二章

白刃と魔法Ⅰ

 マギステルまでの道はラスクニアとは違い、街道がきちんと整備されていた。しかし、マギステルに近づくにつれて信号は見なくなり、コンクリートで固められていた道はカタカタと音が鳴る石畳の道路に変わっていく。


 靴底が石畳を打ちつけるたびに心地よい音が鳴る。マギステルは魔法、あるいは錬金術と呼ばれるものが隆盛りゅうせいしていた時代の建築物を再現して使っている魔法都市だ。他の都市と比べても魔法に対する敬意が強く、人々は豪華に装飾を施された杖を携えている。


「おぉ、冷たくて気持ちがよいぞ!」


 珍しい石畳に手を触れたサイネアが大発見をしたと言わんばかりに目を輝かせる。そのまま履いていた靴を乱暴に脱ぎ捨てると、素足のままで石畳の上に立った。


「おぉ、なにか不思議な気分じゃ」


「遊んでいないで。早く行きますよ」


 市井しせいを歩く人々の目が痛い。ただしそれはサイネアが裸足で歩いているからではない。それだけなら子供の可愛いたわむれでしかない。


 アーロンドとサイネアの二人が目立つのは、一人は脇に珍しい刀型の杖を二本差し、もう一人は杖らしいものを持っていないからだ。どんな杖を使っているかがそのまま本人の地位に直結するこの町で、美麗な刀型杖を持つ男を知らないはずはなく、杖を誇示しない子供も見かけることはない。それだけで外から来た者だとわかってしまうのだ。


「ほら、ちゃんと靴を履いて」


 サイネアが投げ捨てた靴を拾って、アーロンドはサイネアの足元に並べてやる。サイネアは渋々という表情で並んだ靴に足を通した。


「それで、これからどこを訪ねるのじゃ?」


「バーンですよ。私の学友です」


 ミニアに聞いたところではバーンは今このマギステルの魔法研究所で研究員をしているという。それならば学術論文よりも新しい話を聞くことができるはずだ。


「これからあそこに行きますからね」


 アーロンドは町の大通りをまっすぐ行った先に見える。白い石壁が美しい城のような建物を指差した。実際に昔西欧と呼ばれた地域に建てられていた城を再現したもので、マギステルの象徴とも言える魔法研究所になっている。


 それだけで人見知りをするサイネアははしゃいでいた体をピタリと止めて、アーロンドの袖を弱々しく引っ張った。


「行かねばならんのか?」


「昨日ショッピングモールでは大丈夫だったじゃないですか」


「昨日の者たちはやたらと優しかったぞ。研究者とはぬしのような仏頂面ぶっちょうづらじゃろ?」


「失礼ですね」


 確かに愛想がいい方ではない自覚はあるが、接客業と職人では笑顔の作り方からして違うのだ。アーロンドはそういうことに慣れることができない性格なのだ。


「どこかで待っていてくれてもよいのですが、難しいでしょうしね」


「ぬし、わしをなんじゃと思っておるんじゃ!」


 溜息をついたアーロンドにサイネアが口を尖らせて噛みついた。


「では、たとえばあのお店で待っていられますか? 一人で、おとなしくして」


「ぬぅ」


 笑顔で言ったアーロンドにサイネアの反論が止まる。こういう笑顔はサイネアの求めていたものとは全く違うものなのだが。アーロンドが指を差したオープンテラスのカフェテリアは半端な時間帯にもかかわらず、なかなかの混み合いを見せている。サイネアにとっては店内にあるもののほとんどが初めて見るものだろう。


 ダマスカスでショッピングモールに行ったとはいえ、そのときはミニアもアーロンドもついてきてくれていた。一人で、となると話は全く違ってくることをサイネアとて理解している。


 だんだんと青くなってきたサイネアの顔をアーロンドは変わらず背筋が寒くなりそうな笑顔で見つめている。サイネアはつかんでいたアーロンドの裾をさらに強く握ると体に強く引きつけた。


「では一緒に行きますか?」


 サイネアは青い顔のまま何度も頭も振って頷いた。それに納得したようにアーロンドは満足そうにその雰囲気を変えないまま笑顔を返した。


「良い子ですね。それからバーリンと知られないようにきちんと気を付けてくださいね」


「うむ、承知しておる」


 まだ少し強張った顔のままサイネアは首を縦に振った。まだ少し怯えているようだが、この方がおとなしくしてくれていていいかもしれない、とアーロンドは感じてしまう。


「ひでぇやつだな」


「またやろうだなんて思っていませんよ」


 少し言い淀んだアーロンドは頑として服の裾を離さないサイネアを連れてゆっくりと城へと続く通りを進んでいった。


 城、もとい研究所が近づいてくると、足元が大理石に変わってくる。魔法というこの町の権威を集約した魔法研究所はそれだけの格式を備えているということだ。簡単に足を踏み入れられない威厳を感じているアーロンドをよそに、サイネアは気ままなものだ。


「おぉ、ぬしよ。この地面にわしの顔が映るぞ」


「そんなにはっきりとは映らないでしょう?」


「うむ。しかしぼんやりとだが、確かにわしの顔が見える」


 それはいわゆる光の反射によるものなのだが、そんなことをサイネアに説明したところでそれが理解してもらえるとは言えそうもない。大理石の地面に向かって顔を動かしているサイネアを引っ張りながらアーロンドは研究所の受付へと向かった。


「すみません。こちらにバーンという研究者がいると思うのですが」


「バーン・マギステル。はい、アポイントメントはお取りですか?」


「いえ。大学時代の友人なのですが」


 さすがにいきなり訪ねるのは無謀だっただろうか、とアーロンドの内心は穏やかではなかった。学生時代はミニアと同じく様々な遺跡を回った仲ではあるが、もう数年顔を合わせてはいない。


 ミニアがそうであるように、優秀なバーンも良い研究者としての地位を獲得しているだろう。以前のように簡単に会うことができるものではないのだ。


「お名前をお聞きしてもよろしいですか?」


「あ、はい。アーロンド・ラスクニアですが」


「アーロンド様。アポイントメントがおありですね。はい。迎えの者が来るようですので、そのままお待ちください」


 はて、とアーロンドは首を傾けた。魔法に絶対的な権威のあるマギステルでも事務には機械が使われているらしく、電話で何か話していた受付の女性は右手で待合の長椅子を示した。


「なんじゃぬし。準備がよいではないか」


「いえ、そんな覚えはないのですが」


 もちろんアーロンドにはアポイントメントを取った覚えなどない。それどころかバーンと最後に話をしたのは、あてのない放浪の旅に向かうためにダマスカスを発った日だっただろうか。その頃はまだ就職先がどこになるかもわかっていなかった頃だったが、まさか研究者になるとは思ってもいなかった。


 遺跡の探索に付き合ってくれてはいたが、どちらかと言えば遺跡よりも旅先で食べる食事の方を楽しみにしてるような男だった。一時は自分で定食屋を始めかねないくらいの勢いであったのを考えるとよく落ち着いたものだと思う。


「あら、アーロンド? 奇遇ね」

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