黒い服のサイコ

櫻田ミリ

サイコ1

 気になる女がいる。恋人でも好きな女でもない。

 我が高校で俄かに話題になったその女は、目撃情報によればいつでも黒い服を着て歩いているという。足元は慣れない黒のヒールで、微かに体を左右に揺らしながらただ歩いているのだというからあだ名を魔女とされていた。

 気味が悪いというのが多勢で、しかし話を聞いた自分としては甚く気になったものだから、独自に調査を始めるに至った。

 大体、平凡な毎日を学校で過ごすばかりではつまらない。最初はその程度の動機で退屈凌ぎの軽い気持ちと抑えきれない好奇心からだった。


 高校の中でも見た者は殆どが地元の人間に限定されていた。尚且つ、余り深く関わりたくないようで碌な情報は集まってこない。

 痺れを切らして尋問先を下級生の階へと移すと、案外すんなりと様々話す者に出くわした。

 その後輩は魔女を尾行したことがあるのだという。


「なんとなく気になるんですよね。細身で、後ろ姿が。がたがた揺れてはいるんですけど、背筋がぴしっと伸びていて」

 そうか、好みかと訊けば、そんなことはないと真っ赤になって否定するのだから分かりやすい。ここまでで魔女に対して好意的な人間には初めて出会った。

 更に尾行時の情報を聞き出すと、魔女は同じ場所を延々と周回しているらしい。

「それで?最後はどうなったんだ?」

「辺りが暗くなってきたので怖くなって帰りました」

「うつけ。」

 思わず口を突いて出てしまった。しかし他人に任せたところでまるで話に進展がないことはよくよく分かった。

 どうやら自分の足を使うしかないとなった段で、その後輩が自分も付いていきたいと名乗り出てきた。

 実際に魔女を見ている人物、それも積極的な者であれば断る理由もなかったが、再度好みかと訊くとやはり真っ赤になってしまった。


 放課後、連絡先を聞き出した後輩を呼び出すと以前に魔女を目撃したという場所まで案内させる。

 案内されたのはこの辺りで有名な廃墟然とした病院と貯水地兼運動場がある。

「この辺りから、界隈をぐるっと一巡するのを只管繰り返すんですよ。どこに行くでもなく」

 案内させながら魔女の巡回路を辿って歩く。横断歩道を一切渡らずに、近所の寂れた商店街を抜けて、何十年と時計を生産し続ける大工場の前を通って再び病院の前に立つ。

 一先ず病院と貯水地との間の狭い路地に腰を降ろすと、魔女が現れるまで目的の人物の外見的な特徴を聞き出すことにした。

 曰く、ヒールを履いている所為か背は高く、痩身で体型や姿勢の良さがモデルを思わせること。全身黒の女優帽に膝丈のワンピースで春先にも関わらず長袖の黒レースのカーディガンとタイツで徹底的に地肌を見せない格好らしい。

「何処かのお嬢さんなんじゃないか?」

「まぁ、そんな雰囲気もありますよね。後ろ姿だけでも綺麗そうな人だとは……」

 そこまで言って口を噤む後輩にニタニタとした視線を向けてやる。


 しかし、まだ現れないらしいな。

 じっと待つのは自分の性分に合わない。それならば、ついでに隣の廃墟然とした病院にでも行ってみるか。本当に動いているのか怪しいが、この病院もまた曰く付きだった。

 まず外観からして怪しい。高いコンクリート塀に囲まれており、更に内側に目隠しでもするように松の木が隙間なく植えられている。松の高さは校舎の3階か4階程で、外からは建物さえも良く見えない。

 今は精神科を標榜しているが、患者の出入りを見たという話が一切なく、それでも数年前に拘束帯の不適切な使用で問題となりテレビ局まで来たのだというから一応機能はしているのだろう。

 嘘か真か、院長の気が狂って飛び降り自殺をしただなどという噂まである。

 気になって調べたこともあるが、昔は結核患者のサナトリウムであったらしく、閉鎖的なのはその頃からの名残なのかもしれない。

 ロケーション的には向かいに廃アパートや廃屋が何件もあり、こちらは波状の鉄板で目隠しをされているから一目で無人の廃墟だと分かる。

 まるでこの界隈一帯だけが世間から打ち捨てられたかのようだった。


「おい」

「はい」

「魔女が来るまでそこの病院を見て来る。来たら教えろ」

 携帯電話を制服のポケットに入れると学生鞄を後輩に投げやる。

「え? 危ないですよ、だってこの病院は……」

「お前がこれから言いそうなことは大体想像が付く。だから行く」

「ちょっと、そんな、一人でこんな場所に置いていかれても困りますって」

「『魔女』を一人で追い回した奴が何言ってんだ?」

 それだけ伝えると続く後輩の言い分は全く無視して助走を付けて高いコンクリート塀によじ登る。腕の力で体を持ち上げると塀に跨り、反対側へと着地する。がさがさと松葉が散り、制服に絡まるのが鬱陶しくて乱暴に叩き落とす。

 向こう側から後輩が何やら言う声が微かに聞こえるが、自分の興味はもはやこの隔絶された病院それのみである。


 ちくちくと靴底を刺す松葉を踏みしめながら松林を抜けると、入り口から駐車場に続くロータリーと、それに沿って碌に手入れもされていないと見えるつつじが群生して紅色の花を咲かせている。

 ここから窺える病棟の様子はひび割れた外壁とそこに這い回る蔦で、知らない人間が見れば廃病院と認めて疑わないであろう。

 この、塀より内側の世界を見た人間はどれだけいるのだろう。人の気配は未だに感じられないが、駐車場には車が数台停まっているから、一見して廃虚と見紛うようなこの病院が現在も機能しているという話は本当らしい。


 つつじに沿った歩道を歩くとすぐに正面玄関が見えてくる。正面から入るべきだろうか、しかし自分は病人ではないし怪我もしていないし、見舞う知り合いもない。唸るように考えていると肩を叩かれ振り返る。男だ、警備員の制服を着た中年の男。

「君は、何を」

 疑問符の無いような調子だが、これは質問だろう。

「近くの高校の生徒です。院内を見学したいのですが」

 そう正直に答えたが、

「この病院は急患と紹介しか受けません。どうかお引き取りを」

 抑揚もない調子で侵入を拒まれてしまう。幾重にも目隠しをされた中で建つ病棟や、一見さんお断わりの方針……病院だろう、そんな馬鹿なことがあるか。

 食い下がろうと口を開き掛けた時、携帯電話が振動する。後輩からメールが届いている。


『魔女です先輩』


 後ろ髪を引かれつつも警備員に従って鉄扉で閉ざされた正門から(正門と言っても車一台幅と狭く、鉄扉は錆付いて今にも朽ちそうな寂れたものだ)外へ出て後輩を置いてきた場所まで戻る。鞄を二つ抱えた彼はおとなしくその場で待機していたらしく、こちらに気付くと手招きし、そして指で示す。黒服の女を。

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