31




 九条の言葉通り、馬淵のプロフィールにあった、「ホシミ@社会不適合者」という文言について――予想を裏切る形でオープンネットには情報がごろごろ転がっていた。そのうちのいくつかを読み飛ばした後、最後に九条が寄越した動画に許子は釘付けになっている。


《やっほおー、みんな元気にしてたかな。ホシミだよ。今夜はデイパスの量がいつもの半分です。やったね♪》


 眼を丸くしてモニタを眺める許子。高校生くらいの女の子が、画面に向かって語りかけている動画が流れている。


 フリフリのスカートに鮮やかな金髪。ぴっちりとしたタイツ生地のグレーシャツ。目許には、隈を隠すかのようにバッチリと施されたマスカラ。ゴスロリに近未来成分を足したような、アニメチックな格好。出来る限り下げたジッパーの間から、今にも零れそうな胸についつい視線が行ってしまう。


 その動画の時間にあわせて、そのタイミングで投稿されたコメントが、オーグメントで表示されて数秒後にまた消えていく。そのコメントのほとんどが、動物的な、脊髄反射の文言。ホシミンは世界一可愛いよ! や、蕩れ蕩れキュンキュン丸~。ならまだ許せるが――意味は分からないけれど――その限りでない気持ちの悪いコメントも飛び交う。女の子にも見えているのだろう。


「ログに残ってた動画ファイルだから、生配信じゃないけどな。みんなこうして楽しんでた」


 モニタ越しに九条が解説を加える。テレビ電話のような形だ。

 机を退けてタブレットを置けと指示され、その通りにする。すると、置いたタブレットから浮かびあがる形で、モニタに収まっていた動画の女の子が飛び出してきた。まるでそこにいるみたいに、一五〇センチほどの少女がソファーに座り込んでこちらに微笑みかけてくる。


「……も、もう驚きませんよ」


 衝撃でいえば、幼女の面を被った老婆ほどではない。


「……」

「ちょっとお、何だつまんねえみたいな顔しないでくださいよ!」


 九条は鼻で笑った。

 腹の立つ上司だ。


《えっと私その、前回の配信で、最後のほうが途切れちゃってたのに気付かなくて、ホシミの回線が弱いのがいけないんですけど……約束通り、手ブラで配信続けますね》

「えっ」


 許子は思う。最近の高校生は過激だ。いや、そんなことが言いたいんじゃなくて。個室トイレを開けたら情事に出くわしてしまったかのような、気まずさに慌てる許子。コメントの下卑た調子がすこぶる上がっていく。ホシミンマジ天使、ホシミンマジ天使!

 ……ちょっと見たいような気もしてきた。


《みんなで、ホシミン、わっふる。ひまわりきゅーん→。ホシミン、わっふる。ひまわりキューン→。ってコメントしてくださいっ。そしたら私、脱げる気がします!》


 花が咲いたようにコメントが飛び跳ねる。ホシミン、わっふる。ひまわりキューン→。ホシミン、わっふる。ひまわりキューン→。許子も声に出しそうになった。

 顔を薄っすらと上気させて、ジッパーに手を掛けるホシミ。思わず覗き込む許子。ホシミン、わっふる。ひまわりキューン→。ジジジ、と音を立てて、欲望の川を下っていくジッパー。あとすこし、あとすこし……


「テレクラから何も進化してないな」


 九条の文句に吹き飛ばされるように、ホログラフィーが消えた。タブレットは光を放つのを止めて、抑止課は許子だけとなる。乗り出していた身を持ち直して、許子が九条を睨む。何故睨んだのか、自分でもよくわからない。


「保存されていた動画サイトがファミリーフィルターのキツいところだったみたいだね。残念ながら続きは切れてる。僕のせいじゃないから睨みつけるなよ」

「に、睨んでないですけど」


「ネットコンテンツからポルノが一掃できたとは言い難いけど、ヤバい時代だったね。オフパコ、イメプ、チャH……」

「九条さん、おっさん臭いですよ」


 九条は咳払いをして、真面目な顔に戻る。これは結構効いたようだ。

 九条が端末を操作し、彼女の近影――かなりデフォルメされたイラストであった――をタブレットに表示する。許子が拾ってそれをまじまじと見つめる。自身をそうやって戯画化するのも流行っていたのだろうか。


「ホシミ@社会不適合者。本名美星幸恵。高校に通っていた三年間、<ウァーブル・クラスタ>の地下アイドルだった。自分が主役の動画を上げて、顔の見えないネットペ……ファンと交流することで自らの承認欲求を満たすような趣味が、スープ黎明前から割と流行ってたんだ。そのうちのひとりさ」

「質問です。ウァーブル何とかってなんですか」


「ウァーブルは、ミニブログとフォーラムが合体したようなスープのサービスだ。

 基本的にはアカウントを保持したユーザが好き勝手に由なし事をつぶやくためのツールで、そのユーザが気になっている別のユーザが、返事を飛ばしたり、雑談出来るような仕組みになっている。今みたいにグラフィックやホログラフィーがネットワークの中心を締める以前の、まだテキストが幅を効かせていた頃の、言わば最後の砦みたいな感じだったな。まだ利用者はいるが、ほとんど終わったコンテンツだね。

 クラスタってのは、それにハマってる人たち、くらいの認識でいい。こっちもほぼ死語だな」


「じゃあ、馬淵はホシミンにぞっこんだったってことですか」

「あるいは、ぞっこん程度なら良かったかもしれないね」


 ホシミンのアイコンを表示していた画面が切り替わり、ウァーブルのトップページに飛ぶ。代わりに彼女のつぶやきが表示される。ずらっと並ぶ彼女の、誰に当てるでもない言葉たちが、九条のタブレット上で展開していく。




 今日はデイパスが半分で足りたよ。

 ありがとう。大好きだったよ。私のなかの私。

 月の兎は寂しいと死んじゃうの。

 だから餅つきをして、寂しさを紛らわせているんだよ。

 学校が怖い、怖いよ。でも、日曜日が一番怖いな。

 みんなの前に出るとね、少し自分が強くなった気がする。

 何も出来ない私だけど、ありがとう。



 画面がいくつかのつぶやきをクローズアップする。つぶやきにぶら下がって、いくつかのコメントが垂れている。返事を飛ばしているのは限定されたファンだけであった。


「コアなファンに支えられて、割と元気だった頃のつぶやきだ。スポンサーも付き始めて、配信も盛り上がってたらしい」

「私には思い詰めているようにも見えますけど……」

「まあ、そうだろうね。程度はさておき、こういったツールは人の内面をさらけ出すからな。馬淵のウァーブルのユーザーページに飛ぶか? 相当面白いぞ。ホシミの曲が流れ出して、ホログラフィーが確認なく飛び出してくる」


 いいですよ、と断る許子。


「何ていうか、淋しいですね。馬淵は折角京大まで出て大手に入ったのに二年で辞めて、引き篭って女子学生に熱を上げてたなんて……」

「気持ち悪いか?」


 許子は少しだけためらう。


「まあ、正直……」


 タブレットの電源が落ちた。許子はそれをテーブルの上に置く。

「誰だって闇は持っている。ネットが、デジタル・デバイスが、アナザー・ソーシャルが、そのタカを外してくれるだけだ。馬淵を擁護するつもりはないが、これは特性なんだよ。没入してしまった人間であれば、どこの誰にも当てはまる」


 モニタ内の九条が遠い目をする。

 そこに何を視ているのか。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る