Side〝R〟ー1 What U Name?


 僕のプロフィールだって? こっちが教えてほしいね。

        

――ミスター・フー(米国のシンガーソングライター。1984年、音楽雑誌の取材中に発した言葉)



 #

「第三問。どんなものでも破壊する大砲があります。山でも町でも太陽でも破壊できる大砲に壊せないものはありません。どんなものでもはね返すお城があります。鉄砲もバクダンもレーザー光線もはね返すお城を動かせるものはありません。さて、大砲をお城にむかって発射するとどうなるでしょう」

「クイズをつくった人がはじをかく」

 少女は即座に答えた。プレハブ椅子に座ったまま。

 彼女よりはるかに老いた女は尋ね返す。

「どういう意味なの?」

「問題が、おかしい」

「詳しく説明できるかな」

 このやりとりを女は机に置いた紙に逐一書き込む。

 少女は、着ている灰色のジャージの胸にある番号を見て、どうして履いているスリッパにも同じ番号があるのか尋ねた。女は答えない。


 プレハブ椅子に座ったまま、少女は大きな欠伸をかき、いう。

「無敵の大砲をつくった後でうごかせないお城をつくったなら、はね返せないとダメ。うごかせないお城が先なら、大砲は壊さないとダメ。同時につくったなら大砲は、お城を壊さないといけないし、お城は、はね返さないといけない。そんなの無理。だからクイズをつくった人はおかしい」


 答えを聞いて笑ったのは、立って二人を見ていた男だった。少女は彼に向かって両手を差し出す。手は白いロープで縛られており、犬のリードのように男の右手まで伸びていた。

「とって。かゆい」

「我慢しなさい。今日で十一歳になったんだろう。同級生に笑われるよ」

 むう、と少女は唸った。


「第四問、二台の列車が二百キロ離れた所から互いに向かって時速五十キロで走って行きます。このとき列車の先頭から一匹の蠅が飛び出し、時速七十五キロで二台の列車のあいだを、列車が衝突して潰されるまで飛び続けます。蠅は合計でどれだけの距離を飛ぶことになるでしょう」


 少女は「二つあって」という。


「答えは同じだけど、かんたんなのとむづかしいのがある。むづかしいほうは、紙と鉛筆がないと無理」

「解き方は二つもあるの?」

「うん。かんたんなのは列車がぶつかるまで二時間だから、ハエが飛べるのは二時間だけ。七十五かける二で、ハエが飛ぶのは百五十キロメートル。でもハエはずっと飛んでる。だから、どんどんちぢまる列車のあいだを計算してもとける。そっちのほうがおもしろい」

「そんなことできるの?」

「覚えたことは忘れないもん。無限係数を有限の値になるまで計算して、その和が答えになるって本で読んだ。あしたまでにとけるとおもう。とってくれれば、やる」

 少女は繋がれた両手を差し出す。女は首を横に振って、次の問題を出した。

「第五問、ある男の人が肖像画を見ていました。誰の絵を見ているのか尋ねると〝私に兄弟も姉妹もいないけど、この絵に描かれている男の父親は私の父親の子供です〟と答えました。さて、この男の人は誰の絵を見ているのでしょう」



 #

 全三十五問のテストが終了し男に連れられて少女は部屋を後にした。

 

 自室に戻ってやっと少女の手は自由になった。

 部屋に広げた布団をきちんと畳んでからトイレを掃除して、正座するよう男に指示された。

 

 少女は灰色のジャージ姿のままスリッパを脱いで揃え部屋に上がる。畳を隠す布団の皺も伸ばして三つに折った。男からタワシを受け取って和式トイレこすった。そして布団と和式トイレに挟まれた畳の真ん中で正座した。

「そのまま六時間いること。喋るのは、おしっこをしたいときだけ。いいね」

 少女はうなずいた。男の被る帽子には金色に輝く紋章がついている。男が扉を閉めると、があん、と重たい音がした。

 

 黙っていると、かつーんと硬い廊下を蹴る音がする。灰色の扉を前にし廊下を伺う事はできず少女は目を伏せて黙ってすごした。

 

 背中が熱くなっていく。目を開けると部屋が先ほどより明るくなっていた。蛍光灯の明かりはついていない。正座を崩さず、上体だけを捻って振り返ると鉄格子のある窓から太陽が差し込んで照らしていた。

 

 かつーんと音がして少女はドアに向く。

 がちゃがちゃと音がして、ぎーぃっと扉が開く。先ほどの男だった。

「もういいよ。立ちなさい」

 少女は足を伸ばそうとしたが前に倒れてしまう。男は、おやおや、と少女の体を起こしてやった。

「足をゆっくり上げて、立って」

 膝を震わせながら、男にしがみついて立つ少女の目に、男の胸ポケットにある黒い万年筆がとまった。


 男は少女のズボンに手を入れ、まさぐりはじめる。少女は小さな悲鳴を上げる。

 とたんに男は手を抜き出して「今日もいい子だ」と少女の両手を縛って、部屋を出た。

 少女は黙ってゆっくりついて行った。


 # 

 連れていかれたのは先ほどと同じような塗装の剥げたコンクリートの部屋だった。プレハブ椅子と机があるものの、問題を出された部屋より広く冷房もきいており、埃をかぶったエアコンが音を立てて冷たい風を吐き出している。

 部屋にはメガネをかけた女がいた。さきほど問題を出した女より若く、赤いルージュが目立った。

「さあ、座って」と男がいう。

「とって。かゆい」

 男はまた、終わってからねという。少女は椅子に腰かけた。甘い香りが目の前の女からして、それを嫌がった。

「次から気をつけるわ。さて――ちゃん。気分はどう?」

 女の問いに少女は首を左に傾けて返事する。

「なんか、ぼやっとしてる」

「ぼやっとね」と女はマニキュアを塗った爪で宙に円を描く。

「今日も何か見えるかな。妖精とか、お化けとか」

「ううん。見えない」

「おかしな声はまだ聞こえる?」

「聞こえる。オレっていう子がね、話しかけてくる。さっきもそうだった。クイズのときは寝てたけど、ここに来るときに起きた」

「毎日きちんと眠れてるかな」

「うん。きのうは布団に入って、目がさめたら、クイズをといていた」

 女は腕を組んで少女を見つめる。少女は首を左に傾けた。


 椅子を回して女は「あのう、さっきのテストですが」と男に向かって尋ねる。

「全問、解いたらしいですね。本当ですか」

「即答していました」と男はいう

「自分は頭がかゆくなりました。子供の頭は柔らかいって本当なんですね」

 中指でメガネを押し上げる女は「前回までの総合正解率は三割だそうです」という。

 三割だなんて、と男は尋ね返す。

「連行されてから一年もやって、たったの三割ですか?」

「全問正解する日や一、二問しか正解しない日があって。同じ問題でも即答するとき長考するときなど……成績は一般児童より下です」

「それは、しかし」と男は少女を睨みつけた。

「あなたは先月から、この子の監視員ですよね」女はメガネを取って机に置く。古びた木製の机。その下に置いたバッグから紙を数枚出して男に見せ、解説を始めた。

「公判前のDSMーⅣという、解離性同一性障害の検査結論……ご存じですよね。しかし知能がそのまま性格に影響するなんて断言できません。問題をご覧ください。意図的に上げられないよう、大人向けの問題も混ぜてあります……私が確認した人格は二人。名前は教えてくれませんが、『私』と『オレ』の二人。点数が最も低いのが『オレ』のとき、最高点は『私』のときです」

「着任前に説明されましたが、この子は自分の前では一度も人格を変えることは」

 受け取った紙を眺めて男の声がうわずった。

 

 女は「十八世紀のドイツにエバーハルト・グメーリーンという医者がいて」と続ける。

「その著書によると、あるドイツ人の女性患者が、ドイツ人の人格とフランス人の人格を持っていたと。その患者は二ヶ国語を使い分けていたのですが、グメーリーンは治療によって、自分の指を動かすことで患者の人格を交代させられたと……彼の概念、治療法の一部は現代医学でも応用されています。

 有名なのはビリー・ミリガン氏の〝教授〟やミス・ビーチャムの〝BⅠとBⅣの調和となる人格〟など。これらは長期治療で、いつくもの交代人格を制御する人格を構築させた事例です。まず解離性同一性障害者にとって、何が人格を交代させるスイッチなのかを知ってから。ねえ――ちゃん。このお兄さんに会いたい子はいるかな?」

 女が見やると、少女はぐっと腕を伸ばし、うーんと唸って首を回した。

 男が右手に持ったロープを握りしめる。


 少女はプレハブ椅子に飛び乗り「うきっ」という。手は女につき伸ばしたままで、さらに机に飛び移った。

 女が席を立ち、後ろに下がった。男は、やめろ、という。少女は口を開けて舌を出した。

「降りなさい」と男はロープを引っ張る。少女はその方向へ飛び、男に体をぶつけた。だっこするように男は受け止める。

 飛び移った少女は「にゃあん」と声を上げて顔を男の胸に押し付けて胸ポケットを手で探った。

「離れなさい」と男はかがんで少女をコンクリートの床に降ろす。そして「返しなさい」と手を出す。

 少女はさっき盗んだ万年筆を持って「はーい」と返事する。

 

 とすん、と男の喉に万年筆の先端が突き刺さる。口をぱくぱくさせ男はゆっくりと己の喉に手をやった。少女は奪われるまえに万年筆を抜き取って、男の右目に突き刺す。

 絶叫を上げたのは女で「私のメガネが!」と叫ぶ。

 男に残された左目に、少女は手に持ったメガネの柄を差し込んだ。

男は声と視界を失いつつ、少女を抱きしめるようにして動きを封じる。少女は立ったまま男の、穴の開いた喉、目に刺さった万年筆とメガネを伝う血を浴びた。


「――は公式資料で少女Aと表記する。まず――は去年の七月七日、当時十一歳のとき埼玉県埼玉市で――ちゃん、当時九歳を自宅に招き入れ、砂を詰めた五百ミリペットボトルで撲殺、自宅のキッチンから包丁持ち出し、山中でバラバラにした後、市内中へ遺棄した。

 小学校の担任教師によると――と被害者は、食事中や館内掃除中にたびたび口論、取っ組み合いの喧嘩をしており被害者を含む同級生五名から、度重なるいじめにあっていた。

 埼玉市中央署少年課刑事によると犯行の動機は怨恨。前回の公判後に――は特別病院に連行され矯正処置を受けていたが、先の七月五日、担当監視員である石田いしだじゅん、二十四歳の両目と喉を万年筆とメガネの柄で刺し、彼の右目を失明させた。

 これは去年――を確保した捜査員、津木つぎさとる、当時四十三歳への暴力行為と酷似しており、反省のみられない許しがたいものである。今回、石田順氏および検察側は精神科医師の心神耗弱という診断を否定――に対し少年法および刑法三十九条を除外して殺人および殺人未遂の重刑を要求する。この理由は」


「まってくれ」


 老いた検事がつらつらと原稿を読み上げる中、甲高い声が木霊する。検事、裁判官、弁護士、陪審員は皆、声の主を目で追った。


 声の主は立ち上がり検事を睨みつける。白いジャージ姿の少女だった。

 若い男性弁護士は彼女の肩を掴んで座らせようとする。が、彼女は口を開いて抵抗した。

「ボクは――じゃあない」

「発言は謹んでください」と裁判長が注意する。

 両手を封じられた少女は弁護士の手を上体を揺さぶって払う。長い髪が弁護士の目をかすって彼は手で目を覆った。

「――とは誰だ。ボクはボクだと信じていたが、いま――という名と事件を初めて知った。検察、警察にボクが――である証拠と聴取時の資料、状況の説明を要求する」

 法廷内がしんと静まる。

 横並びで座る三人の裁判員はずっと少女を見ていたが、真ん中にいる髪の薄い裁判長が咳払いしていう。

「異議申し立ては、弁護士を通じて事前に資料や証人を揃えてください」

「ちなみに、ボクが病院と拘置所において理不尽な暴力行為を受けている説明も」

 少女は繋がれた手で、服をめくり上げ腹を見せる。右わき腹に白い包帯がまかれており、へその周囲は浅黒くなっていた。

 

 弁護士が挙手を、裁判長は彼を名指しし、釈明させた。

「彼女は未成年児童でありながら度重なる聴取や検査を受け続け、心身ともに疲れ果てて症状が悪化しています。現在収容中の施設状況ならび、現担当監視員の勤務態度を調べ直し、時間を置き医師を変え、傷の治療、心のケアと精神鑑定……特にDSMーⅣ検査を再三行い、安定させ裁判に臨みたい所存です」


 さらにざわつきだす法廷内で、裁判長は両脇に座る裁判員と小さな声で短く相談して「検察側はそれでよろしいですか」と了解を求める。

 老検事はため息を吐いて「然るべく」と了解した。


 半年後、十二月に第二回公判が行われた。検察側も弁護士も激論を交わし続けて、年をまたいで三月になったころ、少女に云い渡された判決は、無期限の矯正施設収容だった。




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