さまよいジャック ~良い子とカボチャの騎士達~

いぐあな

第一夜

 十月三十一日、万聖節前夜。ここ数年、この東洋の島国でもハロウィンが定着したらしく、背の高いビル群の間の道路が、歩行者天国になって、仮装した人々が大勢歩いている。最も、この国ではクリスマス同様、聖なる意味は薄く、ただの秋の賑やかな祭りの一つとして、オレンジのライトを灯し、ジャック・オ・ランタンや蝙蝠、お化けを模した飾りを飾っていた。

 通りの店や屋台によっては、仮装した子供に、無料や割引でお菓子を配っているところもある。魔女やモンスターの仮装だけでなく、お姫様やアニメの仮装をした大人や子供達が、沢山広々とした道を歩いていた。

 そんな人々の上空、寒風が吹くビルの屋上に『視える』者がいれば、あんなところにハロウィンの飾りが? と首を傾げるであろう者達が二人、落下防止の柵の外の、壁の縁に並んで座っていた。

 一人は上品なスリーピースの黒のスーツに、大きな麦刈り鎌と黒いマントを羽織った骸骨、そしてもう一人は、今まさに街に飾られているようなオレンジのカボチャ頭に、白いシャツ、紫の蝶ネクタイに黒いベストと、上着とズボンを着て、手にピンクと白の渦を巻いた棒付きキャンディを持った、ジャック・オ・ランタン、そっくりの小柄な男の子だった。

「本当ニ今時、天使や悪魔ガ狙っテ出てクるようナ子がいるノォ~」

 出っ歯の、にっと笑ったような形にくり抜かれた口に、キャンディを出し入れしながら、男の子が人を小馬鹿にしたような声音でしゃべる。

「まあ、確かに今時珍しいが、これがいるところにはいるんだ」

 骸骨が、休日には隅々まで、磨き上げる頭蓋骨を指でポリポリとかく。スリーピースのベストの内ポケットから、黒い革のカバーの掛かった手帳を出した。

宮園鞠亜みやぞの まりあ、16歳。日本時間17時32分、歩行者天国に間違えて入り込んだ車から、幼稚園の女児を庇って事故死……死亡理由もそれらしいな」

 骸骨は今度はスーツのポケットから、金鎖に繋がった懐中時計を出した。頭蓋骨同様磨き上げた時計の蓋をパチンと開ける。

「そろそろだ……」

 覗き込むカボチャ頭を、うっとおしそうに手で押しやる。暗い眼窩に灯る青い炎のような光が、きゅっと小さくなった。

 キキキイイィィ……!!

 遠くから甲高いブレーキ音が、暗くなってきたビル群にこだまする。

「時間通りだ」

 骸骨はふわりと浮き上がると、ふわふわと飛んで、ビルの屋上の中央に立った。バサリ、風に煽られマントが鳴る。同様にカボチャ頭もまた、ふわりと飛んで彼の隣に立つ。

「来た……」

 彼は暗くなった空を見上げ、麦刈り鎌を構えた。

「中二~」

 隣でケタケタと両手で口を押さえて、カボチャ頭が笑う。骸骨が麦刈り鎌の柄の先で、その頭をゴツンとこづく。

「うるさい」

 そして、自分の腰の高さもない彼の顔前に、骨の指をピシリと突き付けた。

「良いか? ジャック。ウロボロス様の御見立てによると、天国にも地獄にもいけない業を、背負ってしまったお前は、重過ぎて『生き返りの輪』に入ることが出来ない。それを軽くする為には、魂の成仏を手伝い、彼等に少しずつ、己の業を持っていって貰うのが一番なんだ」

「解っテいるヨォ」

 カボチャ頭……ジャックが、こづかれた頭を押さえて答える。

「では、私はこれから、やってきた天使や悪魔を追い払う。お前は私が彼女を迎えに逝くまで、それ以外に手を出そうとする悪霊や小魔から、彼女を守ってくれ」

「了解~」

 ジャックが楽しげに、白い手袋に包まれた手をゆらゆらと振る。彼のふざけた動作に、骸骨は肩を竦めた。

「ウロボロス様も、コレのどこが気に入ったやら……」

 大きく息をついた後、空に飛び上がる。鎌を構え骸骨は、空にわらわらと現れた影に向かって、飛んで行った。白い羽根を持つ者や、黒い羽根を持つ者がいる中に、突っ込んで行く。

「ウじャうじャ来たネ~」

 ジャックも空を見上げる「旦那、一人デ大丈夫カな?」カクンとカボチャ頭を傾ける。

「ま、いっカァ~」

 彼はにっと笑うと手にしていた、キャンディを全部口に入れて、ボリボリと噛み砕いた。

「ハロウィンの夜は、イタズラはイいけド、オイタはダメネェ」

 ビルの端まで走り、そこから空に向かって大きくジャンプする。

「Trick or Treat!!」

 ふわり冷たい夜風に乗って、彼はふわふわ空を飛んで、街の明かりの中に落ちていった。



 救急車の回転灯とパトライトが、歩行者天国の端の道路を、チカチカと赤く染めている。目の前にある車の下から伸びる、白い手と赤黒くアスファルトを染め上げる血。警察官の前では、車の持ち主の若いサラリーマンらしい男の人が、青ざめた顔で頭を抱えて、道路に座り込んでいる。その向こうのパトカーの近くには、救急隊員の人に、傷の手当をして貰いながら、お母さんの胸にしがみついている幼稚園くらいの女の子。そして私の友達の高校生の女の子が二人、呆然と立っていた。

 周りからは

「何、何? 何があったの?」

 尋ねる声と一緒に、カシャカシャとスマホで、写真を撮る音が聞こえる。中には、その場で、SNSに書き込んでいる人もいた。

 ……一応、女の子だから、あまりグロい写真はあげないで欲しいんだけどなぁ……。

 彼等の少し前に、地面から数センチ浮かんだ私……宮園鞠亜は

「……悪いことしちゃったかな……」

 ぼやいた。ついさっき半透明になった、黒いワンピース姿の魔女に仮装した、自分の身体や手足を見下ろす。

 ……いや、悪いのは、歩行者天国のお知らせを見落として、突っ込んできた車の運転手だけど……。

 でも、驚いて声も出ない、私が助けた女の子は、可愛らしい、今年の夏ヒットしたアニメ映画のお姫様の仮装をしている。お母さんは、その映画に出てきた悪い継母の仮装。そして、今夜一緒に、この歩行者天国を回る予定だった友達二人は、先週の休みに一緒に買いに行った、オレンジや紫の服に、頭に猫耳やジャック・オ・ランタンの飾りを付けていた。

 ……折角、楽しみにしていたハロウィンを台無しにしちゃった……。

 一番の被害者は、女の子を庇って車に引かれ、こうして死んでしまった自分なんだけど、青ざめて顔を強ばらせている四人に、何か申し訳なくて

「ごめんね」

 見えないし聞こえないだろな~と、思いつつも謝る。

 そのとき

「ふ~ン。やッぱり、あンだけ天使ヤ悪魔がやっテくるダけのコとはあルんダァ」

 壊れたおしゃべり人形のような調子の陽気な男の子の声が、私の後ろから掛かった。

「へっ!?」

 振り返ると、最近友達とスマホで遊んでいるファンタジー系ゲームのモンスター、ジャック・オ・ランタンが、そのまま画面から出てきたような姿の男の子が立って、ニヤニヤと笑っている。

「誰!? っていうか、どうして私が見えてるの!?」

 思わず、驚いて尋ねると

「ボク、ジャック、キミを迎えにキたンだネェ」

 男の子……ジャックは何がおかしいのか、ケタケタと笑い声を上げた。

「Trick or Treat !!」

 ハロウィンの掛け声と共に、当然といった感じで、白い手袋の手を出す。

「えっ!? お菓子が欲しいって!?」

 私が友達と食べようと持ってきた、お菓子の入ったカバンは、今、私の身体と一緒に車の下か、道路に転がっているはず……それが、一瞬でジャックの手の上に現れた。

「イっぱイ、あるネェ」

 ケタケタケタケタ……。また笑い声を上げながら、彼は私のカバンを探る。

「えっと……お迎えって……」

「キミはさっキ、死んダンだネェ」

「……それは解っているけど……」

 振り返り、車の下から担架に乗せられて、運び出される自分の身体を見て、ギュッと目を閉じる。ジャックに視線を戻すと、彼は板チョコの包装を剥いて、ポリポリと食べていた。

 ……もしかして、ハロウィンに死ぬと、仮装した人が迎えにくるのかな……?

「死んだおばあちゃんが迎えに来ると思っていたのに……」

 去年の冬、肺炎で入院して、そのまま退院することなく逝ってしまったおばあちゃん。その、おばあちゃんが迎えに来てくれるんじゃないかなぁ~と、待っていたんだけど。

「フツーは、そウなんダけドね……」

 ジャックはチョコを食べ終え、私が昨日焼いたカボチャのクッキーの包みを出した。

「ああっ!!」

「なァに?」

 それは友達にあげる為に焼いたクッキー!! そう叫ぼうとした時、二人が泣きながらスマホで、多分、うちの家族だろう、電話しているのが見える。

「……良いよ。食べて……」

「ウん!」

 可愛く結んだリボンを無造作に外して、ジャックがクッキーの袋に手を突っ込んだ。

「シナモンがキいてテ、美味しイネェ」

 口に三つほど放り込んで、きゅっとくり抜かれているだけのはずの目を細める。

「じゃあ、どうしてキミが迎えに来たの?」

「キミは特別ダから……」

「特別?」

「ソう」

 ジャックはニッと笑った。三角の目の奥に黄色の灯火のような光が灯る。

 ふいに私の周りに風が沸き起こった。今の季節にしてもまだ早い、冷た過ぎる身を切るような風だ。

 それは周りのやじ馬の髪や服を揺らすことなく、私の周りだけをぐるぐると覆う。戸惑う私の目の前に、ザッと無数の黒い粒のような羽虫が現れ、囲んだ風に乗って、身体に群がった。

「きゃあ!!」

 風で羽虫がピタピタと顔に、身体に、手足にくっつく。慌てて目に入らないように閉じる。余りの気持ち悪さに、無我夢中で両手で払おうと振り回す。

 パン!! 手を叩くような音がした。薄目を開けて見ると、ジャックが両手を合わせている。

 ザワ……ザワザワザワ……。

 どこから出てきたのか、アスファルトの上を緑の草の蔓が覆う。大きな三つに割れた葉っぱには見覚えがあった。

 ……カボチャの葉っぱ?

 亡くなったおばあちゃんの市民菜園の畑で見た葉っぱだ。あのときは黄色い花も咲いていた。その葉っぱをワサワサと繁らせた蔓が、一気に私の身体に向かって伸び、パシパシと左右に揺れて羽虫を追い払う。葉っぱに払い除けられる度に、空気に溶けるように羽虫が消える。羽虫が全部消え、終わったよ~とでも言うかのように、カボチャの蔓に手をつつかれて、私は大きく息をついた。

「う~ン……早速、低級ナ悪霊が襲ってきタね~」

 ジャックが腕を組んで、カクンとカボチャ頭を傾げる。

「面倒くサいのヤダヨォ」

 周囲を見回す。事故の調査が一段落したのか、救急車は私の身体を運んでいなくなり、パトカーがまだ残っている中、ヤジ馬達がそろそろ解散し始めていた。

 その彼等の仮装姿を見ていた、ジャックの口が大きく開き、くり抜いた目がにっと笑った。

「Trick or Treat!!」

 掛け声と共に、私を指差す。

「へっ!?」

 ボムッ!! 白煙と一緒に音がして、次に足の裏にいつもの慣れた地面の感覚が甦る。慌てて見下ろすと、半透明だった身体が、実体の身体になっている。服は、さっきの魔女っぽい黒のワンピースではなく、紫と黒のシマシマのタイツと、ミニスカートのヒラヒラとしたフリルが見えた。

「え……ええっ!?」

 オレンジの長袖シャツに、あちらこちらにフリルのついた黒い袖無しのベスト。まばらになった人越しに、店のガラスに映り込んでいるのは、背中に蝙蝠のような小さな羽根を付け、頭に黒い角を付けた、悪魔に仮装した私だった。

「ええええっ!!」

 普段自分がしないような格好。しかも、目元には紫のシャドーが入り、唇はピンクのルージュまで塗られている!!

「木の葉ヲ隠すのハ森の中、ハロウィンに隠れルなラ仮装ってヤツだネェ」

 楽しげにジャックが私の手を取る。

「Trick or Treat!!」

「えっ! えええええっ!!」

 彼は片手に私のカバン、片手に私の手を握ると、歩行者天国の人混みの中を走り出した。

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