第19話

「どうなってんだよ、この遺跡は! なんだよあれは!」

「あたしにわかるわけないでしょ! あんなの、今まで見たことないわよ!」

「か、怪物! ほんとに怪物が、宝箱の怪物がいたっすよー!」

 恐怖に叫び合う。特にキュルは涙目になっているようだった。

 世に獣人は存在すれど、生きている箱など誰も聞いたことがなかった。あるいは人々の噂の中でなら登場するかもしれないが、それは空想や妄想の類に他ならない。

 まさかそれが実在し、まして目の前に現れるなど、思ってもみなかったのである。

 しかしいずれにしても幻覚などではなく、それは間違いなく存在していたし――そうした箱の怪物が、敵意を持っているのも間違いなかった。

 通路を引き返すジンたちの背後で、箱が追いかけてくるのだ。まして奇怪にも、中に生物が入っているのではなく、箱そのものが生物であるように、飛び跳ねながら襲ってくるのである。それは不恰好で不安定極まりなく見える動きだが、意外なほど正確で、速い。

「ど、どうするんすか、これ!?」

「どうするって、あんたのせいでしょうが!」

「そんなあ! おいら、ただめくれって指示に従っただけっすよお!」

「それがいけないのよ!」

 言い合う獣人たち。その中に挟まれ、ジンも恐怖と混乱に支配されながら、どうしたら逃げられるかという考えが頭を支配していた。

(どっちかを囮にして、食われてる間に逃げる……いや待て、そんなことしたら残りの奴に恨まれる。いっそふたりとも――いやいや、それは前に否定したはずだ)

 駆けながら、臆病な脳で必死に考えを巡らせる。ただしろくなものは生まれず、否定しては同じ考えが生まれ、またそれを否定するという一種の膠着状態に陥ってしまったが。

 しかし反対に、その分だけ意識が別の方向へ向けられた、とも言えるかもしれない。

 ジンは混乱する余り、慌しく視線を動かしていたのだが――その時、先の石床に出っ張りを見つけることができた。そこで不意に、はたと閃いたのだ。

「ふたりとも、伏せろ!」

「え? お、親分、何言ってるんすか!?」

「こんな時に伏せたらあいつが――」

 左右から飛ぶ部下たちの反論を、しかしジンは無視した。それぞれの腕を掴むと、自分も倒れ込むように伏せながら、引っ張り落とす。ふたりは悲鳴を上げたようだった。

 その声を聞きながら、ジンは倒れたままで振り返った。そこに見えたのは、ここぞとばかりに襲い来る箱怪物の姿である。それは勢いよく飛び上がると、まずはジンに喰らい付こうと、汚らしい体液を撒き散らす蓋の大口を開けて――

 ずだんっ!

 床板を踏み抜くような音が響いたかと思うと、視界から箱怪物の姿が消え去った。

「やった!」

 歓喜の声を上げて、ジンは立ち上がった。

 部下のふたりがその後に続き、いったい何が起きたのかときょとんとしながら、傾げた顔を向けてくるのに対し、得意げに答えてやる。

「ここに、矢の罠があっただろ? それを使ったんだよ。あいつは飛び跳ねて移動してたからな。罠を発動させれば、矢が命中するに違いないと思ったわけだ」

「自分が受けた罠を逆に利用するなんて、流石っすよ親分!」

 すかさず、キュルは賞賛を浴びせてきた。ランプの光よりも何倍も目を輝かせた尊敬の眼差しで、近くに積もっていた砂を見つけると、花吹雪のように撒いてみせる。ジンはそれを受けながら「そうだろう、そうだろう。げほっげほっ」などとやっていたが。

「それってタイミングがずれたり、高さが違ってたら終わりだし、実はかなり危ない賭けだったんじゃない……?」

 というミネットの指摘は無視されたが。ともかく箱怪物は矢を受けて、通路のへと飛んでいったらしい。がたんがたんと転がる音がしたのを聞いていたため、そう遠くではないだろうが、矢が命中したことは間違いない。

「これであとは無視して進むなり、ただの箱として持ち帰るなりして――」

 と。得意げなままの声を遮ったのは、音だった。かたかたと、木が震えるような音。それが通路の奥、箱の怪物が転がっていった先の暗闇から聞こえてきたのである。

 ジンたちは嫌な予感にぞっと青ざめた。全員が口を閉ざし、顔を見合わせる。

 キュルにランプを掲げるよう指示を出すのは躊躇われたが、ジンはそれでも視線でそれを示さなければならなかった。ただの気のせいだとか、以前のようにどこからか吹き込んできた風の仕業だとか、そういったものであることを誰しもが願っていた。

 揺れる火が作り出す光は、手を震わせたキュルの意思を反映して恐る恐る、手前から少しずつ奥へと移動していく。そしてやがて……光はとうとう、それに触れた。

 背中に矢を刺したまま、かたかたと音を鳴らして身体を揺すり、器用に振り向く箱の姿。

 三人は声もなく、戦慄した。

 しかしそうやって硬直するうちに、箱の怪物は完全に振り返ると――がだんっ! と強く石床を蹴り、飛び跳ねた。そして先ほど以上の苛烈さで、再び襲い掛かってきたのだ。

「結局ダメじゃないのよ、ボス!」

「キュル、元を辿ればお前のせいなんだから、罰二つ目だぞ!」

「い、今そんなこと言われてもぉ!」

 ジンたちは言い合いながら、あるいはそれを合図にして、一斉に逃げ出した。

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