第四夜

 真夜中、荒れ野を渡る風が音を立てて、明かりの消えた小さな村を通り過ぎる中、茶色の屋根に白い漆喰のこじんまりとした家の庭を、白い男のお面を着けた少女が歩いていた。

 黒い靴を履いた細い足が、丁寧に手入れされた芝を踏んでいるが、足音は全くしない。彼女は窓や扉の前を何往復もうろうろとうろつきながら、近づこうとし、その度にヒイラギやヤドリギで作った魔除けの飾りに、ビクついて離れていた。

 その様子を隣の家の屋根から見ている者がいた。

 ようやく上がり始めたレモンのような形の月に、白い頭蓋骨が寒々と光る。ピシリと決めたスリーピースのスーツに、風に黒いマントをはためかせながら死神はふむと顎を摘んだ。

「傷を負った者に誘われているな」

 少女を見つめ、腕を組む。

「浄化はうまくいっているようだ。ほとんど奴の力は残ってない。後はあのカボチャ頭が『戻す』だろう」

 アイツの『戻す』力は強力だからな。小さく口元を緩める。

「多分、その後、アイツを救うことになるだろうが……」

 彼の記憶はもうほとんどよみがえっている。無意識に思い出さないようにしているだけで、いつ、おかしくなるか解らない状態だ。

 死神はこの家に厄介になっている青年の幽霊が居る部屋の窓を見つめた。明かりは消えているが、少女の霊を感じ取っているのだろう。彼女が家に入ればすぐにでも対応出来るように起きている。

 白い骨の手をかざす。彼が送った純白の羽がひらりと舞う。

「勘も頭も悪くはない……」

 羽を掴み、メッセージと共に、彼が自分が悪霊に施した仕掛けを見抜いたことを読んで、白い歯を剥く。

「後は自信だけだ」

 強い風が吹き、それに「ブニャァァ~ン」と、しゃがれた猫の鳴き声が乗る。

 風が抜けた後、死神もマスクの少女も消え、白々とした月明かりが村を照らしていた。



「あれ? ナタリーは?」

 行列に加わって、何十回目の朝、彼は起き出した人々の中に、幼馴染のナタリーがいないことに気付いた。

「おじさんとどこかに行ったのかな」

 ここのところずっと、ナタリーと仲良くしていたおじさんもいない。

「きっと、おじさんと一足先に神様に呼ばれて聖地に行ったのだよ」

 大人達が言う。行列が動き出し、彼は残ったもう一人の友達と歩き始めた。

 やがて、一部の大人達が目配せして話すひそひそ声が、耳に入ってくる。

「うまくやりやがったな……」

「あれだけ、可愛い娘なら、自分のモノにしても、どこかに売っても、儲けモンだろう……」

「……人が良さそうに見える奴は得だねぇ~」

 意味は解らない。でも、彼はナタリーが、もう二度と戻っては来ないことを感じた。



「ありがとうございました」

 村のおばあさんが、礼を言って、大事そうに包みを抱えて出て行く。

「一段落ついたわ」

 キッチンに入ってきたジョアンナさんに、私は熱いお茶を差し出すと、サンドイッチ作りを続けた。

 チェダーチーズとトマト、カリカリベーコンとエッグマヨネーズのサンドイッチに、バターとマーマレードをたっぷりぬったサンドイッチ。それを紙で包んで、袋に入れ、更に食いしん坊のジャックの為に、庭で採れたリンゴも丸ごと一個入れる。ポットには、暖かい甘めのミルクティーを入れた。

 悪霊の封印が解けて一週間。死神さんが忙しくて、しばらく来れないというので、私は村を、ジャックは教会を見張っている。

 ジョアンナさんのおばあさんの手記によると、悪霊はまず、小動物を狙って殺すことで、力を付けるらしい。

 その後、どんどん大きな動物に手を伸ばし、最後には人間をとり殺したり、人間にとり憑いて、他の人間を殺させるという。

 特に、この悪霊は猫にこだわりがあるらしい。だから、まずその一歩を潰す為に私は村猫を、ジャックは山猫と呼ばれる、荒れ野に住む野良猫が、教会に近づかないように見張っていた。

 そのかいがあってか、最初のジニーの事件以降、行方不明の猫は出ていない。だが、村人の中には、ガイ・フォークスのお面を着けた少女が夜、村を歩き回っているのを見たという人が何人も現れていた。

 それにハロウィンの晩に魔女や悪霊が出てくるという伝説を思い出したのか、ここ数日、ジョアンナさんのところに、近所の人が魔除けを貰いに次々と訪れている。不気味な噂に、今年のガイ・フォークス・ナイトは中止にしようという話も、村の役員達の間で出ているようだ。

「死神さんは、まだなのかしら?」

「ハロウィンまでには、なんとか今抱えている事件を片付けて、こちらに来ると言ってます」

 私はお弁当の袋に、キャットフードの包みも入れた。

「……何かジャックがエイミィと企んでいるようですが……」

 エイミィは朝、私がジャックに朝ご飯を届ける時間になると、家に現れ、自分も一緒に連れて行けとまとわりつく。そして、昼の間はジャックの側にいて、夕刻、私が彼に夕飯を届けに行くと、一緒に戻り、隣の家に帰っていくのだ。

 その二人(?)はここ数日、額を寄せ合うようにして、何か相談をしていた。

『旦那ガ来れナイなら、ボク達でナンとカするネ』

『ニャ~ン』

『早ク、女の子ヲ助けナイト、戻れナクなるヨ』

 ジニーのときと同じく、いつものように茶化したりせず、真剣な顔でジャックは牧師館の跡を眺めていた。

「……女の子を助けるってどういうことでしょう?」

「あら、ジャックは気付いたのね。さすが長い間、幽霊をやっているだけあるわ」

 ジョアンナさんが、カップを置いて微笑む。

「え……?」

「ジャックがその気になってくれたのなら、もう大丈夫かしら」

「どういう意味ですか?」

「ジャックは強い『戻す』力を持つから……」

 ジョアンナさんが立ち上がり、私が数日前に掃除した、棚に向かう。調味料の瓶をインテリアのように飾った棚から、彼女は丸い小石を手に取った。

「これは私が河原で拾った石。ジャックはこれにそっくりなの」

 私の手に小石を乗せる。白にオレンジの線の入った小石は、川に流されて削られたのか、角が取れて丸く滑らかになっていた。

「ジャックは元は悪人の霊だったっていうのは知っているでしょう? でも彼は長い年月をさまよっているうちに、時の流れに少しずつ削られて、悪い心や記憶を失い、彼が一番幸せだった頃の、食いしん坊でイタズラ好きな、小さな男の子になったの」

 そっと丸い指が小石を撫でる。

「ずっと抱えていた心残りと一緒にね」

 悪魔を騙して幽霊になった男の本来の姿……それが、今のジャックなのだ。

「心残り……」

「ええ、それが『戻す』こと。何百年掛けても失うことの無かった想いだけに、彼は『戻す』ことについては、とても強い力を持つのよ」

 私はじっと小石を見つめた。

『……イイ子……いい子……』

 突然、『死』を自覚して泣き叫んだ鞠亜さんの手を撫でていたジャックの姿が浮かぶ。

 泣き疲れて、いつもの顔に戻り

『ありがとう……』

 私の差し出したハンカチで涙を拭いて恥ずかしそうに顔を覆った鞠亜さん。

 アレもジャックの力の一つだったのだろうか?

「どうして、彼はそんな強い力を持つほど『戻す』ことにこだわっているのですか?」

 私の問いにジョアンナさんは、黙って目を伏せた。

「……それはジャックに訊いてちょうだい」

「……はい」

 どうやら、他人では話すのに躊躇われる理由があるらしい。私はお弁当の袋を持った。

「では、いってきます」

「気を付けてね」

「はい」

 目を閉じると、傾き掛けた夕日の中、荒れ野のゴースの花の下で、並んで座って手遊びをしているカボチャ頭と灰色の猫が浮かぶ。私はそれに向かって飛んだ。



 私の作った夕食のサンドイッチは、あっという間にジャックの口の中に消えた。

「イワンのサンドイッチは美味しいネェ」

 ケタケタと満足そうに笑いながら、次いでリンゴを取り出す。あむっとかじり付こうとしたとき、ジャックはふいに後ろを向いた。

「ニャ!」

 キャットフードを食べていたエイミィも顔を上げる。

 リンゴを紙袋に戻し「ダメね!」ジャックが草の上を走り出す。

 山猫だろう。痩せた猫が、ふらふらと引っ張られるように、真っ直ぐに教会に向かい歩いていた。

 パァン!! 走りながらジャックが両手を鳴らす。

 ガサガサガサ……。荒野の枯れた茶色の草の間から、青々としたカボチャの葉っぱが出てくる。ジャックの友達のカボチャの精霊だ。それは猫の前に塞がると緑の蔓を伸ばして、彼を優しく捕らえた。

「ココに来テは、ダメねぇ」

 ジャックが小さな頭を、鼻筋を撫でる。

「ミュ?」

 猫が正気に戻ったのか、小さく鳴いた。

「ナ~ン」

 エイミィが、ととと……と走って彼に言い聞かせるように鳴く。カボチャの蔓が、そっと草地の上に降ろした。猫は身を翻し、荒れ野の向こう、遠くに見える農具を納めた小屋に向かい駆け去っていく。

「お見事です。ジャック」

「当たリ前ネ」

 ふん! と得意げにジャックが小さな胸を張る。それにしても、今回はエイミィも手伝っているとはいえ、いつもは気まぐれ屋の彼が、本当に真面目に役目をこなしている。

「さらワレたら、戻レなクなるネェ……」

 寝ぐらに帰る猫の小さな背を見送ってジャックがぼそりと呟いた。

「『戻れ』なく……ですか」

 私は彼の前に屈み込んだ。

「どうしてジャックはそんなに『戻す』ことにこだわるのですか?」

 もしかしたらジャックの『戻す』力を手に入れた理由を知ることが、私のまだ何か解らない力を見つける為のヒントになるかもしれない。そう考え、返事を待つ。

 彼のくり抜かれた目の奥に灯る黄色い光が瞬いた。

「……戻レなくナルねぇ……迷ッて……さらワレて……売ラれて……もう、会エナくナルよ……」

 黄色い光が震える。ジャックは小さな身体のカタカタと震わせ始めた。

「……カルロス……ナタリー……ジーノ……」

 震えが大きくなってくる。「ジャック!?」驚いて、小さな肩に手を伸ばそうとすると

「ギャア!!」

 屈んだ背中に、どすんと重いものが飛び乗った。

「痛っ!!」

「ニャアアア!!」

 鋭い痛みが走る。エイミィだ。エイミィが爪を出したまま、私の背中に飛び乗ったのだ。

「ちょっ! ちょっと、エイミィ!! 痛いですっ!!」

 慌てて立ち上がり、彼女を落とそうとするが、彼女はしっかりと爪を立てて私の背中にしがみつく。チクチクする痛みに、飛び跳ねながら涙目になる。その横でシュルシュルと伸びてきたカボチャの蔓がジャックに巻き付き、私の側から引き離した。

「ニャッ!」

 エイミィがようやく背中から降りて、今度はカボチャの蔓に登る。

「ニャア」

 優しく鳴いて、爪を引っ込めた前足で、ジャックのカボチャ頭に猫パンチを食らわす。

「……アレ? ボク、どうシタの?」

 ジャックは二、三度、頭を振ると、いつもの黄色の目で、私を見上げた。

「イワン? ドウしたノ?」

 きょとんと訊いてくる。

「実はですね……」

 目尻の涙を拭きながら、今起こったことを訴えようとしたとき

「シャァッ!!」

 ガサガサッ!!

 エイミィが爪を剥き出しにして威嚇し、カボチャの蔓がジャックを守るように彼に更に巻き付いて、私から遠ざける。

 ……どうやら、あの質問はジャックにはタブーらしい。

 二人(?)の怒りの迫力に

「すみません、もうしません」

 私は素直に謝った。



「今夜、女ノ子を戻スね」

 二人(?)が落ち着いた後、ゴースの花の下に座って、ジャックがシャクシャクとリンゴを食べ始める。

 今年のハロウィンは新月だ。闇に悪霊の力が最大になる前に、まだ月があるうちに仕掛けた方が良い。

 隣に座った私の膝にはエイミィが前脚を置いて、いつでも変なことを言ったら爪を立てるぞ、と睨んでいた。

「エイミィが悪霊ノおとりニナッテくれルネ」

「ニャア」

 エイミィがわざと悪霊の術に掛かり、教会に来る。そこで、悪霊がエイミィに手を掛けようとしたときに、ジョアンナさんの魔除けを使って、奴の動きを止める。

「後ハ、ボクが女の子ヲ元に戻スヨ。イワンは、オバさんに魔除ケを貰ッテ、エイミィの後ヲ着いテきて」

「はい。解りました」

 私は頷いた。でも……。

「私の羽を使って、悪霊を消しましょうか?」

 その方が確実だし、小さくなってしまったが、私の翼は、まだそれくらいは十分出来る。

「ソンなことシタら、女ノ子も消エテしまうネ。旦那の六十年ノ術が台無しダヨ」

 ジャックがリンゴの芯も口に放り込んで、バリバリ噛みながら首を横に振った。

「死神さんの……?」

 ゴクンを喉を鳴らすと、ケタケタと笑う。

「旦那、死んだ人ニは本当二甘イからネ」

「……そうですか」

 ジャックにはもう、何故、死神さんが六十年で解ける術を悪霊に掛けたか、その理由が全部解っているらしい。

 私にはまだ解らない……。小さく唇を噛む。

「エイミィをよろシク頼ムヨ」

「ニャン」

 エイミィが私の膝から前脚を退ける。

「はい」

 私は息を吐いて、立ち上がった。



「イワンは羽ノ代わリに、アレを持ッテくるト良イネ」

 エイミィと帰る私にジャックが呼び掛ける。彼はゴースの花のついた枝を一本折ると振った。

「パタぱた! ぱたパタ!」

 ……ハタキのことだろうか?

「アレは綺麗ニなるヨォ~」

 どうもそうらしい。

「解りました」

 意味は全然解らないが。私は頷くと足下に寄ってきたエイミィを抱え、背を向ける。

「ニャ」

 エイミィが私に振り返るように促す。

「ブニャァァ」

 まだゴースの花を楽しげに振っているジャックの隣に黒ぶちの猫がふっと現れ、頼むよというかのように一声鳴いた。

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