第4章 Ⅳ


スコットランド・ヤードが特殊任務部隊アイゼンの隊長である男装の令嬢、フローレンス・アルデミアは制服に身を包み、白馬に跨ってチェルシー地区を〝捜査中〟だった。本来、管区毎にヤード内で管理が別れているのだが、彼女は全ての管区を自由に調査可能な権限を持つ。


「良い天気だな。こんな時にノーベリーのような田舎町の草原を思う存分、この子と走れたら、どんなに楽しいだろうか。ジェイク、君は乗馬が得意らしいが、どこで覚えた?」


 大通りを進むフローレンスの隣には血の気の多そうな男、ジェイクの姿があった。こちらは馬に乗っておらず、隊長に視線に合わせようと首を大きく曲げている。隊長に話しかけられた瞬間、ビシッと条件反射のように背筋を伸ばした。これ以上伸ばし過ぎると、逆に反ってしまうかもしれないほどに。


「え、ええっと、俺は元々、田舎育ちでして、馬はガキの頃から慣れてたっていうか、あははは。まあ、何度も落とされて痛みと一緒に覚えたんですよ」


 緊張した様子のジェイクを見て、フローレンスは申し訳なさそうに眉根を寄せた。手綱を軽く引き、馬の歩行を微かに修正する。その目は真っ直ぐに前を見ていた。


「どうも、私は部下を緊張させてしまうらしい。やはり、女性が上司というのは、やりにくいのかな? 仕事中は女性らしくならないように心がけているのだが、中々に難しい。髪を切っただけでも随分と男らしくなったと思っていたが、とんだ思い込みだったようだ」


 自嘲気味に微笑むフローレンスに、ジェイクは大慌てで言葉を返す。それはまるで、初恋の少女を泣かせてしまった少年のような光景だった。


「と、とんでもねえですよ。確かに、最初の頃は色々と不満はありましたよ。けど、今はアルデミア隊長に着いて行く気持ちで一杯です。他の連中だって、そうですよ。あの部隊に、貴女を卑下する奴なんて誰もいない。もしも、いたら、俺が鼻っ面を打ん殴ってやりますよ」


 ボクシング選手のようにジャブの真似をするジェイクの様子に、フローレンスはクスクスと笑った。そして、意地悪そうに唇の端を吊り上げる。


「最初の頃は、か。それは、つまり、君もかつては『女の癖に出しゃばるな』と思っていたのかい?」


「え!? あ、あの、その、俺は別に、そこまで………………す、すみません」


「ふふ。気にしてないよ。そういう非難があるとは、承知の上だった。母からは随分と叱責されて、危うく勘当されるところだったがね。私には、どうしても叶えたい願いがあるんだ。だからこそ、この場所はどうしても退けない。退くつもりなんて、毛頭ないよ」


 きりりと光る瞳に、ジェイクは一瞬見惚れ、すぐにブンブンと首を横に振った。ぶつぶつと『俺は紳士、俺は紳士』と繰り返す。


「おっと、そろそろ見えてきたようだな。あそこが、例のキャバリー家か」


 狭い裏通りへと馬の鼻先を変えて数分、ようやく件の屋敷が見えてきた。ジェイクが目を細めて屋敷の眺め、思わずといったように呟いた。


「聞き込みしていた連中が言うには、あそこに、日本人の女の子が住んでいるんですよね。確かに、ロンドンで日本人の、それも若い娘さんなんて珍しい。けど、あそこが本当に怪盗バイオレット・ムーンの根城なら、制服姿のままの俺達を歓迎してくれますかね? 私服で近付いた方が無難なんじゃありませんか?」


「今日で捕まえられるとは思っていないよ。あくまで、私と剣を交えた娘と、あの屋敷に住まう娘が同一人物か確かめるだけだ。もしも、我々を拒むような真似をすれば怪しいだろうし、本当に同一ならば牽制になる。今日の私は万全の装備だ。二度と、あいつには遅れをとらん。忍術だろうが侍だろうが、必ず捕まえる。それに、あの拳銃を持っている男の風貌は変装している臭い。声を聞くだけでも、良い収穫になるだろう」


 背中に吊るしている銃剣付きのスペンサー・ライフルの重さを確かめ、フローレンスが裏門に回ろうとした、その時だった。硝子が割れるような音が鼓膜へと届いたのだ。そして、


「た、隊長! 白い、煙が。まさか、火事!?」


 キャバリー家の屋敷、その裏手から朦々と煙が溢れていた。明らかに、煙突の類ではない。フローレンスは手綱を強く握り、馬の足を速めた。ジェイクが慌ててついて行く。


 ――絹が裂けるような少女の悲鳴がフローレンスの瞳を、大きく見開かせた。


「ジェイク、乗れ!」


「え? の、乗れって?」


 いったん、馬の足を止め、フローレンスは困惑する部下の腕を掴み、無理矢理愛馬に跨らせる。当然、狭い鞍の上だ。どう努力しても男の胸板は女の背中に強く当たってしまう。


「た、隊長! ここ、これは流石にヤバいっていうか、俺は嬉しいんですけど、けど、他の連中に見られたら俺が処刑されてしまいます!」


「何を馬鹿なことを言っている! しっかり掴まっていろ。私の腰を強く握れ!!」


 上司のありがた迷惑な命令に、ジェイクは顔を困惑で歪めるも、すぐに白馬は加速する。慌ててフローレンスの細い腰へと両腕を回したのだった。しかし、その結果、男の逞しい腕は女性の胸を下から押し上げるような形になってしまう。結果、


「なんだ、この息苦しさは。そうか、これが緊張というものか! ならば上等、この苦難、乗り越えてみせようか!」


「すいませんすいません! うわ、luckyとか全然思ってませんから! 後で、後でどんな罰でも受けますから!!」


 違う方面に叫ぶジェイクを他所に、フローレンスは馬の足を少しでも早めんと手綱を強く振るったのだった。愛馬は主が命ずるままに加速し、風の世界へと到達する。


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