第4章 Ⅹ


「……市民から感謝の言葉を受け取ったのは、これが初めてだな」


「ええ、そうですね。それも、頑張れなんて、なかなか皮肉が利いている」


 馬から降りたフローレンスとジェイクは、小銃を構えたまま男連中と相対する。黴臭い空気に、鉄錆びの剣呑さが混ざり込んだ。誰もが理解するのだ。ここはすでに、戦場だと。


「貴様らは、人買い《黒い犬》と関係がある連中か? やましいことは、すべてここで話せ。もっとも、真実を語ったところで、お前達のような下衆を逃がすつもりなどないがな」


 女が銃を構えているのがそんなにおかしかったのか。男達が一斉に笑い出す。ジェイクが今にも小銃の引き金を絞らんほど憤怒の形相を露わにするも、それはフローレンスが目で制した。そして、男達の内、一際大きなサーベルを肩に担ぐ男が鼻糞を穿りながら臭そうな息を吐き出す。


「だったらどうしたっていうんだ~? まさか、銃があれば俺達に敵うとでも思ってんのか~? おい!」


 下卑た男の声に呼応するように、また足音が重なる。ジェイクは瞠目し、息を飲んだ。裏道から新しく現れたのは、古い小銃を構える粗雑な格好の男が八人。元いた連中と合わせて三十人近くの軍団と貸す。フローレンスは顔を顰め、頬に力を入れた。

 アメリカで行われた南北戦争が終わって二十数年。破棄されるはずの銃火器がヨーロッパの裏マーケットに横流しにされていたのは知っていたが、まさかここまでとは。これだけの小銃があれば、武装していない一般人を一分で百人は殺せる。この街で一体、どれだけの無駄な血が流れたのだろうか。女騎士の無言を、恐怖で怖気着いたと勘違いしたのか、大きなサーベルを構える男が泡を飛ばしながらゲラゲラと笑う。


「ひっひっひ。男は殺すが、女のあんたは生かしてもいいぜ。ここで裸になって俺達を楽しませてくれるならな。ひひひひひ。おい、早い者勝ちだぞ。とっとと、捕えろ」


 男連中の目は理性が崩壊しかけていた。恐らく、阿片窟でたっぷりと白い粉を吸ったのだろう。仲間が撃たれたというのに、もう誰も興味を示していない。きっと、仲間意識などないのだろう。人を売り買いするような連中だ。人間など、もはやコヴェント・ガーデンで売っている蕪と一緒なのだ。


(断じて許し難い。ここを、悪人共の温床にしてはいけない。アリスよ。君は生きるために悪を成したと言ったな。君の人生を、私は直接体験したわけではない。だからこそ、強くは言わないさ。それでも、目の前のこいつらは、ここで仕留めなければいけないのは変わらないだろうよ)


「ジェイク。君は、ここから敵を撃て。焦らなくても良い。その最新式は一本の弾倉で十二発まで撃てる。……時期に、仲間が駆けつけるだろう。あれだけ目立ったのだ。ヤードの耳にも届いているころだ」


「りょ、了解です。あの、隊長。この数は流石に危険です。物影に隠れて、長期戦に持っていった方がいいのでは?」


「そこまでする必要はない。私は、父に色々と教わった。数学、ラテン語、バイオリン、乗馬に銃器の使い方、そして効率的な人間の殺し方を」


 本来、銃器とは剣や槍などの近接戦でのリスクを下げるために中・遠距離からの攻撃を基本とする。銃剣を利用した突撃を選択するのは、発砲による攻撃方法が効果薄の場合のみだ。ゆえに、ジェイクは阿呆のように口を半開きにしたのかもしれない。フローレンスが一気に地面を蹴り、男連中へと肉薄する道を選んだからだ。まるで、決死を選んだモルモン教徒のように。あるいは、異教徒を討伐する十字軍のように。


「アフガニスタンで戦死した父曰く『銃を恐れるな。敵はいつも己が内に在る』!」


 身を屈め、地面を滑る一陣の風と化したフローレンスへと、一斉に銃口が向けられる。しかし、ここまで加速した物体にそうそう当てられるものではない。男達が狙いを定められずにいると、彼女が先に発砲した。小銃を構えていた男の股間へと、〝五六・五六五SPENCER〟が火を吹く。どこにどうやって当たったのか。枯木のように痩せた男が白目を向いてぶっ倒れた。


「私は、私の正義を貫く。父が成し遂げられなかった分まで、平和を築く。ロンドンを悪党風情から守る。よく聞け賊共! ここはすでに煉獄の狭間だ。誰一人として逃がしたりはしない。私はフローレンス・アルデミア。正義を信じる、一人の戦士だ!!」


 彼女から見て、男達が正式な戦術を学んでいるようには見えなかった。武器に暴力が加われば、それだけで済む。その程度の生温い世界でしか生きてこなかったのだろう。しかし、フローレンスは違う。幼少の頃から父に戦い方を学んだ。実戦でこそ真価を発揮する格闘術、銃剣術、射撃術、集団戦術を体の芯まで叩き込まれた。

 女の身では、今のイギリス軍でまともな扱いなどされない。だが、それで良かったのかもしれない。こうして、ヤードとしての道が開けたのだから。民の生活をじかに守れるのだから。


「おぉおおおお!!」


 父の形見であるスペンサー・ライフルを振るい、前方を阻む中年太りの男が構えていた棍棒を弾き落とす。武器を失った男の顎を銃底で骨まで砕いて昏倒。後ろから掴みかかろうとした別の男の腹部へと迅雷の中段蹴りを放つ。そして、発砲。遠くからこちらを狙っていた小銃持ちの右肩を破壊する。


「遅すぎる! あの侍はもっと早かった。貴様ら、私を犯したいと言うのなら、死ぬ気でかかってこい。この場では、私が法律だ!! 私を倒さなければもれなく冷たい牢獄だ!」


一騎闘千の戦い様に、男達がとうとう慌て出す。そして、理解するのだ。この女こそ悪鬼であり、自分達の人生を脅かす最大の敵だと。大きなサーベルを構えていた男が何か叫ぼうとするも、遅い。その右足を正確にジェイクが撃った小銃弾が貫いた。


「へん、隊長ばかりに良い格好させられるか。俺だって《アイゼン》のメンバーなんだよ! 手前らみてえな連中がいるから、力がない人達が怯えるんだ。赦してたまるかよ!」


 特殊部隊アイゼンに選ばれた者に、弱卒はいない。ジェイクの正確無比な発砲が、次々と男達を戦闘不能な状態まで追い詰めていく。


「この国はこれから変わるんだ。だから、今を生きる者達の邪魔をするな!」


 フローレンスの力強き叫びが彼女自身の正義を鼓舞した。

 国が変わる。人が変わる。だから、ヤードも変わる。彼女のような人間がいる限り、この世界はけっして闇一色になど染まらない。太陽が沈んでも、何度も朝が訪れるように。


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