第9話 シューティングガードは乙女ゲーキャラに憧れるんだよ!①
金曜日の朝、練習を終えた私たちは更衣室で素早く着替えを済ませ、体育館のカギを返しに講師室へ向かう。
「あ、そうそう。ウメちゃん、これあげる」
「ん? これは……」
私から受け取った1枚のルーズリーフをウメちゃんがジッと見つめる。
「バスケ部の名簿だよ。上から順番に、顧問、監督、コーチの先生の名前。それからマネージャーの米山先輩、私、ハルちゃん、持田さんの順番でクラスも書いておいたよ」
「名前くらい知ってるし」
ウメちゃんが不満そうにつぶやいた。
「だってウメちゃん、みんなのことアンタって言うじゃん。アンタとかあの子ばっかりで誰のことだかサッパリだよ」
「うっ、そ、それは……」
ハルちゃんと持田さんも力強く頷いている。
「はい、私の名前から順番に大きな声を出して読んでください」
「分かったよ。声はフツーでいいだろ。えっと、飯田陽子」
「ハイッ!」
私が返事をすると、3人がビクッと体を震わせた。
「ちょっと飯田さん、いきなり大声を出さないでくれるかしら」
「だって、ウメちゃんが名前呼んだから」
「アタシのせいかよ!」
「カヤさん、早く次読んで。次は私だよ」
ハルちゃんが嬉しそうな声で催促する。
「ハイハイ。飛鳥春香」
「は~い」
ハルちゃんが間延びした声で返事した。
「ハルちゃん、カワイイ。天使感ハンパねっす。マジ癒されるわ~」
「何だよ、この茶番は。て言うか天使感の意味が分かんねーし」
「天使とは、天国からの使者のこと。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖典や伝承に登場する神の使いよ。『感』はいくつかの意味に分かれるけれど、ここでは感覚を起こすという意味で使われているわ。つまり飛鳥さんは、宗教界において崇高な存在であり、伝説的な人物としてその雰囲気をかもし出しているということよ」
持田さんがスラスラと早口で解説した。
「ぜってー違うだろ。そのドヤ顔やめろ。うざい」
「あら、よく分かったわね。おバカな野獣も学習するのね。驚いたわ」
持田さんがあからさまに驚いて見せる。
「ハイハイ。次は、持田ふみ……ブンカ?」
「プッ、フフフ」
私とハルちゃんは失笑した。
「あなた今、わざと間違えたでしょ。フミカと言い掛けて、ブンカに言い直したわね」
ウメちゃんがいたってマジメな顔で首を横に振る。
「い、いいんじゃない。ブンカちゃん。ニックネームにしなよ。か、かわいいよ。プフっ」
「わ、私もブンカさん、いいと思うよ。フフフ」
「ハルちゃん、ブンカさんじゃ山みたいだよ。キャハハハ」
持田さんにギロリと怖い顔を向けられ、私とハルちゃんは笑いを必死でこらえる。
「それはフミカと読むのよ。覚えておきなさい、ウメ吉」
「何だよ、ウメ吉って。それならお前、ブン吉じゃん」
「ハハハッ。2人ともやめてよ。お腹痛いよ。江戸時代じゃないんだから。ハハハッ」
「フフフ。陽子ちゃん、笑ったら全国のウメ吉さんとブン吉さんに失礼だよ。フフフ」
持田さんとウメちゃんのやり取りがたまらなく可笑しくて、お腹がよじれるほど笑った。
かくして2人は、お互いをウメ吉、ブン吉と呼び合うようになったのである。これには私たちも聞き慣れるまでに時間がかかった。どちらかが名前を呼ぶたびに、必ず吹き出してしまい、放課後の練習中は笑いをこらえるのに大変だった。渡辺先生から「マジメにやりなさい」と何度も注意を受け、しかも私だけダッシュ5本追加という理不尽なペナルティが課された。
渡辺先生だって、さんざん笑っていたくせに……。
翌日、私たちは学校の体育館で思いっきり練習に打ち込んだ。土曜日は学校の体育館が全面使用できる貴重な練習日である。バレー部とバドミントン部も体育館を使用するけれど、彼女たちの時間は午後からなので、午前中はオールコートで練習できるのだ。体力強化も兼ねてパスアンドラン、2メンや3メンなど、コート全面を使う速攻の練習を中心に行い、最後にオールコートでの3on3といった試合形式の練習を行った。9時から12時までほぼ走りっぱなしの練習メニューを終え、私たちは燃え尽きた。
「ほら、ダラダラしない。モップかけて上がるわよ。先生だって疲れてるんだから」
ぐったり座り込む私たちに渡辺先生が呼びかけた。
あー、動きたくない。て言うか動けない。むしろこのまま眠りたい……。
「飯田さん、起きてください。さあ皆さん、後片付け頑張りましょう」
米山先輩に抱き起こされて渋々立ち上がる。みんなもノロノロと片付けを始めた。
「あー、ダリい。超、体重い」
「太りすぎよ、ウメ吉」
「そういう意味じゃねーよ!」
モップをかけながらウメちゃんが覇気の無い声でつっこんだ。
「2人とも元気だねえ。私はボケる元気も、つっこむ気力も無いよ」
「へへへ。陽子ちゃんお婆ちゃんみたい。でもさ、渡辺先生と米山先輩すごかったよね」
練習の最後に行った3on3を思い出しているのだろうか、うっとりした表情でハルちゃんが言った。
渡辺先生と米山先輩が練習に参加してくれたお陰で、私たちは3on3ができたのである。先生と先輩が試合形式の練習に入るのはこのときが初めてで、2人の正確でキレのあるプレイに私たちは終始驚かされた。
渡辺先生は小学1年生からミニバスを始め、愛知の強豪校である星海学園で高校までプレイを続けた。駿河中央大学進学後はマネージャーとして選手をサポートする側にまわった。現役プレイヤーを引退して7年以上経過するのだが、まったくブランクを感じさせないプレイは、さすがバスケ名門校の背番号をつけていたと賞賛せざるを得ない。そのことを言うと、渡辺先生はいつも恥ずかしそうに「私は6年間、控え選手だったから……」と謙遜する。塩屋先生から聞いた話によると星海学園の部員数は非常に多く、選手層も厚いため、ベンチに入ることさえ困難を極めるそうだ。星海学園の控え選手は、他校であれば十分にエースとして活躍できる実力者ばかりであり、当時の渡辺先生がその一席を担っていたわけで、やはり私たちにとってはそんな先生のことを誇らしく思うのである。
米山先輩は沼津暁学園の出身だ。初等科4年生のころからバスケ部に所属し、中等科3年生までプレイを続けた。ポジションはパワーフォワードで、細身の体に似合わずパワフルなプレイが得意である。特にリバウンドでは圧倒的な存在感を見せ付けられる。跳躍したときの最高到達点はハルちゃんの方が断然高いのだが、米山先輩の巧みなスクリーンアウトで外に押し出され、ボールに触れることすらできないのである。先輩は、オフェンスでもグイグイ中に入り込んできて、高さを生かしてゴール下で勝負するシーンが多く見られた。160センチのハルちゃんを除いて私たち3人の身長は150センチ台と低めである。そんな私たちに、米山先輩は自身の高さを生かしたプレイによって課題を与えてくれたのかもしれない。
米山先輩は中等科2年の夏、膝を痛めてスタメンから除外された。県内強豪校である暁学園の選手層は非常に厚く、ケガをした1ヵ月後にはベンチメンバーからも外されてしまった。それでも先輩は練習に参加し続け、試合では必死に仲間を応援した。
スタメンで活躍していた選手が、ケガのせいで戦線離脱を余儀なくされる思いはどんなに辛いものだろうか。
先輩は自分のことをあまり話さない人だから、私がしつこく質問攻めにした末に聞いた話だ。あとで「近しい先輩だからといって、執拗に過去をせん索するのは感心しないわ」と持田さんにやんわり注意を受けて大いに反省した。
先輩に謝ると「気にしないでください。あのときのケガが無かったら、きっと私は飯田さんたちと出会えなかったと思います。もちろんスタメンで、現役でプレイしたくないという訳ではありません。しかし、今の私自身もすごく気に入っているのです。もう一度バスケに関わることができたことに心から感謝しているのですよ」と優しい笑顔で答えてくれた。練習のときは鬼と化す米山先輩が、このときは仏様のごとくありがたい後光が差しているように見えた。
「レイちゃんと先輩がスゲーのは分かるけどさ、あのオッサンはどーなのよ?」
「ダメだよ、カヤさん。監督をオッサンなんて乱暴に言ったら。オジサンだよ」
「飛鳥さん、相変わらずの天然発言に心から拍手を送るわ。オッサンを丁寧な言葉でオジサンと言い換えたところで、教師に対する問題発言に変わりは無いのよ」
持田さんが苦笑いしながら指摘する。
「だから話したじゃん。荒井先生はインカレで準優勝した駿河大のシューティングガードだって」
「それは聞いたから分かってるよ。その試合見て、陽子はバスケ始めたんだろ?」
「うん。荒井先生の3ポイントシュートすごかったんだから!」
「でも、練習に全然顔出さねーじゃん。プレイも見たことないし教えてくれたこともないから、話聞いても実感沸かないんだよな」
ウメちゃんは不服そうに言った。
「そういえば、まだ荒井先生のバスケ見たことないよね。陽子ちゃんや渡辺先生が影響を受けた選手だから、きっとすごいんだろうなあ」
「飛鳥さん、すごい選手=優秀な指導者という方程式は存在しないのよ。むしろ私は、荒井先生が監督でなくてもいいと思うの。普段の練習は渡辺先生の指導と米山先輩のサポートで十分に成立しているわけだし」
持田さんが冷静な声で考察を述べる。
「ブン吉は、渡辺先生に監督をやってもらいたいのか?」
「そこまで言うつもりは無いけれど。チームに興味が無い人を監督として受け入れることは正直抵抗を感じるわ」
少し強い口調で話しながら、持田さんは意見を求めるかのように私に視線を向けた。
「荒井先生はちゃんと考えてくれてるよ。私たちのこと。5人集まってバスケ部が正式に発足したときには監督を引き受けるって約束したもん。私は、荒井先生が監督で、レイちゃんがコーチのチームでバスケがしたい!」
「へへへ。陽子ちゃん、私が入部したときからずっと言ってるよね」
「アタシはまだ入ったばっかしだから、意見とかは無いけどさ。陽子がそうしたいって言うなら賛成するよ」
ウメちゃんがニッコリ微笑んだ。
「……ふう。飯田さん、あなたは周りを味方につけるのが本当に上手ね。意図してやっていないところが、恐るべきスキルだわ。早速、来週から部員勧誘に、より力を入れていきましょう。早く残り1名を獲得して、さぼり魔の監督さんを引っ張ってきましょう」
ため息をついて語った持田さんが、最後に笑顔を見せた。
「ほら、しゃべってないで、ちゃっちゃとモップかける。終わったら戸締りの確認」
渡辺先生の声が体育館に響いた。
私たちは慌てて返事をして、残りの体力を振り絞りモップがけに専念した。
開いた窓から時々入ってくる穏やかな風が、練習後の熱を帯びた体にとても心地よかった。
日曜日、私たちはウメちゃんに同行して再びスポーツリポを訪れた。
初めはちょっぴり迷惑そうな顔をしていたウメちゃんだったが、持田さんにいじられ、その様子を見たハルちゃんが笑い、次第に楽しそうな表情へ変わっていった。
スポーツリポでのウメちゃんは実に迷いが無かった。バッシュのメーカーとモデルはチームで統一させていることを伝えると、数秒でラインがブルーのジャパンシリーズを選択した。
「ウメちゃん、選ぶの早いね」
「そう? アタシ、青色が好きなんだよ。メーカーとモデルが決まってんだから、あとは好きな色を選ぶだけだろ?」
ウメちゃんが不思議そうに尋ねた。
「その1番が決められないんだよね。私と陽子ちゃんは赤と黄色で悩んだの。それで結局2人がかぶらないように、相談したんだ」
「そうそう、戦隊ヒーローでカラーがかぶるなんてありえないからね」
「飯田さん、私たちいつから戦隊ヒーローになったのかしら? 別にかぶったって構わないじゃない。自分が好きな色を選べばいいと思うわ」
持田さんがピンクのジャパンシリーズを手に取りながら目を輝かせている。
「ホントはコウジョピンクになりたかったくせに、さんざん迷ったあげく、イメージ気にしてコウジョブラックになった人に言われたくないやい!」
「プフッ。ブン吉、ピンク好きなの? ちょっと意外。ハハハ」
ウメちゃんが失笑した。
「ち、違うわ。初めから黒に決めていたのよ。飯田さんと飛鳥さんが迷っていたから、待っていただけよ。飯田さんこそ、『リーダーはレッドじゃなきゃいけないんだよ』とか訳の分からないダダをこねて、飛鳥さんを困らせていたじゃない」
「陽子、アンタは小学生か。ハハハ」
「まあ、まあ。陽子ちゃんも持田さんもケンカしないで。せっかくみんなで来たんだから、ほんわかいこうよ」
ハルちゃんが仲裁に入り、若干わだかまりを残しつつ、私はコウジョピンクになりそこねたコウジョブラックと和解した。
その後のウメちゃんは、変わらず素早い決断で練習着を選び、ブルーのリストバンドも2つ購入した。
本当に青色が好きなんだね。
買い物を終え、スポーツリポをあとにした私たちは、前回も訪れたハルちゃん曰く、タルトケーキがやばいカフェに足を運んだ。
本場フランスで修行したオーナーが最近開いたお店で、すでに雑誌に取り上げられるなど注目を集めているカフェである。種類豊富なフルーツタルトの中でも、洋ナシとアップルが大人気ですぐに売り切れてしまうため、なかなか口にすることの出来ないレアな商品となっている。この日もこの2種類を食すことは叶わず、私とハルちゃんは肩の力を落としたものの、初めて食べたイチジクタルトのあまりの美味しさに、喜びの声を上げた。
「ん~、おいひ~」
「ハルちゃん、グッチョイス!」
「ちょっと2人とも、静かに」
私たちを注意した持田さんは、ナイフとフォークを器用に使い、上品にケーキを食している。
さすが代議士の令嬢。育ちの良さを感じるね。
ふと、ウメちゃんに視線を向ける。
彼女も持田さん同様、スマートにナイフとフォークを使いこなし、さも当たり前といった顔でケーキを口に運んでいた。
「うっ、ウメちゃん!」
「わっ、何だよいきなり。びっくりさせんなよ」
ウメちゃんが口に運んだケーキの欠片をお皿に落とした。
「カヤさんは、私たち庶民の味方だと思っていたのに……」
「アタシも庶民だっつーの。海外とかだとテーブルマナーにうるさい店もあるから、親にしつけられただけだし」
ウメちゃんは少し恥ずかしそうに話しながら、お皿に落としたケーキの欠片を再び口に運んだ。
「そんな言い訳聞きたくないよ! 昨日、コンビニで激辛チキンにかぶりついてたウメちゃんはもういないんだ! 一般市民と貴族の格差だよ。アンシャン・レジームだよ。自由権と平等主義を断固強く訴えます」
「いや、普通コンビニでナイフとフォーク使わねーし。っていうか、今まさにフランス革命が勃発しそうな勢いで啓蒙思想を説くなっつーの」
「フフフッ……あなた達のネタ、マニアック過ぎて大衆には理解されないわよ。フフフ」
持田さんは口元を押さえ、笑いをかみ殺している。
「陽子ちゃんとカヤさんは、世界史詳しいんだねえ。ところでさ、さっきから気になっていたんだけど、あそこの席に座っているのって荒井先生じゃないかなあ?」
ハルちゃんが指差した奥の席を一斉に注目する。
ボサボサに伸びた髪、あごには無精ひげ、やる気の無い瞳、間違いなく荒井先生だ。
場違いなカフェで荒井先生を発見したことよりも、さらに驚かされたのは先生が女性と一緒に座っていたことだ。
「おおおっ! 荒井先生、女連れじゃん。こっからだと顔見えねー」
「よしなさい、ウメ吉。はしたないわよ。人のプライベートに立ち入るのは失礼よ」
ウメちゃんをたしなめつつ、それでもやっぱり気になるらしく、持田さんもソワソワしている。
「いくよっ、ハルちゃん。私たちのスクープで、明日のコウジョ新聞号外の一面記事を飾るんだ」
「ラジャー、編集長」
「お、おい。陽子、動いたらバレルって。ああっ、ハルまで」
私とハルちゃんはお皿とグラスを持って移動し、さりげなく荒井先生の近くの席に腰を下ろした。
よし、先生には気づかれていない。
荒井先生は女性と向き合い、いつになく難しい表情で話をしている。
「……オレは、はっきり言って無理だと思う」
「どうして? シンちゃんいつも言ってたじゃん。何でもやってみなくちゃ分からないって」
「それは、そいつの性格や特性にもよるし、何より段階ってもんがあんだろ?」
興奮気味に話す女性を荒井先生が穏やかな口調でたしなめる。
えっ!?もしかして修羅場?何だか気まずい空気が漂ってますけど……。
「どうなってんだ? 今、何話してる?」
「シーッ。声が大きいわよ、ウメ吉」
ウメちゃんと持田さんがこっそりと近付いてきて席に着く。
「なんか、モメてるっぽい。女の人が怒ってるみたい」
「あの人、ずいぶん若いね。高校生? 中学生くらいにも見えるかも」
ハルちゃんに言われ、改めて女性をマジマジ見ると、確かに中学生に見なくもない。
髪は肩より少し上で切りそろえ、可愛らしい幼顔にはあまり似合わない大きめの眼鏡をかけている。体も細身で小柄だ。座っているから分からないけど、多分、身長は150センチの私と同じくらいだと思う。
「わっ、マジかよ! 子供じゃん。ヤバイくない?」
「ハレンチだわっ。ふしだらよ。犯罪よ!」
「シーッ。カヤさん、持田さん静かにっ」
ウメちゃんと持田さんの声に荒井先生が気づいた。
先生は私たちを見て面食らっている。
「もういいよっ。シンちゃんの分からずや!」
「あっ、おい。ちょっと待て」
荒井先生の制止を振りきって立ち上がると、あどけない顔の少女は走ってお店から出て行った。
1人テーブルに残された荒井先生はため息をつき、食べかけのタルトケーキを一気に口に入れた。
「先生、ふられちゃった?」
「ちげーよ。お前ら何でいるんだよ?」
「カヤさんがバッシュと練習着を買うので、私たちも付いて来たんです。それで帰りに、みんなでケーキを……あああっ!」
突然、ハルちゃんが大声を上げた。
「な、何だよ、飛鳥。どうした?」
「荒井先生が食べているの、洋ナシのタルトじゃないですか! すごい人気で、今日も食べられなかったのにー」
「ていうか、このカフェに荒井先生って似合わなくね? オシャレ感皆無だし」
「ほっとけ。ケーキ食うのにオシャレはいらねーんだよ」
先生がウメちゃんを睨む。
「『荒井にフルーツタルト』とはこのことだね」
「そんなことわざねーよ。あと、呼び捨てにすんな」
「ププッ。『荒井にフルーツタルト』、値打ちの分からないものには、どんなに価値のあるものを与えても意味がなく、無駄であること。フフフッ、フフフ」
持田さんがことわざの意味を述べて笑い出す。
「笑うな、持田。『豚に真珠』の同義語みたいに解説してんじゃねーよ」
「ハハハ。マジうけるー。『猫に小判』、『荒井にフルーツタルト』。キャハハハ」
「あ、あと、『馬の耳に念仏』もりますね。さすが荒井先生、国語教師!」
ハルちゃんが感心した様子で先生を讃える。
「お前らと話しているとドッと疲れる。休日までお前らのテンションには付き合えん。じゃあな」
先生はそそくさとお勘定を済ませて、去っていった。
まったく、失礼しちゃう。普段も部活に顔出したことないくせに。
「あれ? なんだか大事なことを忘れているような……」
「陽子ちゃん、さっきの女の子のこと……」
ハルちゃんがポツリと呟いた。
「あああっ! しまった」
「陽子のアホ。先生逃げちまったじゃんか。変なことわざ言ってるからだろ」
ウメちゃんだって、大笑いしていたくせに。
「明日、みっちりと取り調べする必要があるわね。私たちには真実を明らかにする義務があるわ」
持田さんが目を輝かせながら、声をはずませて話す。
持田さん、めちゃくちゃ楽しそうだな。
まあ、義務は無いけど興味はあるから、私も異論は無いけどね。
女の子は、荒井先生のことを『シンちゃん』と親しげに呼んでいた。話の内容は途中からで全体を把握することは出来なかったけれど、恋愛のもつれという様子には見えなかった。どちらかと言うと、女の子の相談に対して、荒井先生が否定的に答え、憤慨させた感じかな?それにしても、休日にプライベートで未成年女子から相談を受ける関係って……。
「あー、どうなのー?」
「何がだよ?」
「フフフ。今年の流行語大賞だよね」
「プフッ。『荒井にフルーツタルト』、いけるわ。フフフ」
「ハハハッ。いや無理っしょ。うけるけど。キャハハハ」
頭をかきむしり、考えを巡らせて悩む私をよそに、3人はよほどツボにはまったらしく、『荒井にフルーツタルト』を連呼しながら、お腹をかかえて爆笑している。
笑い声の大きさに、近くの席のお客さんから睨まれてしまった。私は頭を下げ、慌てて3人を注意する。
ふう、まったく。
この日、私のことわざ辞典にまた新たなことわざが追加された。
『コウジョバスケ部にフルーツタルト』である――。
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