第4話

 なかば無理矢理連れてこられたのは、超がつくほど高級なフランス料理店だった。

 決して賀藤の着ているような、よれよれのスーツや泥だらけの靴で来るような場所ではない。

 その汚れ一つない、純白のカーペットを慣れた様子で、ヴィクは賀藤を引き歩く。

 常連なのか、店員はヴィクの顔を見るなり、迷いなく奥の個室へと二人を案内した。

 広々とした室内に、二人が座るには少し大きめなテーブルと椅子が並んでいる。入り口付近には、専属の店員が一人張り付いていて、客のオーダーにすぐさま応えられるようになっていた。

 それにしても、ヴィクのような若さで、こんな店の常連になれるとは、本当にどんな仕事をしているのか。考えたくもない。

「……あ、あのさ」

「何?」

 テーブルの上にたたまれた布を、ヴィクの見よう見まねで膝の上に置きながら、おずおずと賀藤は尋ねた。

「オレ、今日そんな手持ちなくて……悪いんだけど、あとで銀行寄らしてもらえるか」

「手持ち? どういうこと?」

 賀藤の言葉に、首を傾げている。

 しまった。外国人のヴィクには、難しい言い回しだったか。

 かといって、ストレートに『金がない』と言ってしまうのも、賀藤の矜恃が許さなかった。

「――いや。いいや。カードで払えばいいし……」

「ああ、会計のこと! 何言ってるのさ、ガッティーノ。僕が誘ったんだ、僕のおごりに決まってるでしょ」

 さも当然とヴィクが言い張る。

 賀藤もおそらく、そういうつもりなのではないかと気づいてはいたが、年下に素直に金を払わせるわけにはいかなかった。

「そういうわけにはいかないだろう。お前、歳はいくつだ」

「十九だけど」

「じゅ……っ」

 おいおい、未成年じゃないか。

「なら、なおさらのことだ。子どもに払わせるほど、落ちぶれたつもりはないぞ」

「子どもだって」

 少しムッとした様子で、ヴィクが睨んでくる。

 そこでムッとしてしまうのが子どもである証なのだが、それを言うとさらにムキになってしまいそうで、賀藤は口をつぐんだ。

「ガトーまで、僕をガキ扱いしないでくれよ。せっかく、今日は良い気分だったのにさ」

「ガトーまで?」

「そ。僕のおじいさま。ジャポネにいるんだ。わざわざイタリアから僕を呼び出すからさ、てっきり相続の話だと思ったのにさ……まさか」

 そこまで言って、ヴィクがハッとする。

「ガッティーノ、今のは忘れて」

「は、はあ……」

 ものすごく強引に話を終わらされたが、おそらくこれ以上聞いてはいけない話だったんだろう。

 気にならないわけではないが、下手なことに首をつっこむまいと、賀藤はうなずく。

「今日は純粋に、この前のお礼がしたいだけなんだ。僕の気持ち、受け取っておくれよ、ガッティーノ」

 肩をすくめて、ヴィクが笑う。

 二人の会話の隙間をぬいながら、ボーイが静かにワインをグラスについでいく。

「シャトー・ラフィットの一九九〇年。口に合えば良いんだけど」

 ヴィクはグラスを回して、香りを楽しんでから、口に運ぶ。深紅の液体が、透明なグラスの中で、美しく泳いでいた。

 そうは言われても、ワインなんて高級なもの、飲み方もわからない。

 おずおずと口に運ぶ。

 ワイン独特の酸味が口に広がった。次いでほのかな甘みが咥内を周り、舌先に渋みが残る。

「どう?」

「美味しい……と思う。うん、多分、いつものハイボールよりは」

「ハイボール」

「ああ、いや! その、慣れてないんだ。こういう店。オレ、いつもは近所の居酒屋で、安いハイボールに、たこわさとか、なめろうとか、エイひれ、軟骨の唐揚げ……」

「タコワサ、ナメロー? エーヒレ……?」

 ヴィクが宇宙人とでも会話しているかのような表情で、首を盛大に傾げている。

 思いっきり、ハテナが浮かんでいるその表情に、思わず吹き出してしまった。

「そうだよな。外人さんじゃ、わからないよな。今度連れてってやるよ。ああいう安酒場も結構乙な物だぞ」

「そういうのが、ガッティーノの好みなの?」

「え? ああ、まあ、そうかな」

 するとヴィクは、猫みたいな表情で、広角を上げる。

 年相応な表情に、思わず賀藤はじっと見つめてしまった。

「わかったよ。あなたの好きな物、僕も知りたい。約束だよ、ガッティーノ」

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