第28話 結6 白昼夢

 車はいつも棟の中から眺めていた、大きな橋を渡っていた。

 棟からでは分からなかったが、かなり古い橋なのか、あちらこちらが錆びていたり、修繕された跡がある場所が目立つ。この橋を超えると、ひとけのない工場地帯へと入っていく。結はその景色が新鮮で外を食い入る様に見つめていた。

 その工事エリアはかなり広く、棟からでも、この工場地帯の終わりは確認できなかった。


「高谷さんは、毎日ここを通って、仕事場まで通っているんですよね?」

 結が尋ねる。

「ああ、そうだよ」

 ハンドルを握り、前を向いたまま高谷が答える。

「ここって何だか人の気配が全然感じられないんですが、何の工場なんですか?」

 その質問に高谷は、少しの間返事をしなかったが、外の景色を眺めながら結が返答を待っていると、ゆっくりと話し出した。


「ここは、工場兼、刑務所なんだよ」


 結は少し驚き、振り向いて運転席の高谷の顔を見た。高谷は先程と変わらぬ姿勢で淡々と続けた。


「日本の人口が減り続けているのは知っているよね? そんな中で、日本の犯罪の件数は、凶悪犯罪は減ってはいるものの、軽犯罪を含めると、数はあまり減ってはいない。そしてその分、囚人の人口も増える。貴重な国内の労働力を、刑務所の中で無駄にしてはいけないと、国が作ったのがこの施設だ」


 高谷はゆっくりとハンドルを切りながら結をチラッと見た。結の顔は強張っている。


「囚人一人あたりに使われる費用は年間低く見積もっても100万円以上、それでなくても少ない税金を、10万人近い囚人全員にかけているのは厳しいものがある。そこで一般の人間がきつくてあまりやりたがらない様な仕事をここに集めて、刑罰という形で労働させているんだよ。

 この中では囚人達が刑を全うするまでかなり厳しく働かされているんだ。実はここでは、かなり利益を出せているらしいよ。まあ、給料も払わず厳しく働かせていれば利益もでるだろうが……。

 あまり人の気配が感じられないのは、皆この中で暮らしていて、なかなか外に出る事は無いからじゃあないかな」

 話を聞き終えると、結はまた窓の外へと視線を戻した。車が赤信号で止まると、周りを刑務所に取り囲まれたという、閉塞的な恐怖感が押し寄せる。結は、早く信号が青になり、車が走り出して欲しいと願った。


 その時、右手にある大きな工場に不意に目をやると、その建物の1階の窓から、1人の若い男がこちらを凝視している事に気付いた。横に分けた長い前髪の間から、鋭い目を覗かせている。どこかで見た事があるような、印象的な鋭い目だ。彼は結の顔を確認すると、細かった目を、がっと大きく見開いた。怒りなのか、驚きなのか、ここからでは細かな表情までは見て取れない。結は背中に悪寒を感じ、すぐに高谷の方へ向き直った。

「ん? どうかした?」

 結の突然の挙動に高谷が尋ねる。

「いえ、なんだか中にいる少年と目が合った気がして……」

「今はあんまり外を眺めない方が良いよ。近くになったら起こしてあげるから、少し横になって目を閉じていたらどう?」

 高谷が青になった信号を進みながら言う。

「高谷さん、ここにはあんなに若い人も入っているんですか?」

 結がたずねる。

「え? ああ、知っていると思うけど、凶悪犯罪の低年齢化に伴って、少年法は度々の改正が行われて、対象が12歳以下になっているからね。それ以上の年齢の人間であれば、たとえ未成年でもここには大勢いるよ。力が有り余っているし、この施設にまわされやすいんじゃないかな」


 高谷が当然のように答える。大金を払って過去の記憶を消し、生まれ変わりたがる人間達の棲家の近くに、犯罪を犯し、その償いのために、無償で厳しい労働を強いられている人間達の棲家がある。

 その状況に、結は違和感を覚えながらも、ある意味で合点がいっていた。

 おそらく両派の人間の現在の暮らしぶりはまるで違うだろう。

 しかしここへ来る前の、人を構成する色々なパーツ、その中でも内面に関してはあまり違わなかったのでは無いだろうか。どちらも脳の機能が壊れた、人間として粗悪品だったはずだ。大きく違った点が、お金を持っていたか、否かという事であったのではないかと思った。下手をしたら自分もあの灰色の壁の向うにいたのかもしれないと思うと、結は、自分がお金を持っている側の人間であった幸運に感謝しながら、同時に罪悪感も感じていた。

 高谷からは横になっている事を勧められたが、結は車の外を流れる初めての外の景色に、目を閉じている事が出来なかった。行き道の大半が高速道路で、壁に囲まれた状態だったが、周りを走る車に乗っている人間を観察しているだけでも、結にとっては新鮮で刺激的だった。楽しげにクリスマスイブを過ごすカップルや、見たことも無い、大きなバスに大勢で乗り込んでいる中高年の団体、沢山の荷物を積んだ四人家族は、後部座席で幼い兄弟がじゃれあってはしゃいでいる。棟の中では見られない光景に、今後の自分の人生を重ね合わせ、結の心は高鳴っていた。見慣れないものを見るたびに、結は高谷に質問を繰り返していた。

 「そろそろ着くよ」

 高速道路から一般道に降り、10分くらい走ったところで高谷が言った。

「あ、もうそんなに走りました?」

そう言って結が車フロントガラス下に付いたデジタル時計を見ると、時刻は15時50分となっていた。

「移動も楽しかったんで、あっという間でした」

楽しそうに話す結を見て、高谷は嬉しさと安堵の気持ちを感じていた。

「そうか、それは良かった」


 車は多くの人々が出入りする、駅ビルと思われる建物の横を過ぎると、道の左手に現れた、大きなコンクリートの塊の筒の様な建物に入っていった。どうやら駐車場のようだった。そこに車を止めると、2人はコートを羽織り、駐車場から外への出口へと向った。駐車場脇にある暗い階段を下り、セントラル駅方面出口と書かれたドアの方へ進んで行く。2人の足音がこつこつと建物内で響いていた。ひんやりとし、空調された静かな建物内を高谷と二人で歩いていると、まるでこの建物がいつもの閉じ込められた施設の中で、そのドアが外の世界への出口であるかの様な錯覚に襲われた。

「まだイルミネーションは点いていないから、話していた雑貨屋さんでの買い物から行こうか?」

 高谷は振り返りながら笑顔で結にそう話しかけた。口数の少なくなった結の緊張を感じとり、それを和らげようとしているのだろう。

「あ、はい、それで……」

 結が答える。

「でも、もうすぐ施設を出る事を考えると、あまり物を増やすのも考えものだな」

 高谷が言う。結は棟の自分の部屋を思い出した。1年以上過ごしたあの部屋は、今では唯一の安穏な場だった。あと何週間か経てば、あの空間以外の場所に住み、日々の生活を送る事になるんだと改めて認識する。

「そうか……、あの部屋に置くものをもう揃える必要が無いんだ……」

結は独り言の様に呟く。

「じゃあ、今日は新しい部屋に置きたいものを選べば良いんじゃない?」

高谷はそういうと、駐車場から外に出るための、鉄製の大きな扉をゆっくりと開いた。戸外からの強い光が、筋上に暗い駐車場内に差し込む。

「はい、どうぞ」

右手と肩で重いドアを支えた高谷は、笑顔で左手を結の方に伸ばし、ドアの外へ出る様促した。結はその左手に手を置き、ゆっくりとその光の中へ入っていった。結が一歩足を踏み出すと、足元を何かが通り抜けた様で、一瞬ふわりとやわらかいものが肌に触れた。突然の事で結は少しよろめき、後ろの高谷が彼女を支えた。その時、左手から声がした。

「お姉ちゃん、大丈夫~?」

声のする方を見ると、もこもこのコートを着た3,4歳くらいの少女が申し訳なさそうにこちらに近づいてきた。どうやら足に触れたのはこの少女だった様だ。結には初めて会う幼い子供だった。鼻と頬を寒さで赤く染めて、もじもじと歩み寄る姿はとても愛らしく、結は胸の下に広がるじんわりとした暖かさを感じた。

「こら、ミナちゃん、大丈夫じゃあないでしょ、ごめんなさいでしょ!」

 大きな声に振り向くと、今度は右側から母親らしき女性が慌てて近づいて来る。

「ほんとにすみません、うちの子が突然走り出したもので……。ご迷惑おかけして……」

 年齢は結と大差無いと思われる若い母親だった。

「いえ、大丈夫ですよ。少し驚いただけですから」

結が答えると、2人はほっとした様子で、頭を下げながら、左手へ歩いて行った。結はその姿をしばらく目で追いかけていた。

「大丈夫?」

後からの高谷の声でふと我に返る。

「あ、大丈夫です。なんかあの子が可愛くて、つい見とれちゃいました。はは」

「そうか、小さな子供を直接みるのも初めてか。これからは色々刺激があって大変だ」

 高谷が笑いながら親子の向っていった方向へと足を進める。結もその後に続き、再び歩き出した。


 クリスマスイブの街は活気に溢れていた。色々な年代の家族連れやカップルが皆喜びに満ちた顔をしている。結達は雑貨屋での買い物を済ませた後、イルミネーションの点灯する5時までカフェでコーヒーを楽しんでいた。

「高谷さん、私はあの施設を出たら、どういった生活を送る事になっているんですか?」

 結は、自分が棟の外の世界で暮らす日が近づいている事を実感し始めていた。

「その事については、そろそろ話し合おうと思っていたんだけど、結ちゃんがどうしたいかによるよ。基本的に保護観察は1年間必要とされているんだけど……」

 高谷がそう話し始めた時、『保護観察』という言葉を聞き、カフェで隣の席にいた女性の2人連れがちらっと結の方を盗み見ていた。そして高谷はそれ以上はその話を続けようとはしなかった。結は、まるで自分がここにいてはいけない人間の様に感じられ、顔を俯けたままコーヒーカップを握り締め、動けなくなってしまった。

「結ちゃん、そろそろイルミネーションの点灯だから、メインのツリーのところにいこう!」

高谷は明るい声で結に声を掛けた。その声に結は顔を上げ、にこりと頷いて立ち上がった。人の目なんかを気にしていては、外の世界に出ては暮らしていけない。強くならなくては。


 5時2分前、2人はレンガ造りの遊歩道が、十字路になっている場所、中心に置かれている、15メートルほどの大きなもみの木の前にいた。こんな大きな木が光り始めたら、きっとものすごく綺麗だろうと、結は心を高鳴らせていた。周りにいる多くの人も時計を見ながら今か今かとその時を待ちわびていた。どこからとも無く鈴の音が聞こえてくる。その音にあわせ、十字路の中心に向って、遊歩道の奥の方からぽつぽつと電飾が灯り始めた。そしてその灯りは中心の大きなもみの木のところまで来ると、もみの木は、下から上までふわっと沢山の光に覆われた。周りの人の拍手や歓声が響き渡った。


 その時だった。

 結は突然目の前がシャッターを閉じるように暗くなるような感覚を覚えた。

 しかし耳から入ってくる鈴の音は先程よりもより鮮明に聞こえてくる。

 目を閉じているのか開けているのか良く分からない状態の中で、結は暗闇の中にいた。

 そこで足首に何か違和感を感じた。

 見ると、頭から血を流した男が結の足首を掴んでいた。掴んではいたが、その手に力は入っていない。あまりの恐ろしさに声も出ず、結は慌てて足を振り回しその手を振り払った。顔を上げると目の前には、身長の倍はありそうなクリスマスツリーがそびえ立っている。そして場所は、大きな家の居間の様だった。結がただ立ち尽くしていると、後ろで階段を駆け上るような大きな足音が響いた。結はその音の発生源を確認しようとすぐさま振り向いたが、後ろを見るよりも先にひどいめまいに襲われ、床に座り込んでしまった。その時、耳元で声が聞こえてきた。


「結ちゃん、大丈夫? 結ちゃん!」


 うっすらと目を開けると、目の前に高谷の顔があった。その後ろでは、さっき目にしたツリーよりもずいぶん大きなもみの木に、電飾がきらきらと光っている。

 今のは一体なんだったのだろう……。

 そう思いながら、結はそのまま意識を失ってしまった。

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