白刃と槍Ⅴ

 ダマスカスが近づいてくると、高い金属製の壁がそびえたっているのがはっきりとわかるようになった。数メートルの防壁には魔法による強化がなされ、バーリンの侵攻を阻むようになっている。ラスクニアに施された魔法障壁よりも数倍強力で、バーリンからの攻撃は数あれど、首都に侵入を許したという話は聞いたことがなかった。


「しまった。ここは」


 正門からダマスカスに入ろうとして、アーロンドは道から逸れてその身を隠した。慌ててついてきたサイネアがアーロンドの耳元で問いかける。


「どうしたんじゃ?」


「首都では犯罪を防止するために検問があるんです。すっかり忘れていました」


「それは、何か困るのか?」


 そそくさと正門の近くにあるバス乗り場に隠れたアーロンドは頼りない停留所の看板に身を潜めながら、サイネアを見る。


「魔法プログラムを使ったセキュリティですからバーリンだと気付かれる可能性があります」


 こんなよいも深い時間に明らかな田舎者、しかも一人は幼い少女となれば、門番が怪しまない理由がない。さらにアーロンドの腰には村正が差さっているのだ。以前は持ち出すときだったから見逃されていたものでも、いわく付きの妖刀をすんなりと通してくれるとも思えなかった。


「ぬし、もっと頭の切れるものと思っておったのじゃが」


「返す言葉もありません」


 二人というのはこれほど動きをとりにくいものだったか、とアーロンドは頭を悩ませる。日中の人混み紛れて入るほうがいいとすれば、ある程度整備された街道で一夜を明かすことになってこれもまた目立ってしまう。


「ちょっとそこ!」


 門番の方を気にしていたせいで、まったく後ろを見ていなかったアーロンドはふいに声をかけられてすぐさま後ろを振り向いた。サイネアも同じように驚いたらしく、アーロンドの背中に隠れて服をぎゅっとつかんでいる。


「こんな時間に何して、ってあれ?」


 こちらに近づいてきた相手の顔が少しずつ鮮明になっていく。正門から照らされる光が、りんと立った彼女の姿を照らしたところで、ようやくアーロンドは呼び止めた主が誰だか気が付いた。


「ミニア」


「アーロンド! 帰ってきたの?」


 飛び込んでくるのかと思うほどの勢いでやってきたミニアはアーロンドの目の前で急ブレーキをかけると、両手を強く握ってぶんぶんと振った。ここ数年で少しは落ち着いたと思っていたが、少しも本質は変わっていないようだ。


 ミニアはアーロンドの学生時代のゼミ仲間で、魔法工学の研究をしていた。特にアーロンドたちが専攻していたのは古代杖の研究で、魔法が今のように一般化する以前の旧文明の頃にも存在していた杖の発掘、研究を行う分野だった。


 遺跡好きのアーロンドと現場に行きたいミニアは気が合った。まとまった休暇があれば仲間を連れて遺跡巡りをしたものだ。


「いえ、調べ物をしにきたのですが」


「こんな夜中に?」


「えぇ、村にはないしょにしておきたかったもので」


 ずり落ちたメガネを直しながら、アーロンドは答えた。何も嘘は言っていない。村から逃げ出してきたこととサイネアの正体は聞かれていない。


「そんなことより、アーロンド。その子はいったい誰なの?」


 ミニアの声のトーンが一段低くなる。当然と言えば当然だ。こんな夜中に年端としはもいかない少女を連れている男ならたとえ旧友といえども聞かないわけにはいかない。ただでさえ現在の彼女は首都防衛省に勤める立派な国家警察の一員なのだから。


「あぁ、知り合いの子で」


「もしかして、彼女なの? ダメよ、そんな小さな子! あぁ、でも田舎は恋愛結婚が早いっていうから、こんな子でももしかしたら」


「あの、ミニア?」


 アーロンドのとっさの言い訳すらミニアの耳には届いていないようだった。ミニアはとうの昔に最終便が出てしまった空っぽの停留所で両手をばたつかせて空気を混ぜながらぐるぐるとその場で回っている。


「なんじゃ、この女。気が触れてしもうたのか?」


「いえ、それは大丈夫だと思いますが」


 突然ぐるぐると回りだしたミニアの行動が完全に理解の範疇はんちゅうを超えてしまったサイネアはアーロンドの背中にぴったりとくっついて離れる気配がない。


「それで、その子とはいったいどういう関係なの?」


「ですから村の子で、私についてきてしまったんですよ。ですが、どうも正門や門番が怖いみたいでして」


「こんな大型の機械なんて、ここ以外じゃなかなか見ないものね」


 ミニアはアーロンドの背中に張り付いたサイネアをじっと見る。少々眉間のしわが深いように思えるのは気のせいではないはずだ。


「それに私も首都の正門を堂々と潜れるとは思っていませんから」


「それは、そうかもしれないわね」


 アーロンドが強く村正を握ると、ミニアもまた表情を曇らせた。


「それにしてもずいぶんと仲がいいみたいね」


 まだどこか含みを持った言葉でミニアは隠れたままサイネアをにらむ。


「かなりの人見知りなんですが、私にはなついてくれているみたいで」


「まぁいいわ。危険な子には見えないし、その、妖刀については説明しておいてあげるから」


「助かります」


 ミニアは制服の胸ポケットから身分証を取り出すと、二人を連れて門番の方へと向かった。ダマスカスの正門は魔力を検知するためなのか細い光の線が網目状に飛び回っていて、ねずみの通る隙間もない。

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