああ、ワンタッチ様。そういえば先日の件ですが……っとっとっと!」


 周囲を囲む黒服の一人が、報告書のページをめくって声を連ねた、その時だった。彼は手にした万年筆を床へと落とす。新宿のコンクリートジャングルを見下ろすフロアで、大理石のような床にペンが転がった。

 それを無意識に、昴は拾おうと身を屈める。

 だが、次の瞬間……周囲を囲んでいた男たちは飛び退き下がった。

 またかと思えば、昴の端正な表情に感情は浮かばない。

 いつものました怜悧れいりな無表情で、彼女は万年筆を拾って返す。


「私の能力は肌と肌……直接触れなければ発動しない。それ以前に――」

「あっ、ああ、ありがとうございます。いえ、その、とんだ失礼を」

「……いや、いい」


 万年筆を返された男は、引きつる笑顔で震えていた。昴に接する者は、いつもこうだ。触れるだけであらゆる命を断つ彼女は、このアトラクシアでも恐怖の代名詞だ。圧倒的な美貌とカリスマで、世界の敵として君臨するエンプレス・ドリーム……その傍らに常に控えた、最強のボディーガード、それが昴だ。

 妙な空気が気まずい沈黙を連れてきた。

 昴は小さく溜息を零す。


「……少し休憩しよう。君たちは外の空気でも吸ってくるといい。じきにエンプレス・ドリーム様もいらっしゃるだろうから」


 それは提案ではなく、有無を言わさぬ承諾の強要だ。

 一時の散開を命じられた黒服たちは、挨拶もそこそこに部屋を出てゆく。彼らがエレベーターの方へと消えると、窓の外の光景を眺めて昴は溜息を一つ。

 この世で、昴を恐れず慕ってくれる人間は三人しかいない。

 一人は、いとしのエンプレス・ドリーム……冥夜だ。同じ女子校に通う彼女へ、昴は特別な感情を抱いている。彼女は学校でも浮いてる自分に優しいし、頼ってくれる。恐れず触れてくれる……手を繋いで登校し、肌を重ねてベッドで添い寝してくれる。

 絶対の支配者にして、究極の所有者……それが昴にとっての冥夜。

 そして、同じ秘密を共有する伊万里真璃瑠イマリマリルと、あと一人――

 思惟しいを逃して遠景に目を細めていた昴は、ドン! と突然背を叩かれる。


「よぉ、昴! 冥夜は一緒じゃないのか?」

「……お前か、連児レンジ


 振り向き見下ろすと、自分より頭半分ほど小さな少年が立っていた。彼の名は、真逆連児マサカレンジ……誰よりも昴を恐れず無警戒で、誰よりも多くの死で昴の恐ろしさを知る男だ。彼の能力は特殊で、故に昴は何度も殺したことがある。冥夜に言われるたびに殺すのだが、彼は口でこそ昴を恐れて嫌がりながら、こうして気軽に触れてくるのだ。


「エンプレス・ドリーム様はお忙しい。此方こちらにもじきにいらっしゃるだろ」

「そかそか、んじゃーちょっと待たせてもらうぜ。ほらよ」


 連児は手にした缶コーヒーの片方を、昴の薄い胸に押し付けてくる。言われるままに受け取れば、よく冷えた缶の上で指と指とが触れた。万が一にもと気をつけ、手袋で覆った昴の手が、連児の手に触れる。

 だが、連児はまるで気にした様子がない。

 それどころか、ニシシと笑って横に並ぶと、だらしないニヤケ面で覗き込んでくる。


「昴、今日もまた……ちょっと頼みたいんだがよ。いいだろ?」

「……またか。最近、頻繁だな」

「おうよ! ってか、ほとんどお前が悪いんだろう。いつもホイホイ気軽に殺しやがって」

「神聖なるエンプレス・ドリーム様に対して、お前は無礼で不届ふとどき破廉恥はれんちだ」

「よせよせ! そう褒めるなって……照れるからよ、わはは!」

「……ばか」


 昴は、連児に関して特別な感情を持っていたりはしない。と、思う。エンプレス・ドリームの正体を知る仲間の一人であり、連帯感はある。しかし、それ以上に二人は、一つの共通点で繋がる同志とも言えた。

 そのことを頭では理解しているのだが、どうもピンとこないのだ。

 昴が連児に対して持つ印象や感情、それは複雑な厚意……好意とさえ言えた。


「昴、お前は最近どうだ? 学校。いいよなあ、都内の御嬢様おじょうさまばかりが集まる名門女子校、その秘められた花園はなぞのに咲く高嶺たかねの花……全校生徒を夢中にする冥夜と昴の公認カップル。どだ? 進展、あったか?」

「エンプレス・ドリーム様と……その、冥夜様と、今週は……図書館で、一緒に勉強した」

「……それだけ?」

「それだけ。それだけで、十分……とても、楽しかった」


 昴は、冥夜が好きだ。

 同性とは思えぬ程に貧相で痩せた自分が、彼女を愛していると自覚している。

 そして、そのことを知るからこそ、冥夜はいつも昴に優しくしてくれる。愛で応えてはくれないが、愛することを許してくれる。学校では誰もが憧れる天才美少女と、ちょっとボーイッシュな影のある同級生。だが、多くの者達が空想と妄想で想い描くように、昴の唇と指は、冥夜の全てを知っていた。

 冥夜は誰も愛さない。……一人を除く全てを、愛しはしない。

 エンプレス・ドリームとして、世界の敵として、氷の強さで全てを憎んでいる。

 そんな冥夜を昴は、心の底から愛していた。

 そして、そのことを唯一知る人間が連児なのだった。


「なあ、昴よう。こないだ、映画のチケットをゆずってやったよな? あれ、どした」

「冥夜様は、とても喜んでいた」

「お! そっか、よかったじゃんかよ」

の外出が許されたら一緒に行くと言ってた……素敵な笑顔だった」

「って、おいー! 二枚とも渡したんかい! しかも、あの人、って」

「冥夜様には、唯一心を許す方がいる。と、思う。気がする」

「……俺も薄々気付いてたけどよ。まあ、いるわな……万能美少女、完全無欠のヒロイン爪弾冥夜に、彼氏の一人や二人くらいいるわな」

「二人といない筈だ……冥夜様は、そういうお方だ」


 連児が「あちゃー」という表情で顔を手で覆う。

 それでも、少しずつ缶コーヒーを飲む昴は幸せだった。


「ったく、馬鹿だなあ昴。お前さ、やる気ねぇだろ? もう満足しちゃってるだろ! そんなんでお前、夢の冥夜とのラブラブ大作戦が成功すると思うなよ?」

「……うん。でも、私は」

「ヤる気がない奴はな、性交せいこうできないんだよ! もっと頑張れよ、いいかそもそもだな」


 昴は静かに片方の手袋を脱ぐと、デコピンで連児の額をはじく。

 次の瞬間、その場に崩れ落ちた連児が徐々に透けて消滅した。一撃、否……一触ワンタッチで死をもたらされた連児は、己の能力に従い存在が消え去り、そして……ドアを開けて外から再び入出してくる。少し過去へと蘇って、こうして現実の現在に追いついてくる。


「だから、昴! 簡単に殺すな! 見ろ、残り0ゼロだ! 残機が減ったからお前に会いに来たんだろうが……これじゃ俺、ホントに死んじまうわ!」

「……ご、ごめん」

「あーもぉ、いいよいいよ……ったく、お前ってホントにかわいいよな。純情つーか、うぶってゆーか」


 連児の能力は【残気天翔エクステンダー】、死ぬ度に少し過去へと復活する。その命のストックには限りがあるが、感情の爆発や極度の興奮で増える……1UPワンアップするのだ。

 そんな連児が、大きく『00』と書かれた手の甲を見せてくる。

 今、殺せば……絶対に復活できない。

 それでも、手袋を慌ててつける昴に気安く連児は触れてくる。


「いいかあ、昴……俺とお前は似た者同士、冥夜のからだが目当てだ!」

「私は、違う」

「違わねえ! 勿論、心を通わせ想いが通じ合ったからこそ……冥夜は俺やお前にあんなことや、こんなこと、さらにはああいうプレイやこういうプレイをだな」

「……心を、通わせ……想い……通じ合う」

「そうだ! 例えばお前、考えてみろ。お前が言うような、寂しい夜に一緒に寝るような、そういうのだけで満足か? ええ?」


 連児の追求に思わず、昴の頬が火照ほてる。

 冥夜はいつでも昴に優しくて、愛し合うこと以外を全て許してくれる。自分という虐殺装置キルマシーンの飼い主は、自分を愛さぬ代わりに、あらゆるものを与えてくれるのだ。一時の寂しさを紛らわす粘膜の触れ合いも、その甘やかな関係の一端でしかない。


「そうだ……そうだった。連児の、言う通り。私は、私は……!」

「ああ! 思い出せ、昴……俺たちの究極の目的は、なんだ!」

「私の、目的……それは。それは……冥夜様の、幸せ」


 あの人にもっと、笑って欲しい。いつも笑顔でいて欲しい。だが、まるで本物の姉妹か恋人、その両方を足した関係をも上回る優しさで包んでくれる冥夜は……時々ぞっとするほど冷たい顔をしている。

 それが昴には、切ない。

 昴が愛することを許してくれる人は、絶対に昴を愛してはくれないのだ。


「私は、冥夜様に幸せになってもらって……ずっと、側にいたい」

「……それでいいのかよ、お前なあ。例の、彼氏? いるっぽいよな? そいつとくっついたらどうすんだよ」

「今と変わらない。冥夜様と、その新しいパートナーを守る」

「結婚してガキが生まれたらどうだ?」

「その子も私が守る。冥夜様の家族を、守り続ける」


 少しだけ夢見る。アトラクシアでの戦いが終わったら、冥夜にどんな日常が戻ってくるのだろうか? 時々存在をほのめかす、想い人と結ばれるのだろうか? その時自分は、間違いなく側にいる。愛する人の幸せを見守り、支えて尽くすために。

 そんなことを話したら、連児はあきれたとばかりに肩をすくめた。

 だが、彼の笑顔は心なしか、優しかった。

 畏怖いふ畏敬いけいの念で怯えて離れる者たちとは、彼は違う。


「ま、いっか。それより昴……ちょっち、いいか?」

「……わかってる。それにしても、連児。おかしい」

「おかしい? なにがだよ」

「連児のその数字が……命のストックが急激に減っている時が稀にある」

「そりゃ、お前がホイホイ殺すからだろう! 冥夜が命じるままに、いっつもデコピンで殺してるだろ? 触るならもっと、股間を中心とする半径20cmを優しくだな」

「死ぬ?」

「いえ、結構です。……でも、マジで今ちょっと困ってんだよ。な? 見ろ、残り0だ、今死んだら二度と甦れねえ」


 連児は手の甲の数字を指差し、それでも昴に気さくに触れてくる。

 そして、昴は連児とは、同じ女性を愛した仲だった。そして、それゆえに結んだ秘密の関係を持つ、一種の共犯者である。そのことだけがいつも、愛しの冥夜に後ろめたい。

 同時に、愛しの冥夜のために、連児をも偽る背徳感が罪悪感となる。


「……連児。いつも、思う。私は……悪いことをしてる。冥夜様に顔向け、できない」

「いいんだよ! 俺が生きてていつでも死ねたら、絶対に冥夜にとって得なんだよ。な? 考えても見ろ、お前は冥夜を守る最強の特醒人間だ。でも、俺はなんだ? ただの雑魚、戦闘員……いざとなったら冥夜の盾になって死ねる、いつでも死んでやれる人間だ」

「連児……お前」

「お前は違う、俺は死んでしかやれないけど、昴は違うだろ? お前は、冥夜のために生きてやれるじゃねえか。生きてる限り、ガンガンれるじゃねえか。な? あいつの敵をやっつけられるのは、お前しかいねえんだよ」


 見上げて両肩に手を置いてくる連児が、真っ直ぐ眼差しを注いでくる。

 その力に溢れた言葉が昴の胸を熱くしたが、次の瞬間には台無しにしてくる。


「わかったら、昴……出せよ。持ってきてるだろ? !」


 一瞬、いつもそうなのだが、殺したくなる。今、殺気を放って触れれば、この男は永久に消滅、絶命する。それでも、許しがたい冒涜ぼうとく……そして、そういう連児の許しがたいスケベ心に加担しているという、自己嫌悪。

 しばしの躊躇ちゅうちょの後、昴はポケットに手を突っ込んだ。

 そして……その奥から薄布を取り出す。


「今日の、体育の時間……すり替えた。つまり」

「つまり! それは、それはあああっ!」

「冥夜様が、数時間前まで身に付けていた。あっ!」

「もらったああああああっ! フオオッ、使用済みのぱんつ、だあああああああっ! シャア!」


 昴の手から、白と水色のボーター柄をひったくると、連児は迷わずそれで顔を覆う。そして深々と空気を肺腑へと吸い込みエビ反りに天井を仰いで……硬直した。

 そして次の瞬間、ぱんつをゆっくりと手にして、昴へと返してくる。

 ただの変態がそこにはいた。

 酷く達観した、悟ったような笑顔の連児が昴に向き直る。


「ありがとう、昴。……おっ、すげえ! 一気に残機が8まで回復したぜ! 見ろ!」

「あ、ああ」

「あとはお前が使え、昴。なに、大丈夫だ……お前のために、俺は一吸ひとすいしかしてねえ。しかも、吸い込んだまま吐き出していねえ。そりゃ、ちょっとは冥夜の匂いや香りが薄れたかもしれないし、風味も損なわれたかもしれない。だが、冥夜のぱんつの所有者はやはり、お前だ! お前しかいないんだよ!」

「……連児、お前……下衆げす外道げどうな真性の変態だな」

「おいおい、おだててもなにも出ねぇぞ? よし! んじゃ、俺ぁ行くわ。またな!」


 爽やかな笑みで、颯爽さっそうとイイ笑顔で……連児は、しゅたっ! と手を小さく上げるや、去ってゆく。その背を見送りながら、改めて昴は再認識した。あの冥夜が唯一、露骨に嫌悪けんおあらわにして、心の底から侮蔑ぶべつ軽蔑けいべつの念を注ぐ男。世界で唯一、冥夜が無関心を装い全く取り合わない存在……それが、真逆連児。

 連児は秘密を共有する四人組の中で、誰もが知ってる本物の変態、アホだった。

 それを再確認して、昴は……冥夜のものだといつも騙してる、

 目の前で自分の下着に顔を埋める連児に、不思議と忌避きひの感情とは別種の気持ちが生じているが……それを昴は、言葉にして言い表すことができないのだった。

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