試験の鬼Ⅶ

「ほら、早くしろ」

「あ、あぁ」

 キョロキョロと部屋の中を見回しながら、意味もなくしのび足で竜也はシェイドの部屋へと入る。

 白い壁紙、上から注ぐ白熱球の光、火のくべられていない暖炉。

 海外のホームドラマで見たような室内のせいか、そこにいるシェイドまでも物語の中の人物のように思えてくる。

「タナシアからはどこまで聞いてきた?」

「あ、お前が人間で審理を延長してここにいるって」

 ソファに体を置くと自分の重みで深く沈みこむ。自分の家のリビングのものではこんなことは起こらない。フィニーが想像の力でいろいろなものを作っていると言っていたが、すなわちこの柔らかいソファの感覚を知っているということでもある。

「そうか。では、樋山影子ひやまえいこという名前に聞き覚えは?」

「いや、そんな名前は……」

 聞いたことがない、と言おうとして竜也は口を止めた。確かにその名前の知り合いはいない。だが、樋山、という苗字を竜也は知っている。おそらく竜也が通っていた学校でその名を知らない者はいないだろう。

 友達のいない竜也ですらその噂は有名だった。新聞の過去紙面を調べてみて噂が本当であることも知っている。

「理事長。うちの学校の理事長の娘か」

「そうだ。私は向こうの世界では」

「もう三年も植物人間状態で、お抱えの病院にいるって話だ」

 竜也の通っていた高校、興誠学園こうせいがくえんは地域では知られた資産家、樋山誠一郎ひやませいいちろうが道楽と社会貢献を兼ねて創設した初等部から大学までを一所に集めた巨大学園施設だ。そのせいで大都市の隣にある小さな町が合併されつつもその名前を残しているとすら言われている。

 その二人の娘、陽子と影子のうち、妹の方。つまり目の前にいるシェイドは三年前に交通事故に遭い意識不明の重体。回復の見込みは限りなく薄いと言われつつも目を覚まさないまま今も一般人は立ち入れない病院の一室で治療を受けている、というのが、学園中では知られた噂だった。

「まぁ、私がここにいるということは私の父はまだ諦めるつもりもないのだろうな」

「いい父親じゃねぇか」

 自分が同じように意識不明のまま病院に寝かされているとして両親はどのくらい辛抱が持つだろうか、と考えると身震いがする。確執かくしつがあるわけでもないが、両親は仕事の忙しさゆえに竜也とはすれ違いが多かった。いてもいなくても同じ。そのくらいに思っていても不思議じゃない、と竜也は思っている。

「それにしたってなんで審理延長なんてやってるんだ? 仕事の手伝いまでして」

 死神になりたいのならその道が開かれていることはイグニスから聞いた。わざわざ審理中ということにして人間として残ってやる理由もないはずだ。

「タナシアが延長しているんだ。もちろん私も面倒見てやろうと思ってはいるが」

「まて、全然話が繋がってないぞ」

「そう焦るな。まだ後一週間はここにいるんだろう?」

 確かにその通りだが、喉を鳴らして笑うシェイドを見ていると少し後悔したくなってくる。これからいったいどんなことが待っているというのか。

 ひとしきり笑った後、シェイドは悪い、と息を整えると、ようやく竜也を呼び出した理由を話し始めた。

「私が命を落としたのは三年前。小さな命を救うためにこの身を……」

「回りくどいな。トラックに轢かれそうになった子猫を助けたんだろ? 新聞で読んだぞ」

「なんだ、せっかく叙情的に語ってやろうと思ったのに」

 ふぅ、と溜息をついてシェイドは足を組みなおした。竜也もやれやれと頬を掻く。この話は長くなりそうだ。

「それからお前と同じようにここに連れてこられた。その時には既にタナシアはあの状態だったな」

「三年も前からか」

「あいつらにとっては三年なんて短い時間だからな」

 人間にとって三年といえば、ずいぶんと長い時間だ。年齢が若ければさらに長く感じるだろう。その長さも数百年を超える年月を生きている死神たちにとっては一瞬の時間でしかないのだろう。

「タナシアの対応はお前も知っているとおりだ。一週間後に私を殺すと宣言して部屋に引き篭もっていた。その態度があまりにも気に障ってな」

「どうしたんだ?」

「叫んだ」

「はぁ?」

 竜也と当時のシェイドが同じ状況だったとしたらあの中庭からタナシアの部屋までは数百メートルはあるはずだ。確かに聞こえなくはないだろうが、それにしても無駄に思えるほど途方もないことだ。実際竜也は考えるのを諦めて、一人のときはぼんやりしていることが多かった。

「少しばかり説教をしてやったら二日くらいしたあたりだったか、こっちにやってきてな」

「ずっと叫んでたのかよ」

 何度か運動した帰りを見かけたり、今もトレードマークのごとく巻かれている両手のバンテージから根っからの体育会系だとはうすうす感じていたが、ここまで力押しで物事を進められるなら呆れを通り越して感心してしまう。

「なんか面白い、と言い出してな。お前と同じように結界を解除してそれから説教の片手間にフィニーの補助をしてやっていたんだ」

「俺と同じだな。面白い、ってのが何なのかわからないが」

「私も詳しいことは知らないが、自分の命を粗末にしているやつの方が好みらしい」

「もっと言い方があるだろ」

 タナシアが竜也に対して面白いという言葉を使ったのは、自分の生死を握っているタナシアに対して啖呵たんかを切ったときだった。泣き喚き、怒り、助けを請うかあるいは靴も舐める覚悟で懇願するような相手に怒りをぶつけたときに彼女は初めて笑った。

「タナシアの性格からして命乞いとかは嫌いそうだな、確かに」

 竜也はタナシアのいつもの不機嫌そうな顔を思い浮かべてみる。自分の思い通りにならないと機嫌が悪くなるくせに、思い通りに動こうとする相手も嫌う。

 フィニーは扱いを心得ていて自由だし、キスターもイグニスもタナシアの言うことを聞くはずがない。そしてシェイドに竜也。彼女と深く関わる者は彼女にとって不自由だからこそ価値があるのかもしれない。

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