第55話  どこから来たの? 2


「さて、ここでお嬢様に質問です」


 俺は真剣な顔を作ってお嬢様を見る。


「うゆ?」


 ウィスタリアのお嬢様、超可愛い。

 それでもいくら可愛かろうが、子供は子供。

 あのクロフォードがあそこまでお嬢様馬鹿なのは絶対おかしい。

 そして俺は指を一本ずつお嬢様の目の前に立てて行く。


「1、クロフォードは洗脳された

 2、クロフォードは改造された

 3、クロフォードは別人である。

 さあ、どれ!」


 ぽやん、と見ていたお嬢様が元気よく口を開いた。


「よんばーん」


「4番!?」


 まさかの回答だった。


 ✳︎


 かつて、「ウィスタリア」と言えば、押しも押されもせぬ大貴族の代名詞だった。

 そのウィスタリアが政権争いに敗北し、爵位を返上し、名ばかりの辺境伯の位と一緒に文字通りの辺境へと左遷されたというのは有名な話だ。


 噂は話半分で丁度いい、と誰かが言っていたが、全くもってその通りだと実感する。


 ウィスタリア家当主と直に会い、話してみて確信した。

 コイツはとんでもない狸だ。


 実際、屋敷や使用人の規模は、片田舎に左遷されたお貴族様には妥当なものだと思う。

 も含めて。


 しかし、あのクロフォードと、その祖父であり、家宰であるクロードさんを従えている時点で、政権争いでの敗北という点においては全くの出鱈目だろう。

 それに多分、裏の人達も優秀だ。

 気配はないのに人の存在を感じるのはそういう事だろう。


 ウィスタリア当主このひとならその気になれば、いつでも公爵位に返り咲けるし王位簒奪とかやればできそうで怖い。

 まあ、これは俺の予想でしかない話という事にしておいて欲しい。

 カーディナルご当主様が「魔王」と呼ぶのにも納得した。ウィスタリア家当主はそんな感じの人だった。


 3歳になるご息女のお祝いは夕方からであるが、今現在、かなりバタバタしている。

 かなり張り切って早めに来ちゃったうちの奥様、坊ちゃまに更に大慌てしたのは当主夫妻、二人の執事を除く使用人達で、それを見た奥様が「息子の面倒は私が見るから、良かったらウチのユートも使っちゃって頂戴」と宣い、今に至る。


 正直、子供同士とかいう理由で、あの坊ちゃんをお嬢様と一緒に押し付けられたらどうしようかと色んな意味で戦々恐々としたが、奥様もそこまで無茶振りするつもりがないことに安心した。


 クロフォードは最後までお嬢様から離れるのを渋ったが、クロードさんの「説得」(物理)に折れて屋敷内の指揮を取っている。

 使用人さん方、ご愁傷様です。


 で、お嬢様であるが、めちゃめちゃ大人しい。

 いや、年相応にそれなりに動き回ったりもするけれど、あの鬼子ぼっちゃんとは雲泥の差である。しかも、見た目に癒し効果がハンパない。

 ひょっとしたら、クロフォードもぼっちゃんおじょうさまのギャップの差にやられたのかもしれない。


「ほーしゃんはいつもほーしゃんよ?」


 不思議そうに俺を見上げるお嬢様。


「あー……うーん、そうなんですけどね」


 貴女の執事さん、大の子供嫌いなんですよ。なんて言おうものなら俺は生きてこの屋敷を出られない。


「あー……、忘れてください」


 結局、俺は我が身可愛さにこの件に関しては放棄した。


 お嬢様は俺と話をしながら、俺から視線を外さない。俺と遊んでいても俺をじっと見る。

 別口からの視線は気にしない事にする。

 暗に「見てんぞオラァ!」的なメッセージは受け取らない。可愛い女の子ならともかく、物騒な特技をお持ちの特殊職の人からはゴメン被る。


 お嬢様が俺をじっと見つめる。

 多分、俺が珍しいんだろう、無理もない。

 この国はあらゆる人種・・の坩堝だ。

 哺乳類、爬虫類の特徴を持った亜人や魔力に秀でた魔族や森の民、洞窟で暮らす地の民を含めての人種である。

 他にも氏族クランと呼ばれる「人ではない獣」もいるらしいが、彼らが人前に姿を現す事はまずない。


 人間は総じて彫りの深い顔立ちで、俺みたいなアジア系の人間は滅多にいない。


「ゆーと?」

「なんですか、お嬢様」


 お嬢様がじっと俺を見る。

 その青い瞳はまるで、俺の奥底まで覗き込もうとしているような錯覚さえ覚える。


「ゆーとはしたのおにゃも……え」

「えーっと、下の名前?」


 お嬢様がこくり、と頷く。

 やっぱり俺が珍しいんだなぁ、と内心苦笑する。


 奇異の視線や好奇を含んだ態度は慣れたとはいえ、気持ちのいいものじゃない。

 だが、お嬢様のそれは、どちらかと言えば微笑ましい。


(やっぱ、見た目かなぁ……)


 今更ながらに自身の単純さには呆れるしかない。


 だからだろうか。


「ユート・カブラギ、俺の国では鏑木 侑斗って上の名前と下の名前が逆なんですよ」


 今まで王都に来てからは絶対に口にしなかった事を口にしてしまったのは。


 この世界の、僅か3歳の女の子。

 この世界の常識を一生懸命覚える小さな彼女は、きっと、「苗字と名前が逆」なんて事に理解が追いつかない。

 その証拠に俺を見つめたまま完全に停止してしまっている。

 あんまりにも動かなすぎて、ちょっと心配になった。


「お嬢様?」


 やっと我に返ったお嬢様はわからないなりに理解してくれたのだろう。


「ふしぎねー」


 そんな言葉が飛び出して、


「そうですねー」


 思わず笑い出しそうになった。

 そこからは好奇心に火がついてしまったらしい。


「ゆーとはどきたの?」

「んー……、東の、小ちゃい島国ですかね」


「あちらの世界の」という注釈がつくだけで、嘘ではない。


 実際、こちらの世界にも東には島国があり、アジア系な色と顔立ちを持った人間の国があるらしい。勿論、髪と目の色は別々だ。


「ずっと、ずっと遠い国です」


 故郷が脳裏をよぎった。


「ふ〜ん」


 同色の髪と瞳はお貴族様でも滅多に出ないものなのに、平民がそれを持つのは「この世界」ではおかしいらしい。その事実を認識する度に、つくづく俺は恵まれてると思わずにはいられない。黒髪黒目という人間はまずいない。いたとするなら、それは貴族か———


「お嬢様、マレビトって知ってます?」


 言った瞬間、自分でも驚いた。何で自分からこんな事を言ったのかが分からない。

 お嬢様が首を横に振る。


「「ここ」じゃない「どこか」から偶に紛れ込んでくるらしいです」


 仕方ないので無難に説明しておく。

 裏の人達・・がここにも、いる。

 それも頭が一つか二つ飛び抜けてるのが。

 下手な事は言わないに限る筈なのに、つい口が滑ってしまった。


「ゆーとはまれとしゃん?」

「俺は違いますよ」


 それには迷いなく即答できた。

 青い柔らかそうに見えた髪は、やっぱり柔らかく、手に心地いい。


「マレビトはマレなる知識をもたらヒトですから」


 そこはしっかり強調しておいた。

 俺に、この世界に齎せる稀な知識なんかない。俺はただの一般市民で、しがない大衆食堂の次男坊で、勉強の苦手な学生ガキだった。


「すっごく偉い先生みたいな人でわかります?」

「あい!」


 わからないと顔に書いてあるお嬢様に分かりやすく説明すれば、元気な返事が返ってきた。


 3歳児相手とは言え、なんでこんな話をしちゃったかなー……、と己の迂闊さに自己嫌悪に陥る。


「ゆーと」


 そんな俺をお嬢様の青い瞳が覗き込む。

 深い深い、吸い込まれそうで、沁み渡るような青い輝きに目を奪われた。


「おうちにかええうれるといーね」


 一瞬


 心臓が止まるかと思った。


 なんで、この話の流れでそんな台詞が出てきたのかは分からない。けど、このお嬢様は、俺の心の奥底に沈めた願望ねがいを的確に拾い上げた。


 遠い島国からの出稼ぎだと言えば、誰もがそれで納得した。

 故郷や家族が恋しかろうと問われれば、その通りなので肯定した。

 いつ帰るのかと問われれば、曖昧に返すしかなかった。マレビトが帰ったという話は何処からも出てこなかった。

 気がつけば、帰る事を諦めていた。


 その青い瞳を見ていると、俺の中で込み上げてくる何かがあった。

 恥も外聞もなく、泣きたい衝動に駆られた。

 けど、俺は他所様の使用人で、そんな無様を晒したら、それこそ俺の今後に関わってくる。

 冷静な俺が辛うじて待ったをかけた。


「そうですねー」


 今の俺はきっと上手く笑えない。

 けど、お嬢様に下手な心配をかけるわけにはいかないので、どうにか表情を取り繕う。


 俺を見つめる青い瞳はやっぱり俺の奥底まで見透かしていたらしい。


“無様で同情を買う真似だけはするな”


 去り際に残した奴の忠告は手遅れかもしれない。


 そのお嬢様の青い瞳が天井を見た。


「ちぇしゃ、まーち」


 その呼びかけ・・・・に俺は慌てた。明らかに今のは「裏の人」の呼び名だ。

 どれだけ親しい間柄でも、貴族間で裏の存在を明かす事は禁忌タブーに近い。まだ小さいお嬢様にそれが理解できる筈もなかったのだ。

 恐らく、非常時を想定して教えたものだろうが、これはマズイ。主に俺の命が。


 お嬢様の呼びかけに応えはない。


「いまの、しー、ね」


 お嬢様が口元に指を一本立てる仕草をする。こつり、と小さな物音がした。

 それに満足げな顔をしたお嬢様が俺を見て、やっぱり指を一本立てる。


「ゆーとも、しー、ね」


 それはつまり、俺がここの「裏の人」の存在を黙っている限りは「裏の人」も黙っていてくれるという事だろうか。

 現実はそう甘くはない。頭の片隅で囁く声を聞きながらも、俺は呆気にとられたまま、首を縦に降った。


 満面の笑みのお嬢様を見つめる俺の脳裏に先程の親友の忠告の続きが蘇る。


“お嬢様はさとい・・・


 俺は昔から何かと迂闊で、その迂闊さから何となく察しているらしくフォローを入れてくれていたクロフォード。

 そのクロフォードが、お嬢様に目をやりながら、残した台詞だった。

 どちらも聞いた時は何の事かさっぱり分からなかった。


「敏い」のか、「聡い」のか、そもそも3歳児のお嬢様相手に晒す無様ってなんだよ、と、そう大して深く考えもしなかった。


(あー……、わかったかも……)


「裏の人」もお嬢様の為だけの存在だとピンと来た。この手の勘は外れた試しがない。


 あの子供嫌いのクロフォードが、このお嬢様だけを特別扱いする理由が分かった気がした。きっとアイツもこのお嬢様相手に無様を晒した事があるのだろう。


わかっているのかいないのか、俺の勘をもってしてもわからないお嬢様はすごいでしょ、と言わんばかりに自慢げに俺に笑いかけた。



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