21

 ヒグラシが鳴く。


 線香の匂いが漂う居間を、許子は忙しなく歩き回る。九条相手に軽口を吐ける分、恐怖心は薄れているが、死者の家に一人で上がり込み、終わらない夕暮れの中に取り残されている。そうした自分を意識すれば、たちまちに座り込んでしまう。許子は、現状認識を努めて頭の隅に追いやった。

 ただ一つ。どうしても避けられないものとして、振り袖姿の老婆がにこにこと、生前のままの顔で微笑んでいる。


「あの……この状況、どうにかなりませんか?」

「データ上は、君が花田氏になってる訳だからね。奥さんのBOTも夫だと認識して、身内用の反応をしている。無下にするには忍びないだろう」

「家探ししてる現状も、相当に忍びないんですけど」


 憎まれ口を叩きつつ、九条の言う所の「教会への鍵」を探す許子。家中の端末を着けては消し、一つ一つを遠隔で確認して貰う。そして時折、思い出したかのようにBOTが話しかけて来て、その度に心臓を冷やす。


「私は先に逝っとるで。父ちゃんも御詞を貰て、一緒の國で暮らそうなぁ」


 老婆が優しい口調で、定められた言葉を紡ぐ。


「一緒の國、って」

「恐らくは、ひまわりの國のことだろう。例の新興宗教だ」


 畳敷きの寝室に入り、さらに探索を続ける許子に九条が返す。


 ――ひまわりの、國。


 寄合所で見せた、村の人間達の反応。墓場に浮かび上がる死者。終わらない夕暮れの風景。そして新興宗教。許子を包む全ての風景が、少しずつ歪んでいく。もしかしたら、あの時、駅前でオーグメントを開いた瞬間から、自分は別の世界に迷い込んでしまったのではないか。

 そうした浮世離れした感覚から逃れようと、許子は敢えて疑問を呈す。


「九条さん、この村の人達は、どうしてこんなことになっているんでしょうか」


 少しの沈黙の後、今までとは調子を変えて九条が答えた。


「ここだけが特殊という訳じゃない」


 風。現実の風が窓から吹き込んで来て、同時にヒグラシの声が、一瞬だけ止む。


「過疎地域のフォーラムというのは、どこも似たりよったりだ。家族もおらず、外に知り合いがいる訳でもない。だから、残された村人同士で結束を固める。かつては小さな信仰や、村落規模の宗教が担ってきた役割を、歪な形でスープが引き継いだ――」


 許子は夜の闇と作られた影の間で、花田の妻の顔が絶えず揺らめいているのに気付いた。


「スープの発展によって生活の基盤そのものが、村という共同体を必要としなくなった。それとは逆に、というより、だからこそ、狭いコミュニティの人間は何かに強く依存する社会を求めた」

「それが、この村の新興宗教だって、言うんですか」


 沈黙が緩やかな肯定になる。


「九条さんは、それを壊そうとしているんですね」

「壊す、って。結構な言いぐさじゃないか」

「ごめんなさい……でも、もし今のままで、村の人が幸せなら、それでも良いんじゃないかな、って」


 生者と死者の混じる村。死を待つだけの、モノクロの村じゃない。たとえ作り物であっても、スープの中に幸せな光景があるとしたら。他人が見ていた世界が、自分も見られる。同じ世界に生きられる。許子は自分がオーグメントの世界で感じた、あの不安な気持ちを思い出していた。

 呆けていた許子の頭を、二羽の鴉が相次いでつついた。


「痛っ、くないけど」

「あまり感化されないようにな、猪原さん」


 二羽の鴉が羽ばたき、小さな寝室の電灯付近を飛び交う。


「今はまだ解らないかもしれないけど、その内に君も気づく。スープは漂い、浮かべ、全てを内包する。だけど、そこにはいつも掬い難い底流がある。そこに浸り続けた先に、何が待っているのか」


 九条の言葉に影が入る。

 月の翳りが、電子の空に蚕食されて。


「さぁ、仕事を続けよう。あまり長く留まるのは、さすがに問題がある」


 そうした現実的な提案を受けて、許子も余計な思考を排して手足を動かすことを決めた。

 しかし、いざ花田氏の家にあるデバイス家電を隅から隅まで調べても、それらしい――秘密宗教の儀礼に関するものですら――形跡は何一つ見つからなかった。遠隔地からデータを閲覧している九条本人がお手上げなのだから、許子に手落ちがある訳ではない。


「家にある端末は全部見つけたか? どこかに残っていたりはしないのか」

「うーん、そう言われましても。そもそも、本当に鍵みたいのがあるんですか?」


「恐らくはパスワード、それも比較的複雑なものだろう。二ツ山村のフォーラムは、その秘密宗教については特に秘匿性が高い。だとすれば、老人であろうとなかろうと何も見ずに諳んじれるような類ではない。個人用のスペースにそれとなくコピーして保持しているはずだ」

「パスワード、ですか」


 許子は思考する。機械が苦手な自分ならどうするか。重要な情報だけれど、他人には見せられない。そんな時は――


「金庫とか、どうでしょうか」

「金庫?」と九条の驚きの声。


「はい。まぁ、そんなに凄くなくても良いんですけど、私、家でパスワード箱っていうの作ってるんです。覚えにくいパスワードとか、忘れたらまずい暗証番号とか、紙に書いておいて、鍵付きの箱に入れてるんです」

「なるほど。今回の案件が終わったら、一度セキュリティについて話したい」


 許子は、九条の声音が不自然に変化した理由がわからない。


「それで、さっき金庫みたいのを見つけたんですけど、もう一回確認しましょうか?」

「ああ、まぁ、念の為、ね」


 九条のトーンが下がるのと同期して、空を飛ぶ鴉達も低空をうろちょろしている。彼らを腰辺りで舞わせておいて、許子は居間に備えられた棚の辺りを再び見回す。畳の饐えた臭いと埃と線香、それらが一体となって懐かしさと不気味さを届ける。


「あ、ありましたよ。金庫です」


 棚の下部、開けられたままの地袋から、鈍色の金属製の箱が覗いている。


「ふむ、見た所、スープには接続していないが、それもデバイス家電形式のようだ。良いひらめきだったかもしれないな。有線で繋いでくれれば、こっちで鍵は開けられるはずだ」

「接続ですか!?」


 胸を張って鼻息を漏らす許子。眼鏡の側面からぴーっと取り出したコードを、金庫の端子に繋ぐ。一連の作業を終えて、どうだ、と言わんばかりの彼女の表情を、九条は無視した。

 少しして金庫の鍵の部分が次々と緑色の光を灯していく。


「さて、ここまでは簡単な作業だったんだが……」


 九条が溜め息を漏らす。


「どうかしたんですか?」

「こういうことだ」


 その言葉と共に、許子の目の前に赤色の文字が浮かび上がる。


『妻と初めて行ったデートの場所は?』


 空中に浮かぶ文字に、許子は顔をしかめた。


「秘密の質問、ってやつさ。パスとして、個人しか解らない答えを設定してある。無視して突破できなくはないが、少し面倒ではある」


 それって――。


「あの、でも、これって」

「どうかした? 僕は少し、本腰を入れて鍵開けの作業に……」

「実際に聞いてみたら、どうでしょう?」


 許子の視界には、変わらず笑みを浮かべる老女の幻。



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