とある陰陽師の不運な一日


「おじちゃんなんかだいっきらい!!!!!!!!」

「あーあーはいはいそうですか! だったらもう勝手にしろ!」


 その喧嘩は、ひどく些細なものから始まった。


 

 *****



 約束の二週間より二日ほど早く兄からの連絡がきた。


解呪成功サクラサク


 特に文字数制限もないくせに、なぜか内容が無駄に合格通知の電報みたいな文面だったが、朗報には変わりない。見た瞬間、思わずその場でガッツポーズを決めた。


「っっっっっっっっしゃあああああああああああああ!!!!!!!!!!」

「間宮さんうるさいです」

「あ、はいスイマセン……」


 隣の席の同僚に怒られて、すごすごと坐り直す。


 ひどく不機嫌そうな顔をした彼女は、薄いレンズの奥からジロリとこちらを睨みつけた。


「だいたい、仕事中に私用のスマホを覗いてないでくださいよ。人の命に関わるような大事な連絡とかならばともかく」

「すいません……もっともです。別に大した用事じゃないんですけど、ここ一ヶ月ほど意識不明の昏睡状態で入院していた知人の治療が成功したって連絡がきてつい……」


「何それ!? ダイレクトにこれ以上なく命に関わってる上に、めちゃくちゃ大事な連絡じゃないですか!!」


 駄目元のつもりで言い訳してみたらものすごく納得された。


 言ってみるもんだった。


「ちょっ……え、それ、ご親戚の方かどなたかなんですか? 大丈夫なんですかそれ?」


「あ、いえ別に血縁というわけじゃないんです。警察関係の兄経由で頼まれて、ちょっとうちで預かってる四歳児の親御さんてだけで……」


「ちっとも大丈夫じゃないじゃないですか!? もう引き継ぎとかどうでもいいんで、今すぐ帰って一刻も早くそのお子さんに親御さんの無事を伝えてあげてください!」


「へ? いやでもこの発信文書、締め切りが明日までですし……」


「そんなものはどうでもいいから! 一日遅れたって誰も死にはしないから! 仕事なんてしてる場合じゃないでしょう!? ほら、急いで! ハリーハリーハリーハリー!!」


 なぜか自分以上に興奮した同僚にはりはりと急かされてしまい、結局ロクな引き継ぎも出来ぬまま追い出されるように早退することになった。呪われているのに元気な人だ。


 そう、人の仕事を半ば無理やりもぎ取って強制帰宅させてくれた彼女――徒野さんは呪われている。サカヤの母ほど重い呪詛ではないが、彼女の肩には一か月ほど前から一匹の鬼が憑いている。


 以前、識に職場の同僚が(呪詛られているせいで)気になって仕方ないと愚痴ったことがあったが、その当の同僚というのが彼女だ。とはいえ、一か月間にも渡って長々呪われていてもピンピンしている通り、別に命に関わるような深刻な呪詛ではない。


 せいぜいが、コピーを取りに行くたびに用紙切れになっていたり、自販機で飲み物を買うたびに補充直後でクールでもホットでもない商品が出てきたりとその程度だ。根は悪い人ではないが、根っこ以外の概ね全てが悪い人でもあるので、誤解されやすい所がある。おおかた今回の呪詛も口や態度が災いして恨みを買ってしまったのだろう。


(ま、仕事も代わってもらったし、今度お礼代わりに祓ってやるか)


 情けは人の為ならず。義を見てせざるは勇無きなり。慈善とはいえ、あまりおおっぴらにやってタダ働きが宗家にバレては面倒だが、要はバレなきゃいいだけだ。あの程度の邪魅ならば大仰な禊など必要ない。呪符を裏紙代わりにしたメモ帳とかを作って、ごくさり気なく譲ってあげることにしよう。たとえメモ帳代わりに使ったとしても、込めた霊力さえ安定していればちゃんと効力を発揮するはずだ。多分。


 ちなみに、春明にとってこのアイデアは純粋に混じり気ない百パーセントの善意によるものなので、一般的なOLが同僚からメモ帳と称して和紙に墨で五芒星とか書かれた呪符束を渡されたりしたら、普通はドン引きを通り越してただただ恐怖されるだけだということには気づいていない。そういうところが彼のモテない最大の理由なのだが、本当に気付いていない。狐は多分気づいているが、言っても無駄なので伝えていない。


「ふんふんふーん」


 いつもより数時間ほど早くなった帰路を、呑気に鼻歌など歌って帰る。はたから見たらごく普通に怪しい人だが、あいにくこの時の春明は特に周囲の視線など気にならなかった。それよりも、一刻も早くこの朗報をサヤカにも伝えてやろうと思い、式神に連絡を入れる。


「同僚に職場を追い出されたので今日はもう帰る。ついでに保育園のお迎えもしていくから今日はお前が行かなくていいぞ、と」


『待ってください待ってください!! 一体何をやらかしたのですかあなたは!?』


 ぽちぽちと狐にメッセージを送ると、なぜか尋常でない速さでレスが来た。むしろ読み終わるより先に着信が来た。直接魂に喚びかけたわけでもないのに随分と早い。やはり一日中家にいると暇なのだろう。


「なんだよなんだよ暇人かお前。めっちゃ反応素早いな。光のように素早いな識の癖に。いつもは既読スルーとかしてくる癖に」


「普段の内容空っぽな主殿のLINEと職場追放事件を同じレベルで語らないでください! いまから帰るとか昼に何食べたとか今日は外が寒かったとか、そんな話題なんて正直どうでもいいっていうか、いちいち聞かされても困るだけなんですよこっちとしても! それより、一体何があったんですか!?」


「ちょっと待て! お前、俺とのLINEそんな風に思ってたの!? え、待ってそれ酷くない!?」


 珍しくビックリしたらしい式神の問いかけに一部聞き捨てならないものを感じて、こちらこそビックリして聞き返す。


「だってあれ、もともとお前に言われて始めたんじゃん! 帰り時間がいつもバラバラだから、仕事終わったら連絡するようにって! だから毎日ちゃんと退社時に帰ります連絡してたし、けどそれだけじゃ味気ないかなーって俺なりに気づかって色んなネタを付け加えてたのに!」


 ひどくなーい? と受話器越しに愚痴るが、相手の同意は得られなかったようだ。むしろいつもより素っ気ない口調で、呆れたようにため息をつく。


「酷くないです。待つ側としては帰宅時間に応じて風呂を焚いたりせねばならんので連絡自体は欲しいところですが、ぶっちゃけただの気分報告とかされても困ります。相談事や用事があるならともかく『今日は昼飯に唐揚げ食べた美味かった』とか送られて私にどうしろって言うんですか。イベントのない小学生の絵日記ですか。はいそうですか以外の感想が思いつきませんよ」


「お前の反応がやけにいい時と悪い時の差があるのはそのせいだったのか……」


 よかれと思って送っていた報告がまさかウザがられていたとは思わなかった。


「個人の日常の些事にいちいち反してくれるのは、嫁御と母親ぐらいなものですよ。大多数の人間は他人のことなどどうでもいいのです。食事と天気の話題しかネタがないのなら、特定個人ではなくツイッターやFacebookなど不特定多数に向かって発信なさい。主殿はもう少し、人の心の機微と対人間における距離感いうものを学ぶべきかと」


「すごく含蓄のある言葉なんだが、それ狐に言われてもな……」


 SNS上における人との距離感について狐から諭された。


 そろそろ世を儚んで自害しても許されるレベルな気がしてきた。


「そんなどうでもいいことは本気でどうでもいいので、早く詳しい事情を聞かせてください。遂にというかとうとうというか、もう今更っていうかむしろ逆になんで今までなってなかったのかと疑問ですらあるのですが、やはり職場をクビになったのですか?」


「お前こそ対人間における距離感の前にまず主君の心の機微を学べ。ここぞとばかりにずらずらとムカつく副詞ばかり並べやがって。俺が傷ついたりしたら一体どうするつもりなんだ」


 割と真剣に怒ってみるが、狐はまったく気に病む様子もなかった。むしろこちらがふざけているとでも思ったのか、声に叱責の色が増す。


「ですからそんな考慮にも値しないようなどうでもいいことは置いといて。一体何があったんです? 場合にとっては私も、今後のローンの支払いプランとそれに応じた資産運用の額を検討し直す必要があるのですよ!?」


「お前資産運用なんてしてたの……?」


 家事雑事を担っているのは知っていたが、まさかそこまでしていたとは初耳だった。


 資産運用をする式神。

 行動が初耳どころか存在が初耳である。


 式神というのは本来、陰陽師によって使役される鬼神の一種だ。性能によってその用途は多岐に渡り、主君を護るもの、敵を討つためにあるもの、中には識のように日常雑事を専門とする非戦闘型のタイプもいるが、主君の資産運用をしてローン管理までする式神というのは寡聞にも聞いたことがない。


 ていうか、自由すぎるだろうちの式神。

 何してんだよお前。


 ひょんな事から明らかになった意外な間宮家の財政事情に驚くが、考えてみれば勝手に金が増えてくれるのはありがたい。むしろ何の問題もない。願わくばこの調子で主君を不労収入で賄えるまで頑張って欲しいものだ。


 だが軽口を叩いていても心配自体は本気でしているのか、式神の口調にはいつにない焦りの気配があった。それを意外に重いながら、宥めるように笑って告げる。


「だーいじょぶだって。マジに心配いらないよ。今日、兄貴からサヤの母ちゃんの解呪に成功したって連絡が来てさ。喜びのあまり思わず職場でガッツポーズしてたら、会社の人が今日はもういいから帰りなさいって言ってくれたの」


 嘘ではない。実際に言われた言葉に五十枚ほどオブラートをかぶせてみたが、言われた内容そのものは嘘ではない。理由を聞いてよやく安心出来たのか、識もほっと息をつく。


「ああ、なるほど。そういうことだったのですか。主殿は善き職場に恵まれているようですな」

「ああ。首の心配はいらない程度にはな」


 どちらかというと賃金契約を結んでいる職場よりも、より強固な主従契約を結んでいる筈の式神との関係の方が危うい。いっそ何かしたのかと自分で自分を疑ってしまうほどだ。


 いや本当に何かしたかなぁ俺?

 こいつの主君の筈なのになぁ。


「そんなわけなんで、今日は俺がこれから保育園に迎えに行くよ。早くサヤに母ちゃんのこと知らせてやりたいし」

「ええ、承知いたしました。サヤカ嬢も大層喜ぶことでしょう」


 ああ。きっとそうに違いない。


 弟子の喜ぶ姿を想像するだけで、自然と頬が緩むのを感じる。逸る心を抑えつけながら保育園に向かうと、予定よりかなり早かったためか着いた先で驚かれた。


「もー! なんでおじちゃんもう来ちゃったのもー! せっかくパズルはじめたとこだったのに!」


 驚かれただけでなく怒られた。


 いや怒られるのかよ。

 俺が何をしたんだよ。


 わりとあちこちで踏んだり蹴ったりだった。


 ぷりぷりしながらパズルをしている(帰ろうとしない)サヤカを見て保育士さんがくすくすと笑う。


「サヤちゃんってば素直じゃありませんね。朝来たときはいつも、おじちゃんがおじちゃんがーってずっとお話してるんですよ。なのに、実際にご本人がお迎えに来ると照れちゃうんですね」


「そうなんですかね……?」


 若く可愛らしい保育士さんのフォローとなればもちろん謹んで受け入れたいところだが、こちらに背中を向けたまま、頑なに帰宅を拒んでいる弟子の様子を見ると、あまり素直に信用は出来そうにない。弟子の丸っこい小さな背中は、わたしはあくまでこのパズルで遊び終わるまで家に帰らぬぞという強い意志に満ちていた。


「サヤー、せっかく早お迎え来たんだから帰ろうよー」


「だめ!! いまちょっとパズルはじめたところなの! おわるまで待ってて!」


「ええー」


 それでも婉曲に声をかけてみたら、かなり直接的に怒られた。ここまできっぱり拒絶されては仕方ない。大人しく隅っこの方で待つ。


「なあなあ。じゃあ俺が手伝ってやろうか? このピースそっちじゃなくてここじゃね?」

「やめて! いまサヤがやってるのにおじちゃん邪魔しないで!」


 さりげなさを装ってアドバイスをしようとしたら、かなり盛大に怒られた。


 仕方ないので今度こそ何もせず座って待っていると、代わりに興味を持った他の子供たちがちょこちょこ膝に乗ってきた。大人しく椅子になっていると、サヤカがものすごい形相で睨んでくる。


「だめ! おじちゃんはサヤのおじちゃんなの! おりておりて! みんなは勝手にのっちゃだめ!」


 怒ったり怒ったり怒ったりと色々忙しい難儀な奴だ。


 ようやくパズルが終わった頃に声をかけたら「まだかたづけしてないでしょ! おかたづけしてから!」とまたしても怒られ、ならば片付けを手伝おうとしたら「自分でできるの!」と怒られた。


 なんかしたかなぁ俺。


 今日の正座占いはそんなに悪くなかった筈なんだけどなぁ。


 結局、一人で片付けをして一人でコートを着て一人でリュックを背負い一人で靴を履くサヤカを、最後までじっくり待ってから帰宅する。


 さっきまでぷりぷりしていた筈の弟子は、しかしそんなことはとっくに忘れてしまったのか、保育園を出る前に当たり前のように手を伸ばしてきた。


「ん。おじちゃんおてて」

「……お前って本当に自由だね」



 手袋に包まれた小さな手は、拒絶される可能性なんて考えたこともにないかのように、ただ当然の様に握り返されるのを待っている。無邪気なてのひら。


結局二人で仲良く家に帰った。

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