飛龍の皇子リューシス

五月雨輝

第1話 ワイシャン城の危機

 雲霞の如く押し迫って来た敵軍は、ワイシャン城の城壁の前まで辿り着くと、前日に引き続いて総攻撃を開始した。

 まず堀を埋めにかかり、次いで雲梯や投石器、破城槌などを繰り出して城壁を破壊しようとする。


「ここが正念場じゃ。熱湯を持って来い。丸太もじゃ。ありったけの矢を射かけよ! 飛龍フェーロン隊はまだか?」


 それを防ぐ籠城側の総大将であるビーウェン・ワンは、自ら城壁の上に立ち、声を嗄らして防戦の指揮を執る。


 だが、ビーウェンらローヤン帝国軍の立て籠もるワイシャン城の守備兵は約千八百人、対する敵将シーザー・ラヴァン率いるガルシャワ帝国軍の数は約一万六千人と言う大軍であった。

 しかも、ワイシャン城は周囲の諸城、砦を落とされて孤立させられ、補給がままならず、残りの食糧もわずかと言う危機的状況である。


 時に公歴1125年の秋、十月の事である。


 ローヤン帝国と、西の隣国ガルシャワ帝国との間には昨年より不戦協定が結ばれ、一時的に戦争を中断して平和を保っていた。


 しかし、その間にローヤン帝国は南方のザンドゥーア王国との争いが激化。ローヤン帝国は半分以上の軍団を南方の戦線に投入するようになると、不戦協定を結んでいた西のガルシャワ帝国との国境地帯の防備も自然と薄くなって行った。


 だが、ガルシャワ帝国は卑怯にもその隙をついた。ガルシャワは一方的にその協定を破棄するや、その旨をローヤン帝国に通告することすらなく、突如として国境を越えて進撃、要衝の地であるワイシャン一帯の砦を次々と陥落させ、ついにはワイシャン城にまで迫ったのであった。


「何という卑怯な連中よ」


 ビーウェンは、憤怒に眼を怒らせながら、自らも城壁の上から強弓を振り絞る。


飛龍フェーロン隊の準備が整いました」


 副将のダイ・イーツァオが大声で叫びながら駆けて来た。


「よし、では出撃させよ」


 ビーウェンは早口で命令した。

 城内の龍場と呼ばれる高く広い楼閣の屋上に、翼の生えた龍に騎乗した龍士ロンド達が二十騎集まっていた。

 命令が伝えられると、彼らは一斉に手綱を引きながら横腹を蹴った。


飛翔フェーシャン!」


 飛龍たちは咆哮を上げて走り、楼閣の縁を蹴って飛び立った。

 そして城壁すれすれを滑空して敵勢の上空に出る。


矢を放てファーンジェン!」


 龍士たちが飛龍の背から地上に向かって矢を放った。


「怯むな、打ち返せ!」


 地上のガルシャワ軍も空に向かって矢を打ち返す。

 しかし、空を馬と同じ速度で飛翔する飛龍にはなかなか当たらない。


「こちらも飛龍隊を出撃させよ!」


 ガルシャワ軍の将が指示を飛ばすと、後方からガルシャワ軍の飛龍隊約百人が空へと飛び立ち、ローヤンの飛龍隊目がけて飛翔した。

 それを見たビーウェンは自軍の飛龍隊を城内に返させた。


天法士ティエンファード隊!」


 ローヤンの飛龍隊が城壁を越えて城内に戻ると同時、城壁の上の兵士たちの一部が割れ、そこから後ろに控えていた白い法衣の者たち十人が姿を現した。


「しまった……!」


 ローヤンの飛龍隊を追って飛んで来たガルシャワの龍士ロンドたちは顔色を変えた。だがすでに遅い。


「焼き尽くせ!」


 すでに精神集中を行っていた天法士ティエンファードたちは、一斉に両手を前に突き出して印を結んだ。

 そして気合いを発すると、印を結んだ両手から灼熱の炎が噴射された。

 十人による一斉砲火。

 飛龍は素早い小回りが利かない為に咄嗟に避けることができない。

 ガルシャワの飛龍隊の先頭三十数騎が炎波に飲まれ、あちこちを焼かれながら地上に墜落した。

 それに巻き込まれ、後続の飛龍士らも互いに空中でぶつかり合い、隊列を乱した。

 ビーウェンは更にそこを狙った。


「狙い撃ちにせよ!」


 弓兵らの集中射撃。

 ガルシャワの飛龍隊は散り散りになってほぼ壊滅した。


 その後も激しい攻防が続いた。

 城壁から見える西の原野の彼方は、いつの間にか赤く焼けていた。


「味方の援軍は必ず来る、それまで踏ん張るのじゃ!」


 ガルシャワ軍の攻撃が開始されて二日目のその日、ローヤン一の名将と言われるビーウェンの采配で、何とか防ぎ切ることができた。


 辺りが暗くなり始めると、ガルシャワ帝国軍は攻撃を止め、包囲したまま夜営に入った。




 ワイシャン城内の一室――

 長机の前で、ダイ・イーツァオは焦慮の眉を寄せていた。


「しかし味方の援軍はいつ来るかわからん。そもそも外部と連絡が取れんので、援軍が来るのかどうかすらわからない。困ったものよ」


 総大将である老将ビーウェン・ワンも、深い皺の刻まれた顔を険しくしていたが、


「援軍が来ることを信じて、一日でも、いや一刻でも長くこの城を守るのじゃ」


 ビーウェンは自らに言い聞かせるように言った。

 だが、別の将らは心のうちに生じた不安を隠しきれない。


「しかし……あの敵軍の数。一万六千人はあまりにも多すぎます。我らはわずか千八百人。昨日今日と何とか持ち堪えましたが、明日援軍が来なければこの城はもうもちますまい。兵士らの士気も心配です」

「さよう。敵将、シーザー・ラヴァンは若年ながら戦上手。明日三日目ともなれば、何か別の策をも講じてくることでしょう」


 座に重く暗い空気が立ち込めた。

 だが、ビーウェンはそれを打ち払うように大声で叱咤した。


「弱気を言うでない! 将が弱気を出せばそれは必ず兵に伝わる。さすれば兵の士気に影響する。今はそのようなことは考えず、ただひたすらこの城を守ることのみを考えるのだ」




 その頃、夜空の白い月に浮かび上がる黒い影があった。


 影は、ガルシャワ帝国軍の包囲陣の上空をパタパタと飛んで行く。

 一見すると鳥かと見えるが、そうではない。明らかに鳥よりも大きい。


 それは猫であった。


 だが、豹柄の模様の身体には翼が生えている。その翼で飛行しているのであった。

 その不思議な空を飛ぶ猫は、眼下のガルシャワ軍の陣をきょろきょろと興味深げに見回しながら、ワイシャン城へと向かっていた。


 外部との連絡を取らせない為、一晩中厳重な包囲をしているガルシャワ軍であったが、上空を飛ぶ小動物には疑いの目は向けていない。

 猫はやすやすとワイシャン城の城壁を越えると、何事も無くワイシャン城内に入り込んだ。

 そして城内の薄暗い回廊をのんびりパタパタと飛んで行くと、猫はビーウェンらがいる一室に入った。


 翼の羽ばたく音で、ビーウェンらが振り返った。


「ビーウェン様、久しぶりです」


 何と猫は人語を喋った。


「うわあ、猫が飛んでるぞ!」

「猫のくせに喋った……。まさかこれが神猫シンマーオンってやつか?」


 ダイ・イーツァオらが驚いた。


「失礼だなぁ。僕らは一応神の使いって言われてるんだぞ」


 猫は不満そうな顔を見せた。

 神猫シンマーオンとは、見た目は完全な猫であるが、翼を持ち飛行することができ、また人と同等の知能を備えて人語を解することができる生物であった。

 しかし、元来は遥か北方の地に極少数が生息しているのみで、滅多に見られるもではない希少種であった。


「おお、シャオミンではないか!」


 ビーウェンはこの神猫シンマーオンを知っていた。


「どうしてこんなところに来た?」

「援軍が来るってことを伝えに来たんだ」


 シャオミンが得意気に言うと、


「援軍だと?」

「本当か? 助かった!」


 ダイ・イーツァオらは歓喜に沸き立った。

 ビーウェンは落ち着いて尋ねる。


「援軍の数は? 率いている将は誰だ? あっ、お前が来たと言うことはまさか……」

「うん、リューシス殿下だよ。兵数は五千人」


 すると、ダイらの歓喜はみるみるうちに消沈した。


「何だ、たったの五千人か」

「しかもリューシス皇子か……」

「リューシス殿下じゃ駄目だな」


 ダイたちは皆失望の色を隠さなかった。

 それには理由がある。


 リューシスとは、本名をリューシスパール・アランシエフと言い、ローヤン帝国の第一皇子である。但し、第一皇子エンズであるが、皇后の子ではなく、また複雑な出生の事情により、皇太子エンタイーズではない。


 リューシスは、少年の頃より皇子らしからぬ振る舞いが多く、皇子でありながら街に出ては不良少年らとつるんで放蕩の限りを尽くしていた。

 成長するに従ってその素行は多少は良くなったが、その代わりに様々なことに対して無気力になって行った。


 リューシスは十五歳の時に初陣をしたが、その時はなんと三千人の軍を率いて二倍の六千人の敵軍を打ち破り、また自ら敵将を討ち取ると言う華々しい武勲を挙げている。

 だが、その一戦だけがまるで奇跡であったかのように、それ以後は大した活躍もせずにぱっとしない。むしろ戦争に行くのを嫌がり、出陣しても自ら大将となることを拒み、皇子でありながら誰かの下について戦いたがった。


 だがそうやって戦場に行っても、やる気を見せずに負けもしないが勝ちもしないと言う中途半端な戦いぶりで、戦が終ればとっとと一人で帰って、後は酒宴と女遊び三昧の日々。

 そんなリューシスを、宮中のみならずローヤンの領民ですら「馬鹿皇子」と言って蔑む人も多かった。


 だが、ビーウェン・ワンと言うこの名将の見方は違っていた。


「リューシス皇子が来られるのか。ならば希望が出て来たな」


 一人で顔を明るくしていた。


「そうですか? たった五千人、しかもリューシス様なら期待できないと思うのですが」


 将の一人が言うと、ビーウェンは真剣な表情となって反論した。


「それは違う。お前たちはもちろん、国民全員がリューシス殿下に騙されているのだ。リューシス殿下は皆が言うような馬鹿ではない。恐るべき器を持ったお方だ。殿下はあえて馬鹿のふりをなされているのだと私は思っている」

「馬鹿のふり? 何の為ですか?」

「もちろん、宰相を始めとする皇太子エンタイーズ派の連中に殺されない為よ」

「………」


 ダイたちは無言になった。

 そこへ神猫シャオミンが口を挟んだ。


「もういいかなあ? 僕も早く戻らないといけないから」

「あ? ああ、すまんな」


 この神猫シャオミンは、リューシスのペット、と言うか同居猫であった。


「あとは殿下の伝言だよ」


 と言って、シャオミンはその不思議な力でリューシスの声を再現した。


「ビーウェン。明日にはそっちに着く。あと一日待ってくれ。俺が必ず助ける」

「うむ。殿下ならば五千人でもきっと何とかしてくれよう」


 ビーウェンは満足げに大きく頷いた。



 だが――


「ああは言ったものの、正直な話自信が無い」


 その頃、その第一ディーイー皇子エンズリューシスパールは馬上で頭を抱えていたのであった。

 ワイシャン城からおよそ十二コーリー(十二キロメートル)南東の原野、リューシスは一軍団を率いてワイシャン城を目指して行軍している。


「情けねえなあ。そんな弱気でどうすんだよ」


 背後で部下のネイマン・フォウコウが呆れた声を上げる。


「おい、殿下に何て言う口の利き方だ」


 それに怒るのは、もう一人の部下、バーレン・ショウ。

 このバーレン、そしてネイマン、二人共に豪傑然とした男であった。

 だが、バーレンはネイマンよりも背が高く少し細身。そしてネイマンはバーレンよりも背は少し低いが、がっちりとした筋肉がついていた。


「いや、いいよバーレン。こいつのこの口の利き方は昔からじゃねえか。今更どうこう言ったって直らねえよ」


 リューシスは苦笑する。

 この時、若干二十歳。


 白銀の鎧兜に、白い戦袍をまとうと言う颯爽とした出で立ち。

 赤毛混じりの褐色の頭髪に褐色の瞳。顔立ちはなかなかの美男子であるが、その表情はどこか冷めたような空虚なものが感じられる。

 体格は中肉中背であるが、鎧の上からでもしっかりと戦闘用の筋肉があることがわかる。


「殿下こそ、その平民のような喋り方はいい加減に直されませんと」


 バーレンは生真面目な性格である。リューシスの喋り方を常々たしなめていた。


「いいだろう。第一皇子と言っても所詮俺は半分は平民の血なんだからよ」


 リューシスは自虐的に笑った。


「でも、本当に困ったな。援軍として来たはいいけど、俺達は五千人しかない。それに対して相手は一万六千人。。ワイシャン城内の兵を合わせても圧倒的に不利だ」

「初陣の時も二倍の敵に勝ったではありませんか」

「今回は三倍だぞ」


 今回のガルシャワの侵攻は、ローヤン帝国が南方のザンドゥーア王国との抗争に多数の軍団と兵が割いていた隙をついた急襲である。

 その為、ローヤンは援軍の準備が整わず、都の近辺から苦心して兵をかき集めたが、それでもわずか五千人しか揃わなかったのであった。


 そして、第一皇子リューシスパール、彼は元々南方の戦線にいて、いつもの通りやる気のない戦いをしていた。だがたまたま所用があって都に戻り、これ幸いとばかりにまた放蕩していたところ、他に有力な将軍がいなかった為に、この援軍部隊の総大将に任じられたのであった。


「折角遊んでられると思ったんだがなあ。ガルシャワの連中、こんな時に攻めて来やがって」

「今回は総大将。しかもこの戦いに負ければ要衝であるワイシャン一帯の地を失い、引いてはローヤン全体の危機に繋がります。これまでのようにのらりくらりと適当に戦うと言うわけには行きませんぞ」

「わかってる。もちろん真剣にやるよ。だけどこの兵力差でどうやって勝つって言うんだよ」


 リューシスは溜息をついて再び頭を抱えた。

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