Side〝T〟-10 to be continued……
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少女は目を開けた。視界は真っ暗だった。手を探っていると、両目を覆っていた、ハンカチに包まれた氷冷材が落ちて、白い天井が見えた。
「気が付いたか」
少女は体を起こす。ソファの上で寝かされていた。床はグレーのカーペットが敷かれている。
髪止めを解き、右前髪を垂らして少女は部屋を見渡す。
狭い部屋だった。ソファは赤茶色で、セラミックのテーブルを囲っている。
窓から入る日差しが、テーブルの上にある灰皿やカップを照らしていた。
阿久津カオリが部屋の扉の前に立っていた。腕を組んで扉にもたれかかり、少女を見ている。
少女の向かいには津木悟が座っていた。昨晩と同じ、黒いスーツ姿だった。彼はくしゃくしゃの笑顔でいう。
「ずいぶんな物言いだった。笑えた」
「オレには笑えねぇ」と少女はポケットを探る。
ライターを取り出したが「また煙草、捨てやがった」と舌打ちしてからいう。
「ジイちゃん、もうちょっとクールにやれってば。いっぺん、出ようと思ったけど、傍から見てて、馬鹿らしくなった」
「出るって? 傍って?」と阿久津。
少女は両手の人差し指でこめかみを揉み、笑った。
「オレは他の人格と、ちょいと記憶を共有してんのよねぇ。忘れたり隠しても、こうやれば出てくる……あーあ、ひでぇ。警察の底辺っつーか、現状ってーか」
少女が左目で阿久津を見ると、彼女はうつむいて視線を外した。
続いて津木を見て、少女は問う。
「でもやっぱ、ジイちゃんはすげえわ。さすがっすね?」
「何のことやら」と津木の視線が左上に動いた。
けけけ、と少女は笑ってソファにもたれかかる。両手を左右に大きく伸ばしソファの頭に乗せ、足を組む。津木を見下ろしていう。
「事件事件って。実際の女子高での事件は、あんなもんじゃないっしょ。あの管理官はそれを知らされてないときた。しかも……」
少女は顎の先で津木を指す。
部屋に、津木と阿久津の息が漏れた。
「デタラメな発言に、いちいち反応してブチギレるなんて、昔のジイちゃんにそっくり。
「ルイトモ?」と津木が尋ねると阿久津は、類は友を呼ぶの略です、と告げた。
少女はテーブルにライターを、ガラス製の灰皿のそばに置く。
湯気を上げるコーヒーカップを二つ寄せ、かちんと音を立てた。
「国家権力の身内びいきや工作はどうでもいい。ジイちゃんが息子の就職、出世にいくらの税金と人を使った、なんてオレが言える義理じゃない……が、オレはマジギレ寸前。ファック・ア・ジャパニーズポリスメン。サノバビッチ。シックオブイットオール」
「日本語で喋らんか」と津木の声。
そして、ちっ、ちっ、ちっ、と彼の舌打ちが聞こえた。
「じゃあ、こう言えばいいかね?」
少女は津木を見ながら、テーブルの脚を蹴った。
震えるテーブルとカップ。
動こうとする津木と阿久津。
少女は口を尖らせ、いう。
「茶番に巻き込むんじゃねぇよ、クソジジイ」
少女は津木を睨みつけていた。
「喉に風穴開けられても、裁けねぇ人間がいる。そんなクソ人間に、蠅みたくたかるんじゃねえ。カンダのオヤジとガキの件、今回の事件、もろもろマスコミに告発してやろうか、ああ?」
「脅しなら最初から、はっきり脅さんか。ややこしい」と津木は腰を下ろした。
ちっ、ちっ、ちっ……と舌打ちが続く。
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「あのね、神田勇気くんは」
声を出したのは阿久津だった。
「私が守るべきだった。私が刑事になって最初に」
「あいつの件は、オレの責任でいい」
津木と少女は見合ったままだった。
「あのガキはオレより言葉も態度もしっかりしてる。オレはそれを妬み、職を奪われる前に、売った……そういうことでいい」
「悪いと思ってる。けどね」
「オレだってサイコパスに手を借りる、なんて泣けてくるし、借りても懲らしめるぐらいする。でも、オレがほんとにムカついたのは」と少女は言葉を吐いて、コーヒーカップを手に取った。
少女は昇る湯気を鼻で吸い込み、テーブルに戻す。
「ジイちゃんなぁ、息子の人生は息子のもの。あっちも三十過ぎて、結婚と離婚、酸いも甘いも経験して、とっくに自立してんの。子離れできないジイちゃんが情けないったら……部下の身にもなってやれよ」と少女は「コーヒーも甘すぎる」と付け加えた。
津木は舌打ちを止めて少女にそっぽを向いていう。
「確かに……倅の教育なんぞとうに済んで、仕事もそれなりに、こなしておった。親バカという自覚は、無かった」
「うわあ、マジかよ」と少女は声をあげてソファに寝転ぶ。
津木は眉間に皺を寄せていう。
「倅は……小学生のころ、作文を書いていてな。正義のヒーロー、父のような警察官になると……私が離婚して20年か……隠しカメラに映る倅を見て、思い出した」
津木は前かがみになって呟く。
「だが善良な警察官、そんなもの、でたらめだ。警察は保身のためなら何でもする。身内びいき、司法取引、汚職収賄。この多くの違法捜査が黙認され、許されるべき組織なのだ。倅は、自分が傀儡であると気づいておらんな」
起き上がって両の掌をひっくり返し少女はいう。
「オレは自由な家出生活のため、全力を注ぐ。捜査一課やら公安やら、親子のいざこざに首を突っ込む気は無い。つーか、生まれてこのかた、家庭と警察と法律と病院……踏んだり蹴ったりの、ダークブラックな青春っす」
ちっ、ちっと津木は舌打ちを始め、会話が途切れた。
「津木さん」と阿久津が詰め寄って声を出す。
「傀儡とは?」
「善良な警察官をやることだ。倅は無名の領収書を切ったことも見たことも無い。上から理不尽な指図を受けたことも無い。清く正しく、真っ当なキャリアの道を歩いて……やがて本庁に呼ばれ、官僚まで駆け上がるように、私が敷いた道を」
コーヒーをすする津木の答えに、少女は大声で笑い、再びソファの上に寝転がった。
「クリーンな警官で宣伝部長ってわけね。あーあ、くだらねぇ」
「何がくだらんのだ?」と津木が尋ねると少女は目をこすり、上体を越していう。
「警察官、しかも刑事って、一般人には近寄り難いんだよね。空気が重たく、威圧感がある……これは修羅場を潜ってこそ、身につくんでしょうが」
コーヒーカップを取り、少女は湯気を吸いこみ、一気に飲み、むせた。
「けほっ……怖くない、刑事の、けほっ、国は、けほっ」
「口癖だったっけ」と阿久津が少女の隣に座る。
けほけほと咳払いを続ける少女に、阿久津はいう。
「あんたの意見は、私たちが生まれる前から、とっくに違法捜査はあったのに、現在は汚職だ、職権乱用だと叩かれて、すぐトップが頭を下げる。そんな、警察が謝罪させられる世相は、警察の動きを制限させる」
阿久津の言葉に、咳をしながら少女は親指を立てる。
阿久津はさらに続けた。
「あの捜査会議、市民からの情報が出てなかった。警察への不信感があるのかも。こんな、警察が嘗められる国は、突発的に大きなテロや暴動が起きる。多少横暴でも、威厳を保つべき」
何度も少女はうなずき、咳をする。
「私は」
阿久津はカップに口をつけてからいう。
「八課に入って半年で、二十もの警官を処分しました。公にしても良い人物もいました……先に出た、領収書などの、内部のいざこざです。
小さくても一つずつ摘んで表に晒し、日本内での大物を引っ張るのが八課の本業のはず。今回、家出したこいつの捜索がてらとはいえ、こちらの課で対処できたでしょう。世論がどこまで迫るか、わかりませんが……こいつに頼ったり、私たちが出向かなくても」
津木は阿久津を睨みつける。
「もう愚痴か?」
「い、いえ、その、えっと……」と、阿久津は口を噤んだ。
「警官が勤務中、上司に曖昧な発言をするな。受付の、山形誠を補佐につける。三人で事態を収束させろ。ここの激務課も勘ぐっている。一般市民とVIP以外の邪魔者は始末しても構わん」と告げて津木は「よっこらしょ」と腰を上げた。カーペットの上を音もなく歩き、扉に向かう。
少女は胸を叩いて、咳を止め、うつむく阿久津と、津木の背中に向かっていう。
「あらやだ。どろどろしてきた。ジイちゃんは影のドン?」
津木と阿久津が同時に「うるさい」という。
右手で腰を叩き、左手でドアノブをまわし津木は部屋から出て行った。
#
津木の代わりに、腹の突き出た男が入って来た。
「ちぃーっす」と少女はソファに座ったまま、男に敬礼してみせる。
男の扉を閉める手が止まり、扉は惰性だけでゆっくり閉まった。
「改めまして、阿久津カオリ警部補です」と起立して阿久津がいう。
男は頭を素早く下げ、名乗った。
「山形誠。巡査長です」とソファに向かう。
「うそつけ」と少女。
ソファに座った山形は、少女を睨みつける。
少女はテーブルを指でなぞって、きゅっ、と音を鳴らす。
きゅっ、きゅっと音を鳴らしながら少女はいう。
「オレはね、自分にルールを作ってる。左頬をぶたれたら、ぶった相手に十連コンボ。そっちがそういう態度なら、いつかケンカになりまっせ?」
「何です、こいつは?」と山形は指さし、阿久津に問う。
「この人格は、懐疑的な馬鹿です。山形さんは八課の方ですか」
「そうです」
「ちがうね」
二つの声が同時に響いた。
山形は眼前の少女を睨む。
少女はカップから指を離し、山形の右腕を指していう。
「公安捜査員の見分け方。男は夏でも長袖。まくるときは凶悪犯確保のときで、ボタンを止め、下がるのを防ぐ。袖を取られないためだ」
シャツをまくりあげた左腕をさする山形を見て、少女は続ける。
「プライベートではゴテゴテした腕時計をする。ナックルガードになるから。でも毎日、位置を変えて両手に跡を残しておく。相手との取っ組み合いする際、利き腕を悟られないように……香水やコロンにも隠語がある。甘い匂いは、出会う相手は重要参考人とか確保対象って意味。口調は丁寧で業務的……どうせカンダのオヤジから、ここの本部長に、身内の始末を受けてんだろ? 激務だか特務とかの一員じゃねーの?」
「天才殺人少女の話は難しいぜ。何が何やら」と山形は右手を、さっ、と左手の時計にやり、ソファの左淵に肘を置いた。
「アホが見る、豚のケツ」
少女は声を上げてソファに寝転び、こめかみを拳でほぐしつつ、いう。
「他人に真意を暴かれたとき、意識は左に向く。視線が左上に行ったり、右半身が左半身をかばったり……これは防衛本能の副産物で、自我は口や行動で弁解しても、無意識が素早く心臓のある左に向く。これをどう捉えて言及するかが、尋問や、心理戦の基本でしょーが」
顔だけを山形に向け、少女は眉間に皺を寄せ、大きく声を出した。
「オレの吐いた真実とデタラメの中に、ヒットしたのがぎょうさんあるぜよ。命令通り、オレを見張りたいなら、まず身分を明らかにしてくれまっか?」
阿久津が大きく息を吐いてから「勘ぐりすぎ」と少女の頭を叩いた。
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山形の言い訳は簡潔だった。
「津木さんには逆らえないんです。弱みを握られて……今回は暴れ馬が相手だって聞いて、つい気を張っちまって。いや、申し訳ない」
「みんなそうだって。インガオーホーだけど」と少女がいうと、がはは、と山形は大きく、長く笑った。
阿久津は彼の笑い声を聞いている内に、くすっと笑い「すみません」と相槌を打った。
「こいつとは、同じ施設で育ったんです。でも経歴のほとんどは、濡れ衣です。解離性同一性障害なのは本当ですが、殺人なんてしてません」
「ジイちゃんの喉は刺したけど」と少女。
「そもそもガチの前科持ちに、警察の手伝いをさせるわけないっしょ? しかも誰でもできるような、安っぽい妄想で、何が顧問だっつーの……オヤジが官僚っていうだけで、利用されてんのよね。これを誰も信じてくれんし、身分は改ざんされて……オレは埼玉生まれ、病院育ち。生まれてこのかた、この国のハキダメ見てきた。マイノリティ代表、トップランカーだ」
「このように、性格、ねじれにねじ曲がってて……けど、いざというときは頼りになります。以前、東京で起こったカニバリズム事件も、そうだったんです」
阿久津が空になったカップを置くと、山形が声を挟む。
「まさに昼行燈ですな?」
山形は己の発言で笑った。
少女はソファに寝転んだまま、あくびをした。
笑い声と二人のやりとりを聞いていたが、やがて立ち上がって伸びをする。
山形は部屋の壁にある時計を見て声を上げた。
「おっと、そろそろ行きます?」
「ですね」と阿久津も席を立って、車のキーを取り出す「まず、南区にある喫茶店、サウス・グローブに行きましょう」
その阿久津の意見に山形は「喫茶店ですか?」と返す。
「お茶では、ありませんね?」
「はい。確実な情報を仕入れたいんです。あんたもそれでいいよね?」
阿久津の声に、無言のまま少女は部屋を出た。
二人は後ろから談笑してついて来る。
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少女らが居座っていた部屋は、一階にある受付の奥にあった。
受付係の男が変わっていた。少女はメモを取り出し、山形のこと、受付のこと、津木の話を書きながら歩く。
そして、
『真幌女子高校殺人事件』
『真幌女子高校教師殺人事件』
『真幌女子高校カニバリズム事件』
と書いたところで、自動ドアから出て夕方の闇で文字が読めなくなり、書くことを止めた。
真幌市警中央署の外は夕焼けが終わっており、少女が見上げる空には星がある。
「夜が早い」と山形はいう。
少女は黙って夜空を見上げる。
山形、阿久津が追い抜いて行き、少女は二人に向かってピース・サインを出す。
その手の甲が山形と阿久津の方を向いていた。
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