7.一蓮托生

『交流会』への参加希望者は、ほぼ全校生徒の数にまで膨れ上がりつつあった。

 パートナー制のダンスパーティー。

 参加するには相手がいることが大前提なのに、諒が指摘したとおり、なぜか参加申込書のパートナー欄には一部の人の名前が重複している。


 その一方で、学校中で今、大きな盛り上がりをみせているのが、これを機に好きな相手に告白してしまおうという風潮だった。

 気がつけば廊下のそこかしこで、はたまた体育館裏で、中庭の木の下で、大告白大会が催されている。


(なんだかなあ……)

 日頃は予習復習とライバルを蹴落とすことしか頭にないわが二年一組のクラスメートたちも、教室で妙に浮き足立ってる様子なのが意外だった。

(えっ? 江藤君と笠原さん? ……こっちは鈴木君と椎名さんかぁ……へえ……)

 ついこの間までまったくそんな気配もなかった二人が、いつの間にか仲良く肩を並べて勉強しているものだからビックリしてしまう。


(まあ、それでも『一緒に勉強』ってあたりがね……)

 最前列の席に座ったままうしろをふり返って、頬杖をつきながら教室の様子を眺めていたら、隣にやってきた佳世ちゃんに小さな声で耳打ちされた。

「琴美ちゃんは勝浦君を誘ってみなくていいの……?」

 思わずガタリと椅子の背もたれから肘が落ちて、そのまま体ごと床まで転がり落ちるところだった。


 朝早い教室。

 隣の席の諒はまだ登校して来ていなかったのが幸い。

「そ、そんっなことできるはずないでしょう!」

 思わず立ち上がった私に、教室中の視線が集まる。


「ああ、また近藤が騒いでる」とでも言いたげな冷たい視線は、次々と逸らされていったけれど、中にはなかなか外れてくれないものもあった。

(私の宿敵! ――柏木!)

 二学期の中間考査で見事学年トップ10に返り咲いた柏木は、今は私の斜めうしろの席にいる。

 その位置からじっと視線を送られ続けるのは、さずがに居心地が悪い。


(私のことを嫌ってるんだったら、とことん無視すればいいのに……すぐに絡んでくるから嫌なのよね……!)

 今日もいつもどおり、表面上は温和な笑顔を浮かべながら、人の神経を逆なでするような声で話しかけてくる。


「朝から賑やかだね、近藤さん……何ができないの……?」

 どうせ嫌味を言われるばかりなのだから、このまま無視してしまいたい。

 でもそういうわけにはいかない。

 こちらが返事をしないと見ると、どんどん自分勝手に話を進めてしまうのだ。

 ――この柏木という男は。


「交流会の準備? 期末考査に向けての追いこみ? ああ……ダンスのパートナー探しかな……?」

 適当な予想が、あながち外れでもないからますます嫌になる。

「違うわよ!」と叫び返すタイミングを、私はすっかり逃してしまった。


「君もこれをきっかけに告白したらいいじゃない。いとしの芳村君に……!」

「…………!」

 目を剥いて睨みつけたら、私の目の前にスッと学生鞄が降りてきた。

 視界から柏木の顔が消えると同時に、頭上から聞こえてきたのは、ちょっとお怒り気味のよく聞き慣れた声――。


「こいつの好きな相手は貴人じゃないんだってさ……からかい甲斐がなくなって残念だったな」

 ドキリと心臓が跳ねる。

 恐る恐る顔を上げた先では、諒が私の頭を軽く顎で示しながら、柏木と視線を戦わせていた。


「へえ……」

 あまり驚いたふうでもない興味なさげな返事を、柏木は返す。

 諒がそのまま前の席に腰を下ろそうとした途端、背中に向かってボソッと柏木は呟いた。

「だったら君なんじゃないの? ……勝浦君?」

「………………!」

 ギャーッと叫んでしまいたかった声を、私は必死の思いで呑みこんだ。


(なんってこと言うのよ! 本人だって自覚したばっかりで……そう簡単には伝えられそうにもない想いを……! よりによってあんたが、冗談のように言うんじゃないわよ!)

 口には出せない思いを目にこめて、ギンと柏木を睨みつける私に、隣から注がれている視線がある。

 恐る恐る横を向くと、諒がこちらを見ていた。

 ドンッと心臓が跳ね上がる。


「は? え? な、なに?」

 焦ってしまって上手く言葉も返せない私からフッと視線を逸らすと、諒は大きなため息をつきながら半身ふり返り、柏木を睨んだ。

「……んなわけあるかよ……」

「……まあね」

 意地悪く笑いながらの返答に、私の全身は硬直した。


(……なに? ……悪趣味な冗談だったってこと……? その結果私は、まだ告白してもいないのに、諒に完全拒否されたってこと……?)

「………………!!」

 考えるだけで、頭に血が上ってクラクラした。

(よくも! 柏木ーっ! 覚えてなさいよっ!!)

 おかげでますます、諒に「実は、私……」なんて言えるような雰囲気ではなくなってしまったことを感じた。



 あまり「やる気のある」とは言い難いポーズで、なかば机につっ伏すようにしながら、クリップで留められた紙をめくる。

「一年八組 長山裕太……参加……パートナーは同じクラスの友岡さん……おー……お熱いことで……」

「ちょっと琴美! 余計なコメントはいらないから、さっさと進んでよ! さっさと!」

 夏姫に声をはり上げられて、私はしゅんとなった。


「……ごめん」

「だってうらやましいんだもん」なんて正直な思いは、とても口に出しては言えない。

 放課後の『HEAVEN』。

 交流会の参加者の名簿作りは、いよいよ佳境にさしかかっていた。

 集まった参加希望書の仕分けも終わり、今はパソコンに入力しているところだ。

 夏姫も美千瑠ちゃんもいる今日のうちに、できるだけ済ましておいたほうがいいのはわかっているが、なにしろやる気が出ない。


 学校中でどんどん新しく誕生している交流会用のカップルを確認していく一方で、自分自身はと言うと、参加さえ危ぶまれる状態なのだ。

「夏姫はいいよね……」

「は?」

 思わず本音が漏れてしまって、パソコンに向かっていた夏姫から訝しげな目を向けられた。

 なかばヤケクソ気味に、私はこれまで言いたくても胸に秘めていたことを、もうこの際だから全部口に出してしまう。


「だって玲二君と組むんでしょ? ……いいな。決まった相手がいる人は……これって私みたいに相手がいない人間には、実はかなりキツイ行事なんじゃない? ……まあ私の場合は、当日、裏方に徹すればいいだけの話だけど……」

 一瞬真っ赤になって反論しようというそぶりを見せた夏姫だったが、美千瑠ちゃんに首を振って止められ、机を挟んだ私の真向かいに座り直した。


「琴美……あんたねぇ……」

 何かを言いかけた夏姫に向かって、部屋の中央から鋭い声が飛んでくる。

「夏姫。甘やかすな。放っておけ」

 いかにも尊大な物言いは、そこでさっきから熱心に何かを作っていた繭香だ。


「うだうだ悩んだって、どうせ道は一つしかないんだ。決心をつける手伝いなんてしてやることはない……琴美はきっと、自分でもわかってる……」

 褒められているんだか突き放されているんだかよくわからない言い方に、それでも私はちょっぴり泣きそうな気持ちになった。


「繭香……」

 繭香はプイッと、わざわざそんな私から顔を背けてみせる。

「らしくもない……!ごちゃごちゃにこんがらかってわけがわからなくなる前に、さっさと言ってしまえ!」

 夏姫の言葉は止めたくせに、自分は結局私の背中を押してしまっている。

 そんな繭香が可笑しくて、少し気持ちが浮上した。

 だけど――。


「こればっかりは、そう簡単にはいかないわよ……」

 なかなかいつものような「よーし頑張るぞ!」というやる気は湧いてこない。

 しょうがない奴だとばかりに、繭香はため息をついた。

「じゃあもう気にするな! あいつが他の女をパートナーにしたって、交流会で他の女ととっかえひっかえ踊ってたって、気にしないで仕事に打ち込め!」

「そんなの……」

 頭の中でありありとその光景を想像してみたら、涙声になってしまった。

「……嫌だよ…………」


 あーあ、こんなに好きなんだなと思う。

 諒はいつの間にか私の中で、こんなに大きな存在になっていた。

 うららの言葉ではないけれど、確かに『誰にも譲りたくはない』。

 ほとんど喧嘩ばかりだけど、それでも諒の隣のあの場所に、自分以外の人が立つのは嫌だ。

 でもだからといって、この想いを本人に伝えることは、私にとってはとてつもなく難しい。


(どうしよう……どうしたらいいんだろう……?)

 自分に注がれる繭香たちの視線を一つ一つ受け止めながら、私は懸命に頭を捻った。

 私の人よりちょっと回転の早い頭が、もっとも自分を追いこむ方法を導き出す。


(……自分一人だって思うからいけないんじゃない? 他の人も巻き添えにしちゃえば……そしたら、今さらあとには引けなくなるかもよ……?)

 繭香と夏姫と美千瑠ちゃんの顔を順に見ながら、私は恐る恐る口を開いた。

「じゃあ……みんなも……自分から誰かに、パートナーになることを申し込んでくれる? みんなと一緒だったら、私も覚悟を決めるから……」

 私の提案に、三人は実に対照的な反応を示した。


「は? なんで私が?」と、椅子ごとひっくり返らんばかりに動揺する夏姫。

「ええいいわよ」とニッコリ微笑んで、あっさりと頷いた美千瑠ちゃん。

「私にはそんな相手はいない!」と怒りにこぶしを握り締めた繭香。

 三人三様の返事が面白くて、こんな時だというのに、思わず笑いがこみ上げる。


「じゃあさっそく行きましょうか?」

 真っ先に席から立ち上がった美千瑠ちゃんが、扉に向かって歩きながら私たちを手招いた。

「早くしないとサッカー部の練習が終わっちゃうわよ。夏姫ちゃん」

「ちょっと美千瑠!」

 焦った夏姫は、ガタンと椅子を鳴らして立ちあがった。


「無理! 無理だから!」

 顔を真っ赤にして叫ぶ夏姫を、美千瑠ちゃんは天使の笑顔でふり返る。

「無理じゃないわ。夏姫ちゃんの誘いを玲二君が断わるわけないでしょ? すぐにOKが出るわよ」

「そうじゃなくって!! ……だ、だいたい自分は? 美千瑠はどうすんの? 誘いたい奴なんていないでしょ?」

 なぜか自分に向いた話の矛先を変えてしまいたくて、夏姫はもう必死だ。


(やっぱり夏姫だって私と一緒じゃない……日頃はポンポン文句を言えたって……ううん。だからこそ……肝心な事は言いづらいのよね……)

 夏姫に同情する気持ちすら浮かんできた私の耳に、美千瑠ちゃんの思いがけない言葉が飛びこんでくる。


「私は大丈夫よ。こんな時にお願いする相手は昔っから決まってるの。繭香だってそうでしょ? 私たちはものの2、3秒で終わる……だから、夏姫ちゃんも琴美ちゃんもちゃんと心の準備をしておいてね?」

「……ああ。そういうことか」

 呆気に取られる私と夏姫を尻目に、繭香が何事かを得心したようで、美千瑠ちゃんを追って歩きだした。


 腰まである長い髪をサラッと揺らしながら、硬直している私と夏姫をふり返る。

「それならおやすい御用だ。どうやら貧乏くじを引いたのは、夏姫と……琴美……お前本人だけだぞ?」

 よっぽど面白いことを思いついたとでも言わんばかりに、唇の端を吊り上げて、繭香はニヤリと微笑む。


「だからちょっと待ってってば!」

 叫ぶ夏姫に、繭香は大きな黒目がちの目をグワッと見開いた。

「四の五の言わずに早くしろ! 仕事だってまだ全然終わってないんだぞ!」

 その大迫力の目力を受けて、まだ文句が言える人間が貴人以外にいるんだったらぜひお目にかかってみたいものだ。

「はい……」

 しおらしく頷いた夏姫と悲しみに満ちた視線を交しあって、私たちは『HEAVEN』をあとにした。

 もとは自分で言い出したこととは言え、私はまるで戦場に向かう兵士、断頭台へと上る死刑囚の気分だった。

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