.afterwards

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 バー、メゾン・ド・モダン。

 初任給を目前にして、二度目の来店。気まずさを通り越して、居心地良さすら感じている。誰もいない自宅よりはいくらかマシだ。

 サエコさんのお通し、湯葉とトマトのカプレーゼが頭上から降りてくる。それと同時に一言。


「また新しい彼氏?」

「違いますってば!」


 隅に置けないわね、といって九条にトマトジュースを出すサエコさん。

 勝てない。

 ことりと置かれた血液色のグラスを、訝しげに見る許子。


「……トマトジュースなんてメニューにありました?」


 九条は無言でドリンクのメニューをスライドする。


「ブラッディマリーがあるじゃないか」

「いや、あるじゃないかって云われても」

「ふふふ、お客さんのニーズには柔軟に対応するわよ、機械や役人と違ってねぇ」


 ――事件が終わって。残業代が払われる見込みが薄いと踏んだ九条が、埋め合わせに奢ってくれるというから、結局いつものバーに来てしまった。というか、これではただ働きで結構ですと言っているようなものじゃないか。サエコさんの笑顔に私の労働力が溶かされていく。


「神託、というのは――」


 九条が乾杯も済ませずに、口を開いた。


「あれは、つまり環境音楽のようなものだったんだ」


 突如始まった九条の説明に、許子は呆気に取られる。何も説明しない男だと思っていたが、する時はするらしい。それもかなりタイミングを外して。


「オーグメントの機能として、利用者の気分に合わせて音楽を選曲するというアプリがある。それと同じで、あの管理AIは村人の気分に合わせて、自身のプログラムにプールされていた詩を音楽と同じように再生した。気分に合せているんだから、当然、自分が求めている一番の言葉が聞こえてくる訳だ。かなり精緻だけど、そこは馬淵の腕が良かったのが仇となったんだな」

「それが、御詞として広まっていった……んですか?」


 許子もまた、目の前に注文したカンパリ・オレンジのグラスを置いたまま。


「最初は単なる噂程度だったろうし、問題になったら製作者の馬淵が説明すれば良かった。しかし当の馬淵が詩を書いた少女を神格化し、結果として歪な形で新興宗教化した」

「それに目を付けたのが、あのバーゲルミア社の人、ですか」

「上松が求めていたのは人工知能が作る楽園、なんていう妄執だった。それを再現する為に、アイツは馬淵を始末して、自身が神の言葉を取り次ぐ者となり、宗教のシステムを補強していったんだろう」


 ここで一息つき、ようやく九条からグラスを合わせてくれた。許子は待っていたとばかりに、カクテルに口を浸す。


「しかし、本当に助かった。ありがとう」

「え、ああ。孝蔵さんのことですか?」


「内部の協力者が必要だと思ってたんだよ。でなければ、もっと手荒なやり方に出なきゃいけなかったね」

「……お礼なら孝蔵さんに云ってくださいよ」

「ああ、そうだね」


 ひまわりは枯れた。


 神託の正体は暴かれ、歩き回る死者もいなくなった。沈まない夕焼けも海の向こうに落ち、山に漆黒の静寂が降りる。フォーラムは最低限の機能を維持し、老人同士が生の身体とさして変わらぬアイコンで、集まって雑談する程度の場となった。二ツ山村の顔が、ひとつに収束していく。


 残された老人はどう思うのだろう。再現された理想郷で生きていた彼らを、またも老いと死の待つ村に追い放ったことは、果たして正しかったのか。社会人として求められた仕事はしたのだから胸を張ってよいはずなのに、その胸にしこりが残っている。


「これで良かったんですかね」


 思い詰めた許子の発言を、九条が拾う。


「D率にも限度はあるさ。高い没入は身体の健康を損なう。それにあれ以上膨れ上がっていたら、スープそのものからアポトーシス・プログラムを流されて、もっと大きな崩壊に繋がっていたかもしれない。それこそフォーラムの存続が難しくなるほどのね」


 そういった事実が、いまは聞きたいわけではない。

 許子が口を開くか迷った所で、九条はカプレーゼに箸をつけた。その様子に気勢を削がれ、許子も同じようにサエコさん自慢の一品に舌鼓を打つ。


「彼らは信仰を捨てないだろう」

「どうしてそう思うんですか?」

「神託は、その原典を暴かれて、なんの意味も無い、ただの多感な少女の綴った詩だと知られた訳だ。だが、だからといって、あの老人達は祈るのを止めはしない。善い悪いじゃなく、それが信仰というものだ。例えフェイクの楽園が失われても、彼らが必要とするなら、祈りは続くはずだ」


 九条の言葉。

 全て納得できる訳ではないが、今の許子にとって、それが何より救いの文言だった。

 友人から聞いたんだが――と前置きをして、ふと九条が何かを悼むような表情を見せる。


「ああいった秘密宗教で最も有名な物に、隠れキリシタンがある。彼らは何世代にも渡り、違法とされた信仰を守り通して来た。しかし明治に入り、いざキリスト教への信仰が合法化されても、彼らはキリスト教徒にはならなかった」

「え、どうしてですか? せっかく信仰しても良いってことになったのに」

「単純に合わなかったんだ。隠れキリシタンというのは、秘密裏に信仰を続けている内に、既に最初に伝わっていたキリスト教から大きくかけ離れ、独自の信仰を持っていた。だから彼らは正しい教えではなく、自分達が守り伝えてきた教えを信じる道を選んだ」


 ――原典から、変わってしまったから。

 人々は正しいオリジナルではなく、変わってしまった先に救いを信じ、信仰を続けたのか。


「あの、そういった人達はどうなったんですか? まだ一部で残ってたりするんですか?」

「さぁね、どこかで奇特な人が信仰を守っているかもしれないが、多くは絶えていったと思うよ。それこそ、高齢化で信仰していた人がいなくなったから」


 弾圧の中で必死に守り続けた信仰は、静かな老いによって、その最後を迎えたのだ。

 やや、淋しさは残る。許子はカクテルの水面に顔を浮かべ、村に残った老人達を思った。日々の習慣にはなっていた信仰だけは残る。きっと彼らの代が絶えるまで、ひまわりの國は存在し続けるのだろう。しかし、その後は。

 彼らも、と口の中で言葉を作ってから、九条はそれ以上何も言わず、グラスを口に運んだ。


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