第13話 リングイネ

「おはよう」

「うーっす」

「はよーっす」

「ちーす」


 思い思いの朝の挨拶を部屋の中にぽんぽん放り込みながら、大勢の営業社員がなだれ込んでくる。課で一番活気のある時間帯。俺がとても好きな時間だ。


 配属初日に最後通牒と説教、二日目に羽田講師の座学と俺のカウンセリングってことになった藻原さん。水曜の今日から本格的な実地訓練になる。そして変な話だけど、俺は開き直った。すでに細貝課長っていう命令権者がいない以上、俺のこれからのレクチャーは純粋なボランティアになる。それならボランティアで出来る範囲でやろう。俺だってまだまだ試行錯誤してる段階だし、昨日羽田さんにどやされたみたいなへまやポカもやらかす。偉そうにああやれこうやれって指図出来る立場じゃないよな。


 藻原さんはどうしてるかなと思ったら、昨日書き取った手帳を片手に羽田さんに食い下がってる。淡々としたやり取りだけど、さっとは終わってない。自分の納得行くまでってことなんだろう。すごいじゃん。


 俺は昨日帰る前に書き残した今日の予定をもう一度見回して、トゥドゥリストをプリントアウトした。見習いの藻原さんには、まだアカウントが与えられてないと思う。でも受け持ちのクライアントが決まったら、すぐに藻原さん用のワークリストが出来て、そこに日、週、月単位の目標と行動計画を書き込んでいかないとならない。

 それは、こんだけやんなさいねっていう上から与えられた計画じゃない。うちの課の職員全員の実績を足していくとこんな成果が上がるんだってことが分かる、ボトムアップ式のワークリストになってる。


 俺はこの社しか知らないけど、こういう方式はすごくやる気が出るんだよね。なぜって、ノルマを全部一人で抱え込まなくても済むからだ。誰かがずっとアタックかけてて、でもなかなか落ちてくれない相手が居れば、それはワークリストからすぐに分かる。よーし、じゃあいっちょ助太刀しようかってのがやりやすい。

 この前俺が落とした大明テックと西田興産は、俺の手柄じゃないよ。みんなでじっくり根回しして、あの手この手で攻めたんだ。羽田さんのすごいのは、そういう戦略をきっちり立てられるところ。羽田さん自身の行動力もはんぱじゃないけど、全体をよーく見てるんだよね。


 俺らが外を回る時は間違いなく『個』でしかないんだけど、それが成果になる時には『群』のレベルに膨らむ。自然にじゃなく、意識的に、ね。その象徴がワークリストなんだ。


 一本だけなら、それがスパゲッティでもマカロニでも意味ないじゃん。それが徹底的に違っていても、足らないっていうのは同じだから。でも、一本だけじゃスパゲッティとの違いがよく分かんないリングイネも、料理に使われればその個性の違いが分かる。それがグループワークってものの重さとか面白さだと思うんだよね。

 だから、最終的には藻原さんにもそういう意識を持ってもらいたい。そうしたら、自分が出来ることがわずかであっても萎縮しなくて済むからね。今は自分のことをこなすだけで精一杯で、それどころじゃないだろうけどさ。


 羽田さんのレクチャーが終わったんだろう。手帳を見ながらぶつぶつと何か復唱してる。じゃあ、入れ替わりで俺も羽田さんと打ち合わせしとこう。


「羽田さん、おはよーっす。これから出ます」

「彼女連れて?」

「もちろんです」

「ふうん、大丈夫?」

「まあ、やってみます。いきなり難しいとこには行きませんよ」

「そりゃそうだ」

「クロダさんとこと、峯岸総工回ってきますわ」

「妥当な線ね。飛び込みは?」

「そっちもやります。午後から環状線東エリア」

「了解。うちが薄いとこだよね」

「新規取れなくても回っとかないと、後出しの南光産業に開拓地ざらっと持って行かれたんじゃ、しゃれになりませんから」


 ぎぎいっ! 羽田さんの目が激しく吊り上がった。


「ぬぅ! 間違いなくそうだ! 出来れば、敵さんの情報も仕入れといて。こっちの出方も調整しないとだめかもしれない」

「仕切り値とか、ですか?」

「そう。消耗戦にはしたくないけど、粗利にこだわって全部ぱあにするわけにいかないでしょ」

「ですね。探ってきます」

「頼むね」

「うい。出ますー」

「よろしくー」


◇ ◇ ◇


 移動の電車の中で、藻原さんに知恵を付ける。俺一人なら業界紙読んだり、午後の飛び込みのための下調べをするんだけど、今日はそういうわけにいかない。


 初日は外回りの間ずっと黙らせていたけど、羽田さんに言った通りあれは初日限定だ。藻原さんの実態を知らない俺らが自衛するためだからさ。俺らはセーフでも、藻原さんには何も残んない。それじゃどうしようもないんだ。

 営業に向いてる向いてない以前に、お客さんとまともに受け答え出来るかどうかをチェックしないとならないし、もしどうしてもそれが出来ないようなら職の選択をやり直した方がいいと思う。感情抜きに、事実として、ね。藻原さん本人にやる気があって自力で欠点をなんとかしようと思っているのなら、表現の部分は練習できっと良くなるよ。今日の外回りは、それを確かめる最初で最後のチェックポイントになるだろう。


 午前中に回る二社は、初心者向けのところだ。俺も入社したばかりの時に先輩に連れて行ってもらって、その後俺が先輩に代わって担当になってる。エントリーレベルで失敗するようなら、どこへ行ってもダメ。

 本当は俺の時と同じような形で藻原さんに得意先を引き継げれば良かったんだけど、初心者向きってことはそのレベル以上に上がりにくいってこと。クロダの親父さんにしても峯岸総工の高山さんにしても、優しすぎるの。いいよいいよ長い付き合いだからさって許してもらえちゃう。それじゃあ……ね。


「ええとね、これから回る二社は、うちとはすごく付き合いの長いところだから、絶対に失礼のないようにね」

「うん」

「うんは、ダメ」

「あ……はい」

「僕相手ならぽかで済むけど、お客さん相手の時に一回でもタメ口利いたら、即アウト。何度も言うけどさ、くれぐれも言葉遣いは慎重に」

「分かった……あ、分かりました」


 はあ……前途多難だ。でも最初の頃と違って、口調を直そうっていう努力はしてくれるようになった。あとは、それを踏まえて次のステップに進めるかどうかだな。今日は、そのあたりをじっくり見させてもらおう。


◇ ◇ ◇


「こんにちはー。加直テクノスの魚地ですー! お世話になりますー!」


 工場の騒音に負けない大声を出さないと、事務室まで声が通らない。玄関口ででかい声を張り上げたら、とことこと親父さんが出てきた。


「よう、うおちゃん。今日はべっぴんさん連れて」

「うちに配属になった新人の藻原です。今日はご挨拶も兼ねて伺いました」

「おう! そうかいそうかい。そりゃあご苦労さん。上がんなさい」


 ぼけっと突っ立ってる藻原さんのどたまを後ろからぐいっと押して、挨拶を促す。


「あ、ああ、あー、あの……。藻原小菜……です。よろしく」


 ……で止めそうになったから、もう一発ど突く。ぺんっ! 慌てて追加する藻原さん。


「……お願いします」


 親父さんが、俺らの様子を見て苦笑した。


「ははは。魚ちゃん。苦労しそうだな」

「そうなんですよー。いや僕も今時の若いもんなんで、彼女のことは偉そうに言えないんですけど、とにかく言葉遣いがね」

「まあ、そこは実地で覚えていくしかないよな」

「そう言っていただけると助かります。厳しく鍛えてやってください」

「はっはっは! でも、俺らはがさがさだからさ。あまり練習台にはなれんなあ」


 ううう、きっちり読まれてる。さすが、親父さんだ。


「まあ、応接で話をしよう」

「お邪魔します!」


 藻原さんが黙って靴を脱ごうとしたから、すかさずどたまを張り倒す。ぱかあん!


「いってー」

「挨拶は?」

「あ……失礼します」

「ほんとに失礼だよ」


 俺がぶつぶつ言うと、親父さんが腹を抱えてげらげら笑った。


「わっはっはあ! 魚ちゃんでも手こずるもんがあったかあ!」

「ううう、もうお腹いっぱいですぅ」

「ええー? お昼前なのに?」


 藻原さん、天然炸裂。俺の皮肉は完スルーらしい。とほほ。


「黒田さんのお仕事の邪魔出来ないから、手短に」

「う……でなかった、はい」


 ふうー。本当にひやひやするわ。


◇ ◇ ◇


 改めて、親父さんに挨拶をし、藻原さんから親父さんに名刺を渡してもらう。ここでドジったらしゃれにならなかったんだけど、たぶん羽田さんから相当きついプレッシャーがかかっていたんだろう。玄関口でのぽんこつ挨拶とは別人のように、無難に名刺交換を済ませた。ほっ。


 親父さんに新版の総合カタログを渡して、簡単に一押し新製品のピーアールをする。鉄工所から叩き上げて会社を大きくした親父さんは工具や機械をすごく大事に使うから、得意先としてはあまり売り上げに寄与しない。でも親父さんは、業界での人脈が広い。こういう雑談の時にいろいろなネタをくれる。そういうのをさらっとスルーしないように……って注意しようと思ったら。親父さんのいろんな話を、せっせと書き留めてる。おおっ! やるじゃん!


 親父さんも、藻原さんが仕事に前向きだとは思ってくれたんだろう。まんざらでもなさそうだ。


「なあ、藻原さん」

「う……でなかった、はい」

「あんた、藻原専務の娘だろ?」


 唐突に親父さんから投げられた問い。藻原さんは一瞬強い嫌悪の表情を見せ、それを慌てて消して平静を装った。


「は……い」

「そうか。達っちゃんの娘が社会人になったんだ。俺がトシ取るはずだよなあ」

「黒田さん、専務のことをご存知なんですか?」

「はっはっはあ! 知ってるも何も、一緒にやんちゃやった仲だからなあ」


 どてっ。思わず、ずっこけちまった。やんちゃあ!?


「い、イメージが……」


 親父さんが、にやにや笑いながら右手の小指を立てた。


「今は偉そうな顔してっけどさ。若い頃は夜の街で毎晩ぶいぶい言わせてた口だ。俺と一緒にバカなことばっかりしてたよ」

「ええー!?」


 信じられん。藻原専務はどっちかと言えば、口数少なくてごっつ重厚な感じ。キャラは社長の方がずっと明るいんだよな。専務にそっち系の話が絡みそうな気配はまるっきりないんだけど……。俺が何度も首をひねったのが面白かったんだろう。親父さんが時代背景を補足説明してくれた。


「まだ加直からテクノスが分社するずっと前だよ。お互いにドブ板商売で、わあわあ気楽にやりあってた頃だ。今と違って、トークマナーとかそんなのがちゃがちゃさ。腹ぁ割って、魂で付き合えりゃあそれでいいって感じだったな」

「そうですかあ……」

「さすがに、今はそういうわけにはいかんけどな」


 親父さんは、窮屈そうにタイを掴んだ。


「こんなもんに縛られるようになっちまったからね。まあ、しゃあないさ。達っちゃんも年貢納めたってことだろ」


 ふうっと溜息を一つこぼした親父さんが、ゆっくり席を立った。


「まあ、辛抱、辛抱だ。俺らも、あんたくらいの時はそうだったからな」

「そうな……んですか?」


 幾分非難のこもった口調で、藻原さんが聞き返す。おやっという表情をした親父さんが、丁寧に答えた。


「最後までわがまま言えるのは神様だけだよ。あとは一人残らず召使いさ。一生召使いなら、楽しく召使いしたい。俺ならそう考えるね」


 いかにも親父さんらしい、柔らかい言い回しでさらっと話を締めた。雰囲気が微妙になってきたので、さっさと退場しよう。


「すみません。お忙しいところをお邪魔しました」

「おう、また来てくれや。達っちゃんに、よろしくな」


 藻原さんは、それには返事せずにぎごちなく会釈を返した。


◇ ◇ ◇


 親父さんの言葉の陰に潜んでいたこと。それに対する藻原さんの微妙な反応。どうもぴんと来ない。ものすごーく引っかかるんだけど、ぴんと来ない。そして親父さんのところを出た後は、藻原さんの機嫌がものすごく悪くなってしまった。


 こらあ、予定変更だなあ。俺はもう一箇所行く予定だった峯岸総工と午後の飛び込み営業を、全キャンすることにした。俺一人なら予定通り回るよ。でも、今の彼女を連れて行けば、必ずトラブルが起こる。百パーセントね。調子が悪い時、そして機嫌が悪い時。自分のポテンシャルが大幅に水準切ってる時は、営業なんて出来ないんだよ。まあ、しゃあない。その分は、後で取り戻そう。





(リングイネは断面が楕円形のロングパスタ。味のしっかりしたソースとの相性がいい。主に乾麺として流通する)


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