第35話

「ぉわ、っと!?」

 疲弊した足に奇妙なぬかるみを感じ、ジンはべちゃりと土の上に倒れ伏した。

「あぁっ、親分!?」

「何やってるのよ、ボス!」

 慌てて部下のふたりが駆け寄ってくる。しかしその後ろには再び、石像が迫っていた。

 それも今度はさらなる殺意に溢れているのか大きく飛び上がり、串刺しにしようと剣を突き立ててきたのである。

「ぎゃあああああああああ!」

 直後、ジンが激痛に悲鳴を上げた――

 ただしそれは部下たちに首根っこを掴まれ、その場から強制的に逃がされたためだった。

 今回は飛び退くのではなく、地面を引きずられることになったのである。

「あづっ、あづいあづい! 地面が顔に擦れて熱いいいいっ」

「文句言うんじゃないわよっ」

「石に斬られるくらいなら、燃えちゃう方がマシっすよ!」

「ンなわけあるかっ!」

 石像から離れた頃。ジンは顔中を土まみれにして、がばっと起き上がった。

「意外と元気じゃない。それならまだまだ逃げられるわね」

「そういうことじゃなくてだな――」

 と言いかけた時。ジンはふと閃きを得て、振り返った。そこにはワニの石像が、地面に刺さった自分の剣というか、腕を引き抜こうとしているところだった。

 距離は走って十歩分ほど。あの石像ならば一歩分だろう。それを見て取り――

 もはや悩んだり、考えたり、推敲したりする時間などなく、ジンは慌てて行動に移った。

 キュルの手から、ランプを奪い取る。

「あ、何するんすか!?」

 抗議めいた声が上がるが、気にする時間も、説明する時間もなかった。

 ジンはそのまま大きく振り被ると、ランプを石像へ向けて放り投げた。

 唯一の光源が、回転しながら山なりの弧を描いて飛んでいく。そしてそれは、石像の頭上へと迫り……石像はそれを、丁度抜き終えた剣によって簡単に切り払ったのだが。

 刹那――ごうっ!

 と、石の身体が燃え上がった。

 さらにそれのみならず、周囲の地面までもが炎を上げ始めたのである。

「ひょっとして……今の場所、ボスが無様に殴られて、油を撒き散らかしたところ?」

「無様とか言うな」

 犬歯を見せて言い返しながらも、ジンはその場で動きを止めることもなかった。

 ランプの灯りが燃え盛る炎の煌きに変わっている間に、それが消えぬうちにとすぐさま獣人の部下たちを扇動して、手近な入り口へと走り出す。そうしながら、ついでに別のランプを取り出し、マッチで火を灯させた。

 石像は炎の中で、悶えるように暴れ狂っているようだった。腕を振り回し、炎を刃で切ろうとさえしているのかもしれない。石像が動くたび、炎が不気味に揺らめき、ジンたちの背筋をぞっとさせたが、流石にそのままで襲ってくることはなかった。

 もちろん、石の体表を炎が焼き切ることもないだろう。それがわかっていたからこそ、できる限り素早く逃げなければならなかったのだ。

 暴れる赤い光を背にしながら、暗闇の中へと駆け込んでいく。ランプの火は、炎に比べれば頼りないものではあったものの、それがはっきりと機能し始めたというのは、逃げられたという実感へ繋がる安堵でもあった。

 やはり石造りの通路である。しかし来た道とは違うことはすぐに理解できた。入り口こそ狭かったものの、通路内は今までよりもずっと広かったのだ。

 遺跡自体の入り口よりもさらに広く、三人並ぶこともできる。しかしそこと同じように、左右の壁には彫刻めいた絵が描かれているようだった。詳しく見ている余裕などないが、宝石めいた白い球体と、怪物めいたおぞましい生物の姿が見えたような気がした。

 いずれにせよ、そこが元の道ではなかったとしても、引き返すよりもそのまま進んだ方が安全なのは明白だった。

「あの石像、やっぱり追ってくるかしら?」

 足は緩めないまま、隣を行くミネットが不安そうに言ってくる。ジンは頷きたくなかったが、否定することもできず、代わりに苦々しい顔を見せた。

「あれがすぐに諦めてくれるような奴なら、いいんだけどな。けど蔦だって、長さの限界さえなけりゃ延々と追ってきたんだ。箱の怪物なんか、俺たちがあそこに落ちるまで、だ」

 振り返ると、そこにはもう背後の光は見えなくなっているが、それは自分たちが最初の曲がり角を左へと折れたためだった。

 通路を横切るように張られていたらしい木の板の残骸らしきものを踏み越え、駆ける。

 ジンは追いかけてくる石像の足音でも聞こえないかと耳を澄ましたが――

 そこに別の声が聞こえてくる。

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