イエローフラッド終末予測

逃ゲ水

1.初任務

第1話

 斬る、斬る、斬る。

 斬って、斬って、斬りまくる。

 何か目標があるわけでも、楽しんでいるわけでもない。

 ただひたすらに斬り続けること。それが自らの使命、生きる理由だと信じていた。

 だから、狂ったように、壊れたように、斬り続けた。

 

 溢れかえるほどの怨嗟えんさの声を聞きながら。


   ◆   ◆   ◆


 重層都市セチエ。

 関東平野の沿岸部に屹立する、一辺十キロメートルの正方形を五層、更に局所的には六層、七層、八層……と、まるで重箱を重ねるかのように築き上げられた巨大な黒い箱だ。

 内部には発電所や植物工場を始め、病院や学校、各種処理場に娯楽施設、もちろん数千万人分の居住地も内蔵されており、いわゆるアーコロジーに近いものになっている。

 そんな重層都市セチエの四層目の一画に、一つの小部屋があった。

 本来はある研究室の一部屋だったその場所は、今は一人の男の寝室となっている。



 コン、コン、と控えめなノックの音が響く。

 部屋の主、米良野めらのゆうは滅多にない来客に眉をひそめながら、ソファから身を起こした。

「入れ」

 ドアの向こうにそう呼びかけると、引き戸がゆっくりと引き開けられ、「緊張してます」と書いてあるかのような顔で少女が現れた。

「……誰だ?」

 ユウは率直に見知らぬ少女へと問い掛けた。すると意を決したか、少女は息を大きく吸い込んで答えた。

「今日からお仕事をご一緒させていただきます、告天寺こうてんじ明日香あすかです! よろしくお願いしますっ!!」

「とりあえずドア閉めてくれ。あとそんな声出さなくても聞こえるから」

 静寂を突き破る自己紹介に顔をしかめながら、ユウはそう言い放った。


 アスカが持ってきた書類に目を落とし、ソファにゆったりと腰掛けるユウ。そこからテーブルを挟んだ反対側の丸椅子には、こじんまりと座るアスカ。

 その様子はさながら面接だった。

「あのぅ……さっきはすいませんでした」

 その「さっき」とは打って変わって、蚊の鳴くような声でアスカは謝る。

「何が?」

 書類から目を離さないまま、ユウは平坦な声で聞き返す。

 すると、アスカは耳の下でくくったツインテールを申し訳なさそうに揺らす。

「私、緊張するとつい大声を出してしまう癖がありまして……」

「ああ、あれ。直した方がいいかもな」

「ですよね……がんばります」

「まあ、それはいいとして。俺の仕事って何か分かってるか?」

 一通り目を通し終えたのか、書類をテーブルに置いてユウは尋ねた。

「はい! 『アプサラス』の駆除ですよね!」



 現在、地球上にはセチエの他にも八個の重層都市が点在している。これらはかつて増え続けていた人口に対して考え出された、限られた面積により多くの人間を住まわせるための一つの策であった。

 しかし、現在の地球人口はどんなに多く見積もっても一億二千万。それなのに重層都市の建造をしなければならなかったのは、ひとえに人類の居住域が狭まり続けているからだった。

 『黄の海イエロー・シー』、そう呼ばれる海の如く巨大な生物群体が地球上に現れたのはおよそ三十年前。それがゆっくりとしかし着実に地上を侵食し、ついに現在では陸地の99.9%、九個の重層都市とその周辺を除いた陸地の全てを、その黄色い細胞は覆い尽くした。

 この日本もセチエの建つ関東平野一帯だけが辛うじて無事な状態で、他の地域にはもはや人間のいた痕跡すら残っていない。


 当然、大地を奪われた人類は『黄の海』を駆除しようとした。

 黄色く変わり果てた大地には爆弾が投下され、黄色い細胞達はあっさりと焼け死に、人類は土地を奪い返したかに見えた。だが僅か数日の後、『黄の海』は何事もなかったかのように焦土を覆い尽くし、さらに爆撃を受ける前よりも勢力を拡大していた。

 単純な爆撃では効果が薄いと見た人類は、物理的な破壊から、毒物、酸、低温、塩分、放射線、核とあらゆる方策で『黄の海』に対抗した。しかし、どんな攻撃でも『黄の海』に有効打を加えることはできず、しかも攻撃を受け続けた結果として『黄の海』は進化してしまった。

 進化した『黄の海』が獲得したのは、外敵を排除するための特別な器官。多種多様に変形して近付く者を迎撃するその器官を、人はインド神話の変幻自在の水の精になぞらえ、いつしか『アプサラス』と呼ぶようになった。


 この『アプサラス』を駆除して『黄の海』を殲滅し、奪われた土地を取り戻す。それこそが人類の最優先目標であり、そのための訓練校を卒業したばかりのアスカは、当然それが自分の仕事になると思っていた。

 だが、返ってきたのは肯定でも否定でもなかった。

「『アプサラス』の駆除……まあ、間違いではないんだが、な。それで、実戦経験は?」

 間違っていないのになんか歯切れが悪いなぁとアスカが思う間に、ユウは淡々と質問を続ける。

「いえ、新卒なのでまだです」

「あ、そう。じゃあ戦闘訓練の成績は」

「えっと、平均くらいで……」

 すると、ユウはおもむろに立ち上がった。

「分かった。戦闘準備をして出撃ゲート前に集合だ。行くぞ」

「は、はい!」

 そしてドアへと向かうユウの後を、慌てて立ち上がったアスカは小走りで追いかけた。

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