真相

見舞いというものがよく分からない。


もちろん知識としては知っているが、逆にいうとそれ以上のことはよく分からなかった。過去に知人で入院をしたことのある者もいない、そもそもが本人をして病院嫌いということもある(前話参照)。ゆえに、間宮春明はこれまでの人生において見舞いをするという経験がなかった。


「お見舞いの品ですか。一般的には果物籠などがセオリーですが、実際のところは相手にもよりますねえ。たとえば開腹手術をしている相手に食べ物の差し入れとか、見舞いどころか喧嘩案件ですし。花束、というのも見かけは華やかではありますが、寝込んでいる方に水の入れ替えは結構負担にもなりますし。あ、かといって鉢植えは論外ですよ。そもそも根を張る植物は『根付く』と申しまして……」


などと、以下延々と続く狐からのアドバイスという名の小言は割愛。


まったく、年寄りはこれだから困る。


結局、悩んだ末にちょっといい紅茶の詰め合わせを持っていくことにした。手ぶらというのは如何にも体裁が悪いし、かといって初対面の女性相手に花を持っていくというのも気が引けたからである。茶葉であれば賞味期限も長いし、退院後にも邪魔にはならないだろう。珈琲は酸化するのでアウトだけど。


別に茶葉に詳しいわけではないので、予算を伝えて店員さんに見繕ってもらう。女性向けの贈り物だと告げると、綺麗にラッピングをした上に造花のミニブーケまで添えてくれた。これも花束というべきだろうか。


(ま、いいか)


丁寧にリボンで結ばれてしまったあとでは、今更いらないですとも断りにくい。素直に受けとって病院へと向かう。


病室も病院も兄からは何も聞いていないが、仮にもこちらは陰陽師なのだ。氏名さえ分かっていれば、居場所を調べる程度は容易い。


都内某所。先日サヤカが入院した救急病院に負けず劣らずの規模を誇る病院だ。平日にも関わらず、待合ロビーにはかなりの人数がいる。


エントランスで受付を済ませ、エレベーターで迷わず最上階へ。それなりに広い病院だが、中でも最上階にはたった四つしか病室がない。その全てが個室だ。その分セキュリティも高く、一階の総合受付とは別に最上階にだけ専用の受付がある。身分証の提示と患者専用に配布される暗証番号によるロックの解除。その二つが揃わないと受付より先に進めないが、兄の名前とサヤカの保険証を出すことで許可が下りた。


『彼女自身』に意識がない以上、本人から暗証番号を教えて貰うのは不可能であること。あるいは兄からの事前案内があったのかもしれない。


中からロックを解除してもらい、奥へと進む。四つしかない扉のうち、ネームプレートがかかっているのは二つだけだった。念のために名前を確認してから、一応礼儀としてノックする。


意外なことに、返事があった。


「はーい、どうぞー」


ヘリウムより軽い声に従って扉を開ける。すると。


「やっほー、ひっさしぶり春明! 元気してたー?」

「……やっぱりいやがったなクソ兄貴」



自称現在、小笠原諸島に絶賛出張中である筈の兄が、当たり前のようにそこにいた。



 *****




「お、手土産持参なんて、お前にしては珍しく気がきくねー。何買ってきたのー? みせてみせて」


にこにこと図々しくも快活な笑顔を浮かべて、なぜか手土産をねだってくる兄の元へ。


カツカツカツカツと迷いなく近づき――近づいた勢いそのままに容赦なく蹴りを叩き込む。


ぐしゃり、と。


長年愛用している革靴の底が、兄の顔面にめり込んだ。


「痛い痛い痛い痛い痛い痛いいたたたた! 待って待って久しぶりの再会だっつーのに、なんでエンカウント〇・一秒でいきなり兄の顔面踏みつけてるのお前! ていうか痛たたたマジで痛い!? やめて!? 踏みつけたあげくに全体重をのせてぐりぐりやめて!? つーか骨折れる!? 鼻骨は柔らかいからこれマジで折れるってか、やばいやばいやばいやばい痛い痛い痛い!?」


「やかましいわ。なんで当たり前のようにしれっと居やがるんだてめぇは」


聞き苦しい元気な悲鳴を上げ続ける兄を、容赦なく踏みにじる。


「くっそ……予想はしてたけどくっそ。実際にいるとなると、これはこれでウルトラ腹が立つな……」


ギリギリと歯ぎしりをしつつ、ぐりぐりと踏みつけるのはやめない。そろそろ本格的に痛いらしく、兄の悲鳴に若干か泣き声が混じりつつあったが、それでも断固としてやめなかった。


「よ……予想してたなら何もここまで怒らなくても……ていうかむしろ、そっちは俺の予想よりも早かったねここに来るの」


「黙れ。小笠原諸島はどうしたこのペテン師」


さりげなく失礼な台詞を抜かす兄を、角度を変えて抉りこむように再度踏みつける。案の定、兄は盛大な悲鳴をあげた。


「たんまたんまたんま待って痛い痛いそろそろ本気で痛いからちょっと一回落ち着こう⁉︎ やめてやめてって言ってるのにさらに体重かけないで! う、嘘じゃない! 嘘じゃないって、小笠原諸島はちゃんと出張で行ってきました! 行って即座にとんぼ返りしてきただけで別に嘘はついてないってば!」

「うっせ」


まあ、お土産はないんだけどね、と、にっこりと愛想よく笑う兄の踏みたい顔面を、さらにぐぐっと体重を載せて五センチほど凹ませると、兄はようやく静かになった。


見ず知らずの女性が入院している筈の個室で、その部屋の主である患者に挨拶もせず、いきなり兄弟喧嘩を始める。


冷静にというか、常識的に考えてもまずあり得ない、大層無礼な態度だったが、当の女性がその非礼を咎めることはなかった。


当然――だろう。


彼女はずっと眠っているのだから。

眠り続けているのだから。


それはとても美しい女性だった。


入院中のためだろうか、肌色はやや白く化粧っ気は一切ない。だが静かに閉じられたまつげは影が出来るほどに長く、鼻梁は高く、豊かに波打つ髪は愛娘と同じく黒々と艶やかだった。


一つ一つのパーツが日本人らしからぬ大きさで、かつ絶妙なバランスで配置されている。娘であるサヤカはまだ子供ということもあり、顔の造りにやや隙があるが、逆にいえばあれは人間らしさがあるとも言えるのだろう。娘の面影を残しながらも、彼女の完成形ともいえる美貌を持つ母を見ると、より一層そう思う。なまじこちらは瞳を閉じて意識もない分、下手すると人間というよりも精巧に創られた人形のようにも見えた。


だけど――彼女は美しかった。


たとえその瞳が一度として開かれることはなくても。

たとえその口元に呼吸を補助する酸素吸入器がついていても。

たとえその身体に生命維持装置が繋がれていても。


静かに横たわる彼女は、間違いなく美しかった。


阿呆な兄弟喧嘩にも、文句一つ言わずに眠り続ける女性を見おろし、兄に尋ねる。


「……えーっと、その、この女性がサヤカの……お母さん?」


「うん。サヤカちゃんのお母さんの彩華さん。……彩華さん。俺の弟の春明が来ましたよ。ご挨拶したいってさ」


兄が昏々と眠り続ける女性にそっと声をかけるが、当然のことながら返事はない。微かに響く機械音だけが答えだった。


「――とまあ、こんな感じでせっかく来てもらったところで挨拶は出来ないんだけどさ。話は俺が聞くよ。お前が聞きたがってる大抵のことには、多分答えられると思うから。とりあえず立ってるのもなんだし、その辺に座れば?」


自宅の如き気軽さの兄に促され、近くのソファに腰かける。部屋は広く、患者のベッドは勿論のことトイレやふろ場やテレビ、来客用ソファのみならず、簡易キッチンまで備わっていた。下手なホテルよりも快適そうだ。


兄は手慣れた様子でキッチンに向かうと、人が手土産に持参した紅茶のラッピングをばりばりと(勝手に)ほどき、それでお茶を淹れてくれた。


「どうぞ。粗茶ですが」

「ぶっ飛ばすぞ」


それでも淹れられたお茶は香り高く、悔しいが美味しい。いつも飲んでいるその辺の紅茶とは格が違うのがよく分かった。いや待て。冷静に考えてみれば、格というよりそもそも値段が違うので当然だ。しかもその金は自分が出したものだった。


その高級茶葉でちゃっかり自分の分まで淹れた兄が、こちらが文句を言うより先にどっかりと向かいのソファに座る。


「――にしても、彼女の容体によく気づいたね。俺としてはさっきも言った通り、ここまで来るのが予想より随分早かったなってとこなんだけど」


「別に……つーか気づいたのは俺じゃなくて識だし」


兄の問いに、ぶっきらぼうに答える。母親を探そうという話が出た時、そのことを真っ先に指摘したのは狐だった。


曰く。サヤカという子供はどこからどう見てもまっとうに育てられた普通の子供である、と。


さらさらとした艶やかな髪は伸びすぎも短すぎもせず綺麗に切りそろえられており、栄養を十分にとっているため肌ツヤもよく、身体は幼児らしい丸みを帯びてふっくらとしている。そうはいっても子供の肌は、実は大人よりはるかに繊細なので些細なことでも荒れやすいそうだが、きちんと保湿していたのかかさつきもなくきめ細やかだ。


服は高級品でこそないが穴あきやほつれや染みもなく、よく遊ぶわりに靴も泥だらけというほどではない。育児放棄などとは程遠い、そばにいた親が細かいところにまで目を行き届かせているのだと、一目でわかる子供だったという。


逆に言えば。


そこまで我が子に関心を寄せている親が、これだけ長い間、子供を放置するはずがない、というのが人ではない狐の出した結論だった。


仮に入院で身動きの取れない状態であっても、今の時代、せめてメールからなにやらで連絡を取ろうとするだろう、と。


預けられている我が子がどんな状況にあるのか、確認しようとする意思がないはずがない、と。


そこまで聞けば、あとは簡単だった。


つまり前提が逆さまだった。


意思がないのではなく、意識がない。


意識不明。

意識不明の――重体。


なるほど。この理由であれば間に常に兄が立ち、あんなにも頑なにこちらと母親の接触を阻もうとしていた点に関しても説明がつく。


説明がついてしまう。


生きていても。


たとえ入院中であっても、今の彼女をサヤカには会わせられないだろう。


あの子が親を慕っているならなおさらのこと。


「いつまで経ってもサヤカを引取りにこねーわ、かといって母親の見舞いにも行かせないわで、ただの病気にしちゃおかしいとは思ってたが……こういうことかよ、くそっ……」


唾棄するように吐き捨てる。昏々と眠り続ける女性の顔には化粧っ気は一切なかったが、それでも尋常ならざるものを視る春明の眼には、彼女を彩る赤色がはっきりと見えていた。


その身体を蝕む呪詛が。


左の指先から始まって、じわじわとうぞうぞとうねうねと、肉体を侵食するように伸びていく血色の線は、彼女の殆ど半身に広がっている。血管がそのまま呪いの線となって浮き出たような呪印は酷く禍々しく、見るだけで怖気を誘うものだった。 


人を呪う式は数あれど、ここまで特徴的な呪印を描くものは一つしかない。


血呪式と呼ばれる呪詛だ。


これは対象を『血液』に限定するという非常に特殊な呪詛で、それゆえにけっして逃れようのない禁呪の一つとされている。外部からまとわりつくタイプの呪詛と違い、血液を媒介に体内に直接発生する呪詛のため回避しようがないのだ。


それだけ強力な呪詛なだけあって、発動自体にも厳しい制約がある。その第一の条件は、、というものだ。


彩華の半身を彩る呪印を見て、春明は断言した。


「これだけ強力な血呪となれば、術者は間違いなく彼女の一親等内の肉親だ。けど確か、この女性にはサヤ以外の身内はいないって話だったよな? サヤが母親を呪うなんてありえない。だったらいま、彼女にこの呪いをかけてるのは一体誰なんだ?」


なんのためにあんな嘘をついた、と。


厳しく睨みつける弟に根負けしたように、兄はそっと息を吐いた。


「嘘じゃない。伝えてない事情があるのは確かだけど、少なくとも彩華さんにとってサヤカちゃん以外に身内と呼べる存在がいないのは嘘じゃない。……その、では」


「詳しく話せ」


ぐぐっと身を乗り出すと、兄はお手上げとでもいうように両手をあげた。いかにも弱った様子で眉根を寄せる。


「多分想像ついてると思うけど……それなりにプライベートな事情なんだよ」


「分かってる。分かった上で言ってるんだ。サヤカは確かに預かりものの大事なお嬢さんだがな、同時に俺の弟子でもあるんだよ。下手に遠慮して弟子の抱えてる事情がにいつまでも知らんぷりしてて師匠なんて務まるか」


聞く覚悟があるからとっとと話せ、と言うと。


兄は少しだけ驚いたように目を見張り、小さく笑った。そっか。お前がそんなことを言うようになったか。


それは如何にも上から目線の実に兄らしいセリフだったが、彼はしみじみとした口調でもう一度だけそうか……と呟いてから、分かったと頷いた。





「分かった……俺の知る限りのことは全部話すよ。でもその前に――俺は一つだけ、お前に謝らなきゃいけないことがあるんだ」

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