第24話睨み合う二人

 早朝から宮殿に出仕するエリザベス。

 シルヴェスターは会議にでるようで、バタバタとしていた。

 コンラッド王子はのんびりと書類を捲っており、相変わらずの通常営業。


 会議十分前となり、シルヴェスターは部屋をでようとする。

 ピタリと扉の前で立ち止まり、背後のコンラッド王子とエリザベスを振り返るとお小言を述べた。


「殿下、端にある書類の半分は、私が帰ってくるまでに処理しといてくださいね」

「ええ~~できるかなあ……」


 コンラッド王子の反応に、厳しい視線を向けるシルヴェスター。一瞬、部屋の空気が凍り付いた。

 その冷ややかな反応に気付かないほど、王子は鈍感ではない。


「う~ん。わかった、頑張るよ。なるべくね」

「よろしくお願いいたします」


 続いて、エリザベスの方を向くシルヴェスター。


「リズ」

「なんですの?」

「大人しく、良い子にしているんだよ」


 その言葉に「はあ?」と言いたくなったが、コンラッド王子がいる手前、ぐっと我慢した。

 返事はせずに、早く行けと手を振って追いだす。


 シルヴェスターがいなくなった途端、コンラッド王子はエリザベスの名を呼ぶ。

 書類の束を手に持ち、小首を傾げながらお願いをしてきた。


「エリザベスさん、お願い。これ、手伝って? シルヴェスター君が帰ってくる前に終わらせないと、僕、すっごく怒られちゃう」

「殿下、そちらは、重要機密が含まれる書類では?」

「そうだけど、絶対一人じゃ間に合わないし……。エリザベスさんは知らないと思うけれど、シルヴェスター君、怒ると怖いんだ!」

「ええ、ですが……」

「一生のお願い!」


 以前シルヴェスターに釘を刺されていたことを思い出す。

 文官ではないエリザベスが書類仕事をすることは、危険が伴うと。


 けれど、王族の命令は絶対。

 エリザベスはそう自らに言い聞かせ、書類を受け取った。


 十一時前、エリザベスは一旦ペンを置き、イレブンジズのお茶の準備をしにいく。

 厨房は相変わらずの大混雑であったが、すでに慣れていたので、素早くお菓子を確保し、お湯の順番列に並んだ。

 手早く紅茶の葉をポットに入れ、ティーコジーを被せて蒸らす。


「エリザベスさ~ん!」


 懐中時計を片手に蒸らす時間を計っていると、チェルシーが近づいてきた。

 お菓子の盛り付けを覗き込み、今日も素晴らしいと褒め囃す。


「あなた、こんなところで油を売っていていいの?」

「お勉強ですので!」


 手帳を持って盛り付けをスケッチするチェルシーはエリザベスのことを、お手本にしたい女性だと言う。


「というか、憧れですね」

「褒めても何もでませんことよ」

「違いますって。本当なんです!」


 チェルシーはエリザベスのことを、凛としていて、品があり、仕事もできる素晴らしい女性だと話す。

 それは、世間で噂されていた公爵令嬢エリザベスの評判とは、まったく違うものであった。


「私、エリザベスさんみたいなお姫様にお仕えしたかったです」


 チェルシーが使えているのは、第六王子の妃である。

 隣国からやってきた姫君はたいそう我儘だった。

 周囲の使用人達が苦労しているという話は、宮殿中に知れ渡っている。


「わたくしも、似たようなものですわ」

「そんなことでいです。エリザベスさんは、素敵なお嬢様です」


 エリザベス・マギニスとしては嬉しい言葉も、エリザベス・オブライエンとしてはまったく嬉しくない。

 上手く演じきれていないのだとわかり、はあと盛大な溜息を吐いてしまう。

 その反応を見て、チェルシーは謝った。


「お気を悪くさせてしまったようで」

「いいえ、あなたは悪くありませんわ」

「ごめんなさい。でも、憧れている気持ちは、本当なので……すみません、お仕事の邪魔をして」


 会釈をして去りゆくチェルシーの後姿を、エリザベスは切なげに見送ることになった。


 ◇◇◇


 イレブンジズの時間、いつものようにコンラッド王子は休憩室に紅茶とお菓子を持って行った。


 エリザベスはその間、もう少しで片付く書類に手を付ける。

 すると、戸が叩かれ、返事もしないうちに扉が開かれた。


「すみません、急ぎの用事でして――」


 やってきたのはユーインだった。

 シルヴェスターの席に座り、書類を手にしていたエリザベスを見て、目を見開く。


「エリザベス嬢、あなたは、いったい何を――」


 ユーインはつかつかと近づき、エリザベスの書きかけの書類を取り上げた。

 エリザベスは慌てて立ち上がり、書類を返してもらおうと手を伸ばすが、掴もうとした寸前で届かない高い場所へと上げられてしまう。

 ユーインは目を細めながら紙面を確認をし、シルヴェスターの処理済みの書類も手にする。

 互いの書類を見比べ、呆れたように言った。


「シルヴェスターの指示でこのようなことを?」

「い、いいえ」


 珍しく、動揺で声を震わせるエリザベス。

 いつもならば、扉は施錠していた。けれど、今は休憩時間であり、コンラッド王子が休憩室に行ってしまったので、鍵をかけていなかったのだ。

 休憩中には誰もこないだろうという、油断があったのかもしれない。

 自らの不注意を反省する。


「では、コンラッド殿下ですか」

「……」


 沈黙は肯定を意味する。

 気まずげに顔を逸らすエリザベスに、ユーインは呆れた視線を投げかけていた。

 眼鏡のブリッジを軽く押し上げ、首を横に振る。


「いくら王族に頼まれたからと、文官でない者が書類仕事をしてはいけません」

「……」

「見つかったのが私でよかったですね。もしも、監査局の者であったら、厳しく処罰をされていたでしょう。シルヴェスター、コンラッド王子と、仲良く三人で」


 エリザベスは黙ったまま、俯いていた。いつもの勢いはまったくない。

 その様子を見ていれば、ユーインは気づく。


「やはり、悪い噂はすべてデタラメですね」

「そんなこと――」

「あります。あなたは、多少気位が高く、険のある感じもしますが、教養深く誇り高い、ごくごく普通の、貴族女性です。そんな人が、男と取っ替え引っ換え付き合っていたなど、ありえない」


 ユーインの思いがけない評価に、エリザベスはカッと頬を染める。

 じわじわと浮かび上がる感情は、怒りと焦燥と照れと。

 自分のことながら、わけがわからない状態になっていた。


「それにしても、驚きました」


 エリザベスが書いていた書類の文字はシルヴェスターの物とほぼ変わらない。

 筆跡を真似、書類も正確に処理していたのだ。


「会話をする中で、博識な方だとは思っていましたが、これほどだったとは……家庭教師はどちらの先生に師事されたのでしょう?」

「……」


 ユーインの質問に、エリザベスは奥歯を噛みしめる。

 その辺の設定は考えていなかったのだ。


「それはいいとして、わざわざ悪評を流す意味を理解しかねます。誰かに流されたのかとも思いましたが、そうであったら、あなたが奔放な付き合いをしていた件を認めている理由が説明できない。それに押しかけてきた元恋人の件だって、不審な点が……」


 エリザベスはユーインに徹底的に追い詰められていた。

 どうしようか――エリザベスは悩む。


 今、ここで助けを求めたら、ユーインは伸ばした手を取ってくれるだろうか? それとも、侮蔑の視線を向け、見放すのか。

 まだ、そこまで付き合いが深いわけではない。

 エリザベスにはわからなかった。


 言うべきか、言わないべきか。

 どちらにせよ、危機であることに変わりはない。


 そんな彼女に、ユーインは返事を急かす。


「エリザベス嬢」

「わ、わたくしは――」


 返事をしようとすれば、執務室の扉が開く。


「おや?」


 やってきたのはシルヴェスターであった。

 向かい合って佇む二人を不審に思ったのか、すっと目を窄める。


「ユーイン、ここで何を?」

「書類を届けに」

「そう。でもなんで、そんなにエリザベスの近くにいるのかな?」

「婚約者の女性の近くにいるのは、聞くほどのことですか?」

「だって、エリザベスが君に怯えているような顔になっているから」


 指摘をされたユーインはハッとした様子を見せ、それからエリザベスより距離を取った。


「ユーイン、書類は?」

「こちらに」

「ありがとう。机の上に置いてくれるかな?」

「急ぎですので、今、署名をいただきたいのですが」

「わかった」


 シルヴェスターはユーインの脇を通り過ぎ、ぼんやりと佇んでいたエリザベスの肩を抱いて執務机の近くまで誘導する。


「ユーインが何か怖いことを言ったのかな? 可哀想なエリザベス」

「シルヴェスター、ふざけないでくれますか?」

「ああ、悪かったね」


 シルヴェスターは席につき、書類に目を通すと、すぐさま署名をして書類をユーインへと突き返す。


「お待たせしたね」

「いいえ。ありがとうございます」


 差しだされた書類を素早く引き抜き、一歩下がる。

 シルヴェスターの視線はすでにユーインにはなく、俯くエリザベスに注がれていた。

 白い指先を握りしめ、どうしたのかと、優しい声色で聞いている。


 普段のエリザベスであれば、すぐさま振り払っていそうな雰囲気であったが、彼女はされるがままになっていた。

 仲睦まじい様子の兄妹の様子を見て、ユーインはムッとする。


「シルヴェスター」

「ユーイン、まだいたのかい?」

「ええ。お願いがありまして」

「なにかな?」

「はい。よろしければ、夜、三人で食事でも」


 聞きたいことが山ほどあるので、是非とも一緒に食事をと誘うユーイン。

 シルヴェスターは余裕たっぷりの笑顔で返事をする。


「いいよ。なんでも答えよう」

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