第16話 正直者の詐欺師

 アレクの告白を受け、夫人は目を見開く。

 そしてそののちにゆっくりと長椅子に横たえていた身体を起こすが、その表情はかなり混乱した様子だ。あなたのことを騙しているなどと、まさかそんな告白を受けるとは思ってもいなかったのだろう。

 そんな様子を見るとアレクはますます心が痛んだが、ここで黙ってしまってはもっと不誠実になるだろうと思い、意を決して言葉を重ねていった。


「実は……私は放浪の吟遊詩人ではありません。アルカンジェロというのも偽名で、本当はとある没落貴族の子息なのです」


 まず口にしたのは端的な事実だ。


「家が没落してからの数年間を修道院で過ごした私は、あるとき家の再興を心に決めました。けれど誇りを取り戻すため行動を始めたところ、ある問題に行き当たりました。家を再興するためには色々なものが必要になります。拠点、支援者、伝手……資金」


「………」


「私の場合、最も得るのが難しかったのが資金でした。再興するための莫大な資金を得る策が、どうしても私には浮かばなかったのです。ですがそんなあるとき、私はバルタールの街である噂を聞きました」


 ここまで言ってしまえば、もう夫人も理解しているだろう。


「……ミレーネ様が愛人を募集しているという噂です。これならばきっと多額の資金が手に入ると思い……そして私は今夜、ここへ忍び込みました」


「………」


「けれど……家の再興のためとはいえ、あまりに卑劣な行いでした。やはりいけなかったのです、こんな方法は」


 自分の情けなさに恥じ入り、やがてアレクの声は掠れていく。

 湧き上がってくるのは夫人に対する贖罪の思い。

 大変なことをしてしまったのだという反省と、その思いをなんとか行為で示したいという気持ちだ。

 いや、それだけではない。

 そもそも伯爵夫人という身分ある人を相手に、こんな謝罪だけでは済まされるはずがないことも理解していた。

 誠意を見せるためには、何か形で示さなければいけない。


 ただ、アレクが今持っているもので価値のあるものは少なかった。

 自分の命以外なら、レナスから借り受けた導力器と父の形見の金時計くらいのものだが、導力器はレナスが金を払って買ったものだから、これを勝手に他人にあげてしまうわけにはいかない。

 となれば――。


「許して下さいなどと、厚かましいことを口にするつもりはありません。ただどうか、今宵のことをなかったことにしていただきたいのです。どうか……この、金時計に免じて」


 断腸の思いで、アレクは父の形見の金時計を掲げる。

 本当は絶対に手放したくない。

 この金時計を失ってしまったら、父に顔向けができなくなる。

 それでも、命を失ってローゼンバーグ家再興の望みが絶たれることに比べれば、いくらかはマシなはず。


「これをお受け取りになり、どうか……私がこのまま立ち去るのを見逃してはいただきたいのです」


 苦渋の決断。

 それにおののくアレクの息遣いだけが、しばらく部屋の中に響いている。

 しかし、やがて――。


「……ふ」


 ため息のような、笑いのような音が聞こえる。

 怪訝に思ってアレクが顔を上げると、夫人が呆れるような笑みを浮かべていた。


「……ふふ」


 彼女は再び笑ったかと思うと、次の瞬間、驚くべき行動に出た。なぜか時計を掲げるアレクの手をそっと押し返したのである。


「いけませんわ……きっと大事なものなのでしょう?」


「え……」


「手放したくないものは、決して手放してはいけませんわ」


「で、ですが……」


「あら、それともあなたには必要ないとおっしゃる?」


 その質問に対しては、アレクははっきりと首を横に振った。

 すると夫人は再びふふ、と笑った。


「一体なぜ……」


「理由なんて簡単ですわ。わたくし、別に悪人でもよろしかったんですのよ」


 意外な言葉にアレクは目を丸くする。


「だって考えてもみなさいな。塔に幽閉された伯爵夫人が愛人を募集している――そんな噂を聞きつけてやって来る方が善人だなんて、そんなこと思うかしら?」


「それは……」


 確かにその通りだ。

 来るのは金目当ての悪人に決まっている。


「わたくし、善人が来ることなんて最初から露ほども期待しておりませんの。だからあなたのことも最初は『ああ、なんて美しい悪魔なのかしら』と思ったんですのよ」


「悪魔……でございますか」


 なんだか夫人の言葉を聞いていると、無邪気な少女のように振舞いつつも、その実、誰よりもこの世に辟易しているような――そんな彼女の寂しい一面が見て取れる気がした。


「だから、なんだか拍子抜けしてしまいましたわ。まさかこんなに正直な方だったなんて」


「……本当に、申し訳ございません」


「いいえ、怒っているわけではありませんのよ。ですからお顔を上げて」


 顔を上げたアレクの頭を慰めるように撫でたのち、彼女もまた懺悔をするようにこう言った。


「あなたが謝るのでしたらわたくしだって同罪ですわ。わたくしは夫のある身でありながら、遊ぶための相手を探していたんですもの。夫を裏切ることも、将来ある若者をくだらない遊び道具にするのも、本当はとても卑劣な行いなのです」


 アレクはどう反応していいか分からず、口をつぐむ。


「ふふ、おかしいですわね。こんなことを口にするなんて……あなたのせいかもしれませんわ」


 言葉とは裏腹に、その口調に責めるような色はない。


「少し、待っていてくださいませ」


 やがて、夫人は突然立ち上がった。

 そのまま部屋の奥へと歩いて行くと、戸棚の引き出しから何か包みのようなものを取り出し、すぐにこちらに戻ってくる。


「どうぞ。これをお持ちなさい」


「それは……?」


「わたくしがあなたに渡そうと思っていた報酬です」


「な――っ」


 思わぬ言葉にアレクは絶句し、固まった。


「あら、受け取りませんの?」


「な、なぜ私に報酬を……!?」


「あなたが危険を冒してわたくしのところまで来てくださったからですわ」


「ですが私に受け取る資格はないはずです!」


「私の誘いを断ったから?」


「そうです!」


 しかし動揺するアレクに、なおも夫人はぐいと包みを押し付けた。


「いいのです。受け取ってくださいませ」


「そんな……一体どうして」


「一つは先ほど言ったように、わたくしも同罪だからですわ。わたくしの目を覚まさせてくださったその正直さと律義さは、少し有難く思っておりますの」


「……もう一つは?」


 アレクが尋ねると、わずかに夫人が目を伏せた。


「もう一つは、わたくしのできなかったことをあなたにしていただきたいから」


「ミレーネ様のできなかったこと……?」


「ええ。実はわたくしもかつて、没落貴族の令嬢だったのです。父は貧しい男爵で、たくさんの借金を抱えておりました。そこへ舞い込んだのがわたくしと今の旦那様、ファリアン伯爵との縁談だったのです」


 アレクは複雑な気持ちで頷いた。

 没落貴族の令嬢の元に舞い込んでくる縁談――それはアレクにとっても決して無縁な話ではなかったからだ。


「わたくしは迷いましたけれど、結局結婚を選びました。でも……結局その後すぐに家はなくなりましたわ。父が病気で亡くなり、後を継いだ弟も家を維持できなかったのです」


「………」


「今でもときどき思いますの。あのときわたくしが嫁がずに、家の建て直しに力を注いでいたらどうなっていたのかって。もしかしたらわたくしの生家はなくならずに済んだのではないかって。……もちろん、わたくしに何ができたというわけでもないのですけれどね」


 そう言ったのち、夫人は改めてアレクに包みを押し付けた。


「ですから、あなたには家を再興するという目的を果たしてほしいのです」


 じゃら、と金貨がするその固まりを、アレクはじっと見つめる。


「……私が嘘をついているとは、思わないのですか?」


「嘘?」


「ええ。家を再興するなどというのは真っ赤な嘘で、本当はただ不当に報酬を受け取りたいだけ――そうは疑わないのですか?」


 アレクが尋ねると、夫人はおかしそうに笑った。


「ふふふ、それはありませんわ」


「どうして?」


「もう忘れましたの? あなた、さっきわたくしにその金時計を差し出しましたのよ。それも死を覚悟したような顔で。わたくし、あれが演技だなどと到底思えないのですわ」


「しかし――」


「さあ、受け取ってちょうだいな。あなたは家を再興したいのでしょう? 本当に目的のために行動したいのならば、情けばかりかけていてはいけませんわ」


 いたずらっぽく言う夫人の顔が、一瞬レナスの顔と重なる。

 確かにそうだ。

 アレクの一番の目的は一族のため、家を再興させること。

 そして夫人の差し出しているこの報酬は、そのために絶対に必要なものなのだ。

 だとしたら――アレクもまた、彼女なりの義を貫くしかないのかもしれない。


「……いつの日か、必ずお返しします」


 やがてアレクは深々と頭を下げ、丁重に包みを受け取った。


「そんなの、気にしなくていいんですのよ」


「いいえ……どうか恩は返させてください」


「そう。でしたら気長に待っておりますわ。あなたのような方になら、またいつでも会いたいですから」


 夫人はアレクの手を取り、軽く口付ける。

 アレクもまた敬愛のしるしに、夫人の手に口付けを返した。

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