3.普通ではない日常

「どうした琴美!」

「なんだ?」

 さすがに保健室から出て行ったばかりの貴人と繭香は、駆けつけて来るのが早かった。


「な、なに?」

「どうかしたのか?」

 ユニフォーム姿の玲二君と剛毅は、どうやら部活途中にグラウンドから走って来てくれたのらしい。

 ということは、私の悲鳴は校庭にまで轟いていたということだ。


「ど、どうもこうも……諒が……!」

 涙を浮かべながらみんなに訴えようとした私の目の前に、その諒が立ちはだかった。


「ちょっと悪戯したら、こいつがもの凄い悲鳴上げたんだよ……悪い……なんでもないから……」

 肩を竦めながらそんなふうに弁解してしまったので、みんな「なあんだ」と言わんばかりの視線を私に向ける。


(悪戯って! 悪戯って……!)

 怒りと驚きのあまり、口をパクパクさせるしかない私をふり返り、諒はひどく魅惑的に微笑んだ。

「なんだよ……そんなに騒ぐほどのことでもないだろ?」


(どこが? 私にとっては、もの凄く大騒ぎするべきことなんですけど!)

 すぐに叫び返せなかった。

 私を見つめる視線と真正面から向きあった途端、なにかピンとくるものがあった。

 ――これはきっと諒じゃない。


 見た目にはどこをどう見ても諒だし、体は確かに諒のものに違いないが、『中身』が違う。

 絶対に違うと思う。


(中身が違うってどういうことだろう……?)

 自分で思いついた考えに自分で首を捻る。

 その瞬間、ほんのついさっき他ならぬ自分が血相を変えてみんなに話したことが、脳裏に甦った。


 中学の修学旅行の時にお坊さんがくれた忠告――。

『どうやらとり憑かれやすい方のようですので、今後もお気をつけください……』


(やっぱり! ……あの時みたいに、中に『何か』が入っちゃってんじゃないのよ! 諒!)

 キッと睨みつける私に向かって、諒なのに諒ではない『誰か』は、ニコリと笑いかけた。


「帰るよ、琴美。そんなに怒んなよ……話は帰りながらでいいだろ……?」

 あきらかにさっきの貴人の言葉を模倣したセリフ。

 私はその人物に向かって敢然と顎を上げた。

「そうね。そうするわ!」


(まったく世話がかかるったらありゃしない! いっつも私を馬鹿にしてるわりには、自分だってこんな変な癖があるんだから……!)

 クルリと私に背を向けて歩き出す背中を追う。


(もとに戻ったらたっぷり文句言わせてもらうわよ! 私のおかげで助かったんだって……ここは大きな貸しを作っておかなくっちゃ……!)

 これまで自分が諒にさんざん助けてもらったことは棚に上げて、そんなふうに考える。


 だけど淡々と歩き続ける諒じゃない誰かの背中を見ているうちに、ふと不安な気持ちが過ぎった。

(でも……どうやって助けるんだろう? 修学旅行の時みたいにお祓いしてもらったらいいのかな? どこで? 誰に?)


 残念ながらそっち系の知りあいは私にはいない。

『HEAVEN』のみんなに助けを求めたいけれど、今この場で「これは諒じゃないわよ!」なんて突然言い出したら、この『誰か』に諒の体ごと逃げられてしまいそうだ。


 少なくとも今はまだ、私が違和感に気がついたということを知られるわけにはいかない。

 ここは油断させておいたほうが得策だと、私の人よりちょっとだけ回転の速い頭は結論づけた。


「待ってよ、諒!」

 できるだけ普段どおりを心がけながら、背中に呼びかけた。


 ニッコリと笑ってふり返る相手に、心の中だけで舌を出す。

(諒は私相手にそんな優しい反応はしません! もっとずっと失礼な態度で、いつだって半分怒ったような顔しかしないんだから……!)


 そう、眉間に皺を寄せている顔か、目を吊り上げた顔しかとっさに思い浮かばない。

 それぐらい私に対する諒の態度は失礼極まりない。

 今向けられている美少年そのままの笑顔なんて、きっと私相手には一生見せることはないはずなんだ。

 だけど――。


 それでもなんでもいいから、もとの諒に戻って欲しいと、私は思う。

(だって……なんか調子狂うじゃない? ニコニコ愛想のいい諒なんて……)

 ゆるい決意とは裏腹に、握り締めたこぶしは固かった。

 諒をとり戻さなきゃと思う気持ちだって、本当はとてつもなく強かった。

 

 

 一人の人間が他の人間に成り代わろうとする時、一番困るのはなんだろう。

 おそらく、その人がこれから何をするところだったのかとか。

 周りの人に対する接し方とか。

 傍から見ているだけではわからない、感情に関わる心の機微だと思う。

 なのに諒の中に入っている『何か』は、本当は本人なんじゃないかと疑うぐらい、そのあたりまで完璧だった。


『夏休みの学校に泊まって、七不思議を検証しよう合宿』――通称『七不思議合宿』の告知に共に廻りながら、女の子にニコニコと説明をする智史君に、いい顔をしないところまで完璧。


 なのに、なぜかそこだけスコーンと抜け落ちてしまったかのように、私に対する態度だけが大間違いのままだった。

「琴美!」

 ニッコリと笑顔で呼ばれて、始めは背筋がゾッとしていたのが、次第に慣れてきている自分が恐ろしい。


(まずいわ……このままじゃ、本物の諒をとり戻さなきゃって使命まで、そのうち忘れてしまいそう!)

 単純な自分の順応力に危機を感じて、他のみんなにそれとなく話をしてみようとするのだが、なんと言っていいのか私にはわからない。


 諒は傍目には何の変化もないし、行動にもどこもおかしなところはない。

 じゃあいったいどこがおかしいのかと言うと、それはもうただ一点――私に対する態度だけなのだ。

「琴美の気のせいじゃないの?」と言われてしまえば、私自身まで思わずそれで納得してしまいそう。


 ――でも違う。

 サラサラの髪をかき上げながら、私に片目をつむり、「やあ、マイスイートハニー」なんて耳元で囁いてしまう諒は、絶対に諒じゃない。


「絶対に違うのよ!!」

 頭の中だけでぐるぐると考えていたはずだったのに、いつの間にか声に出して叫んでしまっていた私に、『HEAVEN』中の視線が集まった。


「何が違うんだ……!」

 怒りに満ち満ちて冴え渡る繭香の声。


 どうやら『七不思議合宿』について、それぞれの持ち場など細かなことを決める会議の真っ最中に、私は完全に自分の世界に入ってしまっていたようだ。

「琴美は諒と二人で『夜中の音楽室でひとりでに鳴り出すピアノ』の係だ……一人で一つの場所を受け持つ者だっているんだから、二人いるだけでありがたいと思え!」


 完全に、受け持ちが気に入らなくて異議の声を上げたとばかり思われている。

「い、いやそうじゃなくって……受け持ちは別にそれでいいんだけど……って……諒と二人!?」

「ああ」

 無情にも繭香はコックリと頷いた。


「さっき諒が、琴美と二人で受け持つからって自分から言い出しただろ……まさか聞いてなかったのか?」

 爛々と輝き始めた繭香の大きな瞳に恐れをなして、私は慌てて首を横に振った。


「ううん! 聞いてた! 聞いてた! まあそれでいいっか……ハハハ」

 力なく笑う私にほんの少し体を寄せ、隣に座る諒じゃない諒は小さな小さな声で囁く。

「楽しみだねハニー」


 夜中の学校。

 七不思議に数えられる怪奇現象が起こる音楽室。

 どうやら何かにとり憑かれているらしい諒と二人きり。


 どう考えても『楽しみ』とは思えない状況に、心の中だけで、

(楽しみなはずないでしょ!)

 と叫び、私は諒の顔を睨んだ。


 ちょっと見慣れてきた可愛らしい笑顔の中に、なにやら押し殺したような別の感情が垣間見える。

 ――何かを決意しているような、意欲に満ち満ちた表情。


(な、何? ……まさか何かするつもり……?)

 何の武器も持たず、対抗する術もない私には、拭い去りようのない不安だけが募った。

 

 

「それで……何がどうなったら、神社でお守りや護符を大量購入する気になるわけ?」


 放課後、『HEAVEN』からの帰り道。

 私は同じ方向に帰る可憐さんについて来てもらって、通学路途中の神社へと寄った。


 財布の中にあったお小遣いを全部使って、最低限自分の身を守るための装備を購入した私を、可憐さんは綺麗に手入れされた眉をひそめて見つめる。

「そんなに嫌だったら、七不思議のところだけでも抜けさせてもらえばよかったのに……」

 

 心配してくれる可憐さんには悪いが、これらの装備は、まちがっても『対七不思議』用ではない。

 それよりもっと切実な『諒の中の何か』用なのだ。


 お守りや護符を手にとって、裏返したり、持ち上げて日にすかしてみたり。

 正直これが役にたつのか、たたないのかさえ私には半信半疑だが、途中まで一緒に帰っていた諒が、私が神社に寄ると言い出した途端、

『お、俺は用があるから……じゃあここで』

 なんていなくなってしまったところを見る限り、どうやら少しは効き目があるようだ。


(何かが起こるって決まっているわけじゃないけれど……備えあれば憂いなしって言うもんね!)

 まるで動物的としか言いようのない私の勘どおり、諒の中の『誰か』が行動を起こしたのは、やっぱり『七不思議合宿』の夜だった。

 

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