『おはようございます。今日一日の天気は気象予報機によれば雲の少ない晴れ、降水確率0%で洗濯日和であるとのことです』


 いつものニュースのスタジオに違いはない。国民全員が見慣れているセットがあり、それはとても清潔感に溢れ、朝の番組にふさわしいものだ。誰もが最初、ようやく放送機器トラブルから戻ってきたものだと認識しただろう。

 しかすすぐに異変に気づく。画面の向こうに見知らぬ少年が立ち、そしてその頭には人間にあるはずのないものがついていたからだ。


 資料に添付されていた写真よりも大きくなっていた。しかしそれでもスコパスは見間違えるはずがなかった。あの獅子の耳、あの灰褐色の髪、くすんだ黄色のネコの瞳、年齢からすれば高い背丈、わずかに見える虎の尻尾。獅子の社交性と虎の気難しさを併せ持ったような顔立ちは間違いなく。


「……エオン」


 人外の反乱の主導者、ワーライガーのエオンがテレビの向こうでキャスターを演じていた。


『さて、お茶の間のみなさんを驚かせてしまったことでしょう。自己紹介いたします、私はエオン。頭に着いている耳も腰の尻尾もニセモノではありません。つまり言うところの人外。ですが、私たちは自分たちのことを超越者と呼びます』


 アルツェロは放送局が占拠されたのだと悟る。そして昨日の歴史博物館襲撃での件もあり、すでに全員殺されてしまっているという想像までした。

 しかし不謹慎ながらに彼は、容赦のない敵に面白さを感じていた。彼の気性がそうさせていて、しかし誰も気づいていないのか、それを咎めることはなかった。


『すでに歴史博物館の件がみなさんに知れ渡っていると思われます。私はテレビをあまり見ないので、どういう報道であったか確認できていませんが、あれは私たち超越者の行ったものです』


 超越者、自分たち人外のことをこの少年はそう称した。ササラは無表情を貫いていたが、スコパスとアルジェロは小さく笑いの意味を込めた息を漏らした。


『あの襲撃をもって、我々の決起の証とさせていただきます。オーロの人間たちに、我々を虐げてきた人間たちに宣戦を布告します。と、そのためにこの放送局を占拠し、こうして放送を行っています』


 十六歳の少年の割に落ち着いている。背は高くてしっかりとした体躯を持っているけれど、まだあどけなさが顔には残っている。


『まあ、私が延々と一人で話すだけというのは面白くないので、ここで特別な、それはもう凄まじく特別なゲストをお迎えしたいと思います。アシスタントのキュアさん、準備はいいですか?』


 博士公の部屋にまた一人職員が飛び込んできた。


「閣下、電話です。ヤツらから電話を繋げと!」

「わかった、出よう。ここの電話に回してくれているのだな?」


 こくりと頷かれれば、机に置いてあった回転ダイヤル式の電話の受話器を取った。回転ダイヤルなのは、彼の趣味だ。


『こんにちは。えっと、博士公さま、ですか?』

「そうだ」


 女の子の声。その主が誰であるかはすぐにわかることになった。テレビ画面に映ったからだ。電話機をエオンの前に持ってくるために、彼女の姿が映った。

 受話器の送話口を手で押さえ、スコパスはササラに「あれがキュアリングだろう」と伝えた。そうしてまた受話器に耳を当てる。


『エオン、出てくれたよー』

『ありがとう。じゃあまたすぐに呼ぶよ』

『はーい』


 スコパスからすれば変な感じだった。相手の声が受話器からも、テレビからも聞こえてくるからだ。しかし実に技術の進歩を感じさせる。それぞれ少し仕組みの違う伝送でも、ずれを感じさせずに音声が流れていることに。


『特別ゲストです。オーロ博士公、スコパス・ヴァリツェリノ閣下』


 パチパチと彼が歓迎の拍手をした。


「ほう、お招きいただき感謝する」


 スコパスの声はテレビからも流れた。会話内容を国民に聞かせるため、電話機の拡声機能を使っている。お互いに初対面であるため、エオンもスコパスも礼儀を忘れなかった。


『はじめまして、お話できて光栄です』

「こちらこそ、はじめまして。ワーライガーのエオンくん」

『ご存知でしたか。これはまた重ねて光栄です』

「それで、今日はどういう話なのかね?」


 エオンはぽんとわざとらしく手を叩き、すたすたとスタジオの外へと歩き始めた。その動きをカメラが追っていく。

 そうしてついていった先に、視聴者の恐怖を煽る光景が待っていた。

 人質たちだ。縄で縛られ、床に座らされている。ここの職員もいれば、そうではなく、連行されたであろう人たちもいた。皆一様に俯き、カメラを向けられたとしても視線をそちらに向けることはなかった。


『番組観覧のみなさんです』

「それは人質と言うのだよ、人外くん」

『ちょっとしたシャレというやつですよ』


 そのちょっとしたシャレが、シャレではなく本当であればと誰もが思う。映されている人質たちの何人かが口をパクパクさせていたが、アルツェロが耳を澄ませてみても何も聞こえてはこなかった。


『さて、あらかじめこの中から一人を選び、椅子に座らせておきました』


 エオンがまた歩き、カメラが追う。その先に大きな背もたれのある事務椅子が置かれていて、背に向けられていた。彼が椅子を持ってくるりと回転させると、そこにはニット帽をかぶった十歳くらいの少年の、座らされている姿が現れた。

 少年と目線の高さを合わせるためにしゃがみ、さらに頭を撫でながら尋ねた。


『君、お名前は?』


 夜中、寝ている間に連れてこられたのだろう。パジャマ姿で、局にあった適当なスリッパを履かされている。エオンと視線が合ったものの、いや、だからこそより全身の震えが激しくなる。


『ムリないよね。こういうことになるなんて、まったく想像できてなかったんだから。でもなってしまったことは仕方がないわけで……。ほら、話せるようにしてあるからお名前は?』


 少し脅すために風変わりな剣を握る。アルツェロはあれが刀というものであることを、少し考えて思い出す。彼の腰には黒いモノと白いモノ、それぞれ微妙に種類の違う二口の刀があった。

 ようやく少年は蚊の鳴くような声で言った。


『……か、カイス・アミス……です』


 もうすでにカイスの瞳は濡れてしまっていた。エオンはもう一度優しく頭を撫でた。


『よく頑張った。はい、ということで彼はカイス・アミスくん。五区出身のごく普通の男の子です』

「その子をどうするつもりだ?」

『それはこれからの閣下次第でございます』


 わかりきっていたことだが、交渉材料ということだ。ここでの対応によって状況が大きく変わる。スコパスは厳しい判断を迫られることになった。


『現在、この場所にはここの職員とその近辺の住人、合わせて千五百人ほどを閉じ込めています。大体ですが、ハッタリではないです。感心なことに働き者のみなさんは、深夜でも帰宅せず多く残っていたので思ったより増えてしまったということです』


 スコパスは目線で近くにいた職員に尋ねてみるも、彼は詳しくないらしく、部屋から出て確認取りに走った。

 アルツェロは心の中でとことん、軍の動きが悪いと感じていた。軍だけではない。そもそも近辺の住人を連行しているという警察からの連絡もなかった。占拠されていることがこの放送までにしっかりと掴めなかったことに情けなさを抱く。


 ササラも同じような気持ちだろう。けれど彼女は努めているのか、表情をまったく変えずにただ画面の向こうを見つめていた。

 職員が戻ってきて、ぜえぜえと息を荒げながらハッタリでないことを認めた。


『あれ、人質を解放しろなどと言わないのですか?』

「もちろんそうしていただきたい」

『ですよね。相手が人間ならばそういう考えを抱くものですよね』

「当然だ。親愛なる国民たちの無事を願い、行動するのが博士公の務め」


 国民感情というものがある。博士公、公と名前がついているものの、それはただの名称でしかない。国民による博士公選挙によって座ることができる。

 彼が就任して十年近く、大きな事件などは起きずに時は流れ、しっかりと人気も得、そろそろ任期も終わりつつあった。再選出も制限される年数に達する。

 しかしこのタイミングで国民の不信を買うような行動を取れば、彼自身よりも、彼の所属する政党、応援団体にも波が襲い掛かってしまう。次の博士公選挙に大きく影響を与えてしまう。それだけはなんとしてでも避けなければならなかった。


『わかりました。では、解放には条件を出します』


 ついに来た。エオンはどういうラインのものを提示してくるのか、アルツェロは唾を思わず飲んでしまう。


『第五区を超越者の生活区域として、譲渡していただきたい』

「なんとま大それたことを」

『飲んでいただけないのなら、みなさんはここで人生を終えることになります』


 想像以上の無茶な要求だった。すぐさまに博士公は言う。


「すぐに決められる内容ではない。私の一存で決められるものではないのだ」

『ですが決めていただきたい。国家元首として周りをねじ伏せる、圧倒的なリーダーシップを見せていただきたい』


 歴史博物館で人質が全員殺されている。政府としてはその情報を国民に広めたくはなく、非常事態宣言を出すもすでにマスコミによって誰もが知ることとなっていた。

 国民が博士公の強い姿勢を待っていたときにこれだ。押されている。


『もう少しみなさんにアピールしますか』


 そう言うとエオンがいきなりカイスの頭を殴った。短い悲鳴が上がり、彼の額からぽたぽたと血が滴り始めた。首がだらんと落ちた。意識を失ってしまったのかもしれない。


『視聴者のみなさん。博士公閣下の判断によってこの少年の生死が決まるのです。わかりますよね? カイスくんがまた元気に駆け回るには、どうすればいいのか? 博士公だけではありません。みなさんも命を握っています。みなさんの投票によって博士公が選ばれているということは、そういうことです』


 彼が煽る。領土を与えるなどとんでもないことだと最初は多く考えたことだろう。しかし人質を皆殺しにした前例があり、さらに実際に幼い少年が目の前で暴力を受け、そしてその命が自分たちにも掛かっているのだと言われてしまえば冷静な判断はできなくなる。

 スコパスはまぶたを閉じ、目頭を押さえた。アルツェロはこんなときの彼が何を考えているのかわかる。激しく苛立っている。


『ただ、確かにいきなり領土を譲渡して欲しいと言われても厳しいのはわかります。人の命が係っているとしても、住み慣れた土地を手放し、それも私たち人外相手だなんて癪に障るでしょう。だからサービスします。私も人間とは言え子供を殺したくはないので』


 まだ意識を失ったままのカイスの頭をぽんぽんと軽く叩く。演技であるはず、演技であるはずだけれどエオンは複雑な表情を浮かべ、発言の後押しをする。


『この放送局の建物、そして豊富な銃火器とその弾薬の譲渡へとまけます。どうです? 領土に比べて圧倒的にお得でしょう? みなさん』


 これが本命だ。間違いなく、最初からこれを飲まさせるためにあのような無茶を言ったのだ。人外に豊富な武器を与えるのは、身体能力の高さからあまりにも危険。そんなことをすればこれからどうなるか容易に想像がつくはず。

 流れる血が圧倒的に増えることになる。

 しかし領土譲渡との落差が大きく、さらに冷静さをみんな失ってしまっているから、あまりにたいした事ではないと判断する。より博士公は追い込まれることになった。目頭を押さえる力が増す。


「閣下……」


 ぽつりと漏らしたアルツェロの心配する声。

 スコパスはやれやれと首を振ってから、ゆっくりとはっきりと言った。


「わかった。その条件を飲もう」

『ありがとうございます。では、交換といきましょう。譲渡していただきたい銃火器、弾薬の詳しい数と内訳はあとでまたお伝えするので、それまで静かにお待ちください。ではみなさんお付き合いありがとうございました』


 とたとたとキュアがエオンの隣に走ってきて、二人そろって礼をしたのち手を振りながら放送は終わった。オーロ放送協会の番組は真っ黒な画面へと戻り、部屋で観ていた者たちの姿が映るだけになる。

 ふう、と息を吐いたのち、スコパスが自分で制作した手巻き煙草をくわえる。アルジェロが手慣れた様子でライターを使い、それに火を点けた。


「後手に回った時点でどうにもならんな。あのまま領土で押されずに済んだのが不幸中の幸いと考えるしかあるまい。人外の割に常識的ではないか、さすがはワーライガーと言うべきかな」

「申し訳ありません」


 アルジェロとササラの言葉に彼は煙草の煙を吐き、手で気にしなくて良いというジェスチャーをした。


「ふむ、ここからどうするべきか。まったく、人質を無視できればどれだけ楽に進むことか。結果的に被害はそちらの方が少なく済むのだがな」

「閣下……」

「冷酷だと思うか? アルツェロ。しかしこれが国だ。国は皆に優しくできるものではない。博士公は国を守らねばならない」

「いえ、私は閣下と同意見です」


 オーロ式敬礼をびしりと力強く決め、彼は人懐っこい笑みを浮かべた。


「そうだ、ササラくん。尋問を行った人外、どうしたのかね?」

「はい。その後、地下にて監禁しております」

「ということは生きていると?」


 こくりと頷く。彼は捕獲した人外たちの資料を一瞥すると、すうっと大きく煙草を堪能し、しかし表情を普段のものと変えずに抑揚のない声で告げた。


「珍しい種族でもない。エサにでもしておいてくれ」


 ササラが敬礼で答えると、さらに、

「このまま黙って連絡を待ち続けるのも暇だろう。二人とも、少し外に散歩しに行くのはどうか?」

「さ、散歩、ですか?」


 意味がわからずにアルツェロが言葉を返す。しかしササラはすぐにその意味を理解したらしく、


「お言葉に甘えさせていただきます」


 敬礼し、彼の腕を引っ張って部屋から出た。アルツェロはまだどういうことかわからず、頭にはてなを浮かべ続ける。出る間際にスコパスは、


「良い散歩になることを期待しているよ」


 と残していた。

 アルツェロはササラに引っ張られながら廊下を歩きつつ尋ねる。


「ちょ、ちょっとこれはどういうことだ? こんなときに散歩だなんて」

「アルツェロさん、散歩なわけがないでしょう」

「散歩なわけない?」


 ぱっと彼の腕を離し、向き合って彼女は言う。彼女はアルツェロの肩よりも頭の位置が低いから、より見上げる必要があった。背が低いわけではない。女性の平均身長はしっかりと超えていた。


「そうです。行くんですよ、あそこに。放送協会に」

「え、いいの?」

「いいのって……閣下はそうおっしゃったじゃありませんか」

「いや散歩って……」


 あんまりに鈍い同僚に彼女は呆れ、重いため息を吐く。その様子はアルツェロがよく知っているもので、そこには先ほどの動揺のかおりはどこにもなかった。ワーライガーに反応したものは。


「暗にというヤツです。特命を下されたのです。人外の統率を崩すには、あのエオンを消すべきだと判断されたのですよ」

「なるほど……それはそうだ」

「理解されたのならば、準備してください」


 尋ねはしなかった。先ほどの動揺について尋ねることはせず、年下の同僚の言葉に従う。


「わかった。じゃあ、少し後にいつもの所で」

「了解」


 それぞれの準備をするために、長く広いオーロ宮の廊下を各々進む。

 けれど最後、別れ際に彼女が小さく、それはアルツェロでなければ聞き逃していたであろう声で呟いた。


「……レオちゃん」

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