第三話 探しもの

 雑木林はまるで果てがないように思えた。

 どこまで歩いても代わり映えのしない木々が、無秩序に空へ向かって伸びている。その空からは赤い月光が降りそそぎ、あいかわらず安っぽいホラー映画のセットを演出している。

 そして月光に照らされて歩く主人公ふたりは、幽霊と人間の女だ。

「いよいよB級ホラー映画じみてきたわ……」

 早紀は腰をかがめて木の根元を覗きこみながら、乾いた表情でぼやいた。

 ちょっと特殊なのは、幽霊がやけに友好的、という点だろう。


『バッグって、何色なんですか?』


 白い光を放つ青年幽霊は、茂みの中をガサゴソと探りながら聞いてきた。

 ふたりでチョコレートを探しはじめて、すでに数十分。ほとんど強引に押し切って、幽霊は早紀のチョコ探しに付き合っていた。

(何考えてるんだろう。この幽霊……)

 早紀は木の裏側に回りこみながら、訝しげな視線を青年幽霊に向けた。

 青年幽霊は茂みから茂みへと移動して、早紀の大雑把な探しぶりとは比べものにならないほど丹念に中を探っている。

(私のチョコ探しを手伝ってメリットでもあるのかな。というか、なんで私の名前知ってるのよ。ていうか、幽霊のくせに手探りで物探さないでよ。せめて、飛べ)


『サキさん?』


 あれこれ悶々と考えこんでいた早紀は、唐突に間近で名を呼ばれて、驚いて顔を上げた。見るといつの間に移動したのか、早紀のすぐそばに青年幽霊がぼやーっと立っていた。

「あ、な、なに!?」

『バックは何色かって』

「い、色?」

『大丈夫ですか? 危ないですよ、ぼんやりしてたら。暗いし』

「……は、はあ」

 本来その危ない対象であるはずの幽霊に説教をくらった早紀は、妙な気分で頬をぽりぽりと掻いた。

「あ、あのさ。手伝ってくれるのは嬉しいんだけど、あなた」

『ケイスケ』

「……ケイスケ、には、ケイスケのやることがあるんでしょ。もう怒ってないから、自分のことやりなよ」

 律儀に訂正してくる幽霊に渋々従いながら、早紀はそのケイスケとやらに、そうおそるおそる告げてみた。

『僕はやりたいことやってますから、気にしないでください』

「……いや、あの」

 あっけらかんと言ってくる幽霊に、早紀は言葉を詰まらせる。

 ふと、ケイスケがどこか寂しげな表情を浮かべた。

『もしかして、迷惑ですか?』

「め、迷惑じゃないのよ! 別に!」

 早紀は必死に脳みそを掻きまわし、適当な言葉を探す。と、早紀の様子を見た幽霊が、顎に手を当てて「あ」と呟いた。


『もしかして、僕がなにを考えているのか分からなくて、不安……とか?』


 鋭く指摘されて、早紀は思わずギクッとした。

 幽霊が言ったとおりだった。

 幽霊は自分を遠くからじっと見ていて、そして追いかけてきた。追いかけてきたのには理由があるはずなのに、それを明かさずにチョコを探してくれる、という。それはなんだか不可解で気味が悪かったのだ。

 こんな害のない顔をしていながら、本当は自分に取り憑く隙をうかがっているのではないかと、そんな想像だってつい膨らんでしまう。

 それに、お詫びの気持ちで、本人以上の意気ごみでチョコを探すなんて、そんなお人よしな人間はこの世には存在しないと早紀は思っていた。

 人間はそんなに他人に優しい生き物じゃない。

 まして未練の塊であるはずの幽霊が、他人をそんな真摯に助けるだなんて……はっきり言ってしまえば、信用ができなかったのだ。


「……まぁ……うん。そういうことね」


 幽霊は少しばかり悩んだ様子で目を伏せて、やがてこくりと首をうなずかせた。

『分かりました。本当のことを、話します』

「本当のこと?」

『僕も探しものをしているんです』

「……え?」

 早紀は周囲の雑木林をあおぎ見る幽霊を、疑わしげに見上げた。

『探しものをしてるんです。でもどこにあるかは、僕のほうも分からなくて。だから、チョコを探してるうちに、僕の探しものも見つかればいいなと思ったんです』

 一瞬、嘘で言ってるのだと早紀は疑った。

『一人だと心細くて』

 だが、青年幽霊の表情は疑うのが馬鹿らしいほどに真剣だった。

(本当、なんだ……)

 早紀はすがめていた目をそっと開き、ためらったすえに口を開いた。


「なに、探してるの?」


 青年幽霊は表情にはかない影をつくって、黙りこんでしまった。

 聞かれたくないことだったのかもしれない。

 彼がさまよっている理由となにか関係があるのかも。

 早紀は空気に消え入ってしまいそうな様子に、急いで両手を振った。

「言いたくないならいいの! ただ私も見つけたら、報告できると思ったから」

『すみません……』

 やはり言いたくないということなのか、それとも本心を黙っていたことを謝っているのか。青年はそのままうなだれて、ごつごつした地面を無言で見つめた。

 早紀は、釈然とせずにもやもやしていた気分がすっと晴れていくのを感じて、安堵のあまりに思わず笑い声を零した。

「いいんだって。気にしないで! ……あーでも、やだなぁそういうことなら早く言ってよー! びくびくして損した」

 近所の奥さんみたいに手をひらひらとさせる早紀を、幽霊が振りかえる。

『びくびくしてたんですか?』

「そりゃするわよ。私を追いかけてきたくせに、追いかけてきた理由も言わないで、チョコ探し手伝うなんて、怪しいもいいところだわ……はじめからそう言ってくれれば良かったのに」

 恨めしげな早紀の言葉に、青年幽霊はふんわりとした笑顔を浮かべた。

『そのつもりで追いかけたのは確かですけど、サキさんがバックを探していると知ったあとは、僕の探し物は"ついで"になったんで……だから言わなかったんです』

「ついでって。いいのよそんな、自分のほう、優先しなよ」

『お詫びもそうだけど、サキさん優しい人だったから、困っているなら助けてあげたいなって、そう思ったんです』

 優しい……二度目に呟かれたその率直な単語に、早紀は顔を真っ赤にして手をがむしゃらに振りまわした。

 その反応に青年幽霊は首をかしげながら、ふと表情を改めた。

『でも、僕が怖いようなら、やめます』

 幽霊は申しわけなさそうに頭を下げて、そのまま早紀の返事も聞かずに背を向けてしまった。早紀は思わず手を伸ばした。だが「待って」と制止をする前に、幽霊がふっとこちらを振りかえってきた。


『……でも、もし心細かったら、いつでも呼んでください』


 青年幽霊はそれだけ言うと、また背中を向けて歩きだした。

 そういう幽霊の背中のほうが、むしろ心細げだった。

 それが可笑しくて、中途半端に持ち上げた手を戻すと、早紀は思わず笑いだした。

「こ、心細げなのはあんたじゃないの……!」

 青年幽霊が足を止め、心外そうにこちらに顔を向ける。

 それがまたおかしくて、早紀は腹を抱えた。

「お、おかし……! あはははは! 幽霊でも心細くなるのねー!」

 さっき笑ってくれた仕返しだとばかりに、早紀は大声でケタケタと笑った。

 そして呆気にとられているのか、困っているのか、怒っているのか、タイミングを失ったのか、ぼんやりとその場に立ち尽くしている幽霊を早紀は見上げて、浮かんだ涙を拭いながら首を振った。

「ケイスケは怖くないよ、ぜんっぜん。ただ、チョコ探しを手伝ってくれる理由がわからなくて、何となく薄気味悪かっただけ」

 そして笑いをどうにか収め、ひとつ息を吐くと、早紀は幾度かうなずいた。


「でも、そういうことなら、一緒に行動してもいい」


 幽霊が驚いた顔をしていた。

『いいんですか? でも』

「正直に言うと私もひとりでいるほうが怖いんだ。……幽霊よりもこの雑木林のほうが怖い。同じ目的の人と一緒にいるほうが、ずっと安心する」

 馬鹿な話かもしれない。幽霊と一緒に行動をしようだなんて。けれど早紀には、とてもじゃないが今さらひとりになんてなれなかった。

 こんな気味の悪い雑木林で、ひとりきりではもうさまよい歩きたくない。

 たとえ幽霊であっても、同行者はもうなくしたくなかった。

 幽霊はしばらくためらっていたようだったが、やがてほっとした様子で笑った。

『……良かった』

 その笑顔がなんだか幼く見えて、早紀も安心したのと可笑しいのとで笑った。

「よし、じゃあ一緒に探そう! ……あ、バックだっけ。バックは水色よ。淡い水色」

『水色? 赤じゃないんですね』

「……悪かったわね」

「皮肉じゃないですよ」

 お互いに共通の目的ができたからか、この薄気味悪い雑木林を恐れているという仲間意識ができたせいか、早紀は幽霊と少しだけ打ち解けた気がして、冗談半分に幽霊を睨みつけた。

 幽霊も同じように感じていたのだろう、表情を和らげて笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る