死神の鎌Ⅳ

「ちょっとくらい大丈夫よ。フィニーと一緒だと連れまわされるばっかりで、この辺りっていつも来るのにあんまり知らないのよね」

「そりゃこの辺は特別何もないからな」

 確かに竜也の通う興誠学園は田舎の安い土地を買い占めて造っただけのことはあってかなり広大だが、あくまで学術機関なので、せいぜい散歩するには緑が多くて気持ちいい程度だ。高等部の校舎が南門近くにあることもあって、竜也は大学側などほとんど歩いたことがない。

 観光地らしい観光地もなく、点在する個人店の中から気に入ったところを回るくらいしか楽しみ方は見つけられない。それならばもっと市街地や観光地を狙った方が有意義に過ごせることも多いだろう。

「あんまりないなら時間もかからないでしょ? 早く行くわよ」

「わかったから急かさないでくれ」

 口調はいつもと変わらないが、なんだかタナシアの機嫌がやたらと良いように感じるのは気のせいだろうか。平日昼間の空き家街では野良猫が幅を利かせているばかりで人の姿はない。少しずつ南へと進む太陽が青く茂った雑草の群れを照らしている。

 駅から伸びる大通りへと出てくると、ちょうど始業時間が近付いてきている頃合いだった。大通りと名前はついていても開店前の朝の時間では人姿は多くない。それをいいことに遅刻寸前の学生服姿の生徒が全力で通りを走り抜けていくのが散見される。

「アンタもあんな感じで登校してたの?」

「まさか。これでも時間には厳しいつもりなんだが」

「知ってる。遅刻したって話は聞いてないし」

 そんなところまで知っているのか。死神は人間の生前の行いを見ているとは聞いているが、遅刻の回数なんてどうでもよいと思える。竜也にはもはやその事実が気味が悪いというよりもただの面倒な仕事だと思えた。人の人生を丸々読み返すなんて一人だけでも大仕事だ。

「あ、俺の顔を知っている奴がいたらマズイな」

 死んだ、いや死にかけのはずの人間がこんなところをうろついていたら大変なことになる。

「大丈夫よ。アンタの体は病院のベッドでしょ」

「だからここに俺がいちゃおかしいだろ?」

「それを普通幽霊だと思う? 他人の空似だってごまかせば大丈夫よ」

 目障りなハエを追い払うように竜也の不安をタナシアは一蹴した。そんなものだろうか。自分が無意味に緊張しているのだとしたら、それはタナシアに劣っているようで腹が立つ。

「それじゃどこか連れてって」

「そうは言ってもなぁ、日本じゃ大抵の店は十時から開くものなんだよ」

 誰がいつ決めたのかは知らないが、大人たちは日が昇る前から働き始める人間もいるというのに多くの商店はゆっくりと十時から店のシャッターを開けるものなのだ。学生が遅刻せまいと必死に走る現在は八時半を過ぎたところ。竜也が寄り道に選ぶ場所といえばゲームセンターか本屋かといったところだが、両方とも開店にはまだ時間がある。

「あ、でもあそこは早いんだったな」

 一つ聞いたことがある店の存在を思い出す。クラスメイトが話していたのを横で聞いていただけなので、本当かはわからないが。

「とりあえずそこでいいわ。ここで暇してるのも退屈だわ」

「先に言っておくけど座れたりはしないぞ」

「えぇ、もうファストフードとかでいいわよ」

「それもこの辺りにはないぞ」

 ぶつぶつと文句を並べるタナシアを置いて竜也は歩き始める。ファストフードなら最近牛丼のチェーン店がひとつ出来たばかりだが、朝から二人並んで牛丼は少しキツイ。

「ちょっと待ちなさいよ」

 さくさくと歩き始めた竜也の背をタナシアが小走りに追いかける。狭い裁きの間ではあまり気にならなかったが、引きこもりだけに体力はあまりないようだ。

 大通りから道を一本はいるとアーケードの商店街が続いている。シャッターが閉まっている店がほとんどだが、まだ朝が早いせいというだけで昼近くなれば意外に盛況だったりする。その中でも早朝から開いている一つを指差した。

「あそこだな」

「へぇ、なんかいい香りする」

 疲れてきたのか口数が少なくなってきたタナシアが反応を示した。

 近付いていくと、だんだんとじりじりという音が大きくなって、香ばしい匂いがあるはずのない胃を刺激する。

 この商店街で一番早く開くのが自慢の精肉店だった。

 育ち盛りの学生には家で朝食をとってきても一限目が始まる前にはすでに腹が減っていたりするものだ。そのために朝からここでコロッケなりメンチカツなりをカバンに忍ばせて教室に油の旨みを振りまきながら食べるのだ。

 思い出しただけでイライラする。教室の端に座っていた時はこの匂いをばら撒くのが非常識だと憤っていたが、今は違うとわかる。こうして誰かにここに連れてきてもらいたかったのだ。

「へぇ、どれにしよっかな」

「好きにしてくれ。そんなに高いものじゃない」

 と言って竜也はポケットに手を伸ばす。財布がない。当たり前だ。今日は自宅から遊びに来たわけじゃない。人間であった時となんら変わりない姿をしているが、今の竜也は天界から一時的に出てきたに過ぎないのだ。

「ちょっと待った!」

「何? アンタも早く選びなさい」

 止めに入った竜也をいぶかしがるようにタナシアが睨む。その手には既にクリームコロッケと思しき楕円形の揚げ物。そして肉屋のおばさんの手には銀色に光る硬貨が一枚。

「お前、ちゃんと金持ってたのか」

「そうよ。言ってなかった? それともかっこよく奢ってくれるつもりだった?」

 奢るつもりは少しくらいあったのだが、あのしたり顔を見るとそんな気も失せてしまいそうだ。

「フィニーがおこづかいくれたの。遊びに行くなら必要だ、って」

 断じて二人は遊びに来ているわけではないのだが、ここで言い返して口論になっても面倒だ。それに竜也とて食べたいという欲求を我慢し続けるほど意志は強くない。

「じゃあメンチカツ、チーズので」

 タナシアが差し出した掌から百円玉を受け取りおばちゃんに渡す。紙袋越しにすら熱いのがわかる揚げたてのメンチカツが代わりに手渡された。

「どこ行って食べるの? 中に座るとことかないわけ?」

「普通の肉屋にそんなものあるわけないだろ。ほら、行くぞ」

 近くに公園があったような記憶がある。学生の帰る頃にも同じように揚げたてを作っているので、これを買ってさっき下りてきた山の中腹で食べる、というのもあるらしいが、タナシアは行きたがらないだろう。竜也も正直言ってもう一度山登りなどする気にはなれなかった。

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