第22話エリザベスの未来は

 エリザベスは一週間ぶりに職場復帰をした。

 コンラッド王子はいつもの通りへらへらしながら、話しかけてくる。


「いや~~エリザベスさんいないと仕事が滞ってしまって!」

「殿下、召使いに書類仕事を頼んではいけませんよ」

「そうだった!」


 舌をぺろりとだし、後頭部を掻くコンラッド王子。

 けれど、次の瞬間には真面目な顔になって、エリザベスに問う。


「提案なんだけど、エリザベスさん、文官の採用試験を受けてみない?」

「わたくしが――?」

「そう。誤字脱字の確認も正確だし、計算も早いし、頼んだ仕事もあっという間に片付けてくれる。きっと、優秀な文官になると思う。さすが、シルヴェスター君の妹だ」


 コンラッド王子の思いがけない提案に、エリザベスは瞠目する。

 彼女にしては珍しく、胸がドキドキと高鳴った。

 けれど――


「とても光栄に思います。ですが」


 公爵令嬢エリザベスは数か月後に修道院送りとなる。

 この身代わり生活も長くは続かないのだ。

 仮に試験に合格しても、文官となれるのはひと時だけ。それ以降、姿を消せば周囲にも迷惑がかかる。


 エリザベスは幼い頃からの夢を、達成できそうな目の前で諦めなければならないのだ。


「せっかくのお話ですが、わたくしは結婚をするので」

「結婚をして子どもを産んだあとでも、職場復帰してくれる気があるのなら、大歓迎なんだけどな~」

「わたくしには、定められた役割・・がございますので」

「そっか~。もったいないなあ」


 提案は大変嬉しかったとだけ伝えておく。

 深々と頭をさげていたが、奥歯を噛みしめ、悔しい気持ちに苛まれていた。


 十一時の休憩時間。

 コンラッド王子は嬉しそうに紅茶とジャムサンドを持って、隣の休憩室へと移動する。

 シルヴェスターと二人きりとなり、部屋をでて行こうとすれば、呼び止められた。


「エリザベス、ちょっといいかい」


 エリザベスは目を細め、渋々と言った感じで振り返り、距離を十分取った場所に立った。


「……あの、もうちょっと、近くに寄れない?」

「これ以上は難しいように思われますわ」

「まあ、いいけれど」


 最大警戒をするエリザベスを前に、シルヴェスターは苦笑する。

 この前のことがあったので、不必要に近づかないようにしていたのである。


「それで、なんですの?」

「いや、文官の話、断ってもいいのかなと思って」


 今まで、文官になりたいとか、文官をしていた曾祖叔母そうそしょくぼマリアンナに憧れているとか、田舎の家族以外に話をしたことがなかった。

 なので、シルヴェスターに改めて聞かれる意味がわからないでいる。


「なぜ?」

「いや、だって、書類作業をしている時の君は、とても生き生きしているから」

「!」


 指摘されて、エリザベスは驚く。

 普通にしていたつもりであったが、無意識のうちに感情が外へと漏れていたようだ。

 一気に、頬が熱くなるのを感じる。

 その様子を笑われるかと思っていたが、シルヴェスターは真面目な様子で話しかけてきた。


「本当に文官になりたいのならば、諦めるのは早いと思うよ」

「諦めるも何も、わたくしは公爵令嬢ではございませんもの」

「そうだけど、身代わりが終わってから、エリザベス・マギニスとして、試験を受けてはどうだろうか?」

「そんなこと、許されるわけがありません」

「そうだろうか?」

「ええ、あなたは楽観的過ぎます」


 公爵令嬢エリザベスに似た、田舎貴族の娘エリザベス。

 周囲は混乱するだろう。顔も、性格も、姿形も、エリザベス・オブライエンに似過ぎていると。


「それに、わたくしは牧場の娘です。将来は、経営に関わりたいと思っています」

「なるほどね」


 はっきりと述べられた将来設計を聞いたシルヴェスターは、納得したようでこれ以上文官の道を薦めることはしなかった。


 そんな話をしているうちに休憩時間は終わり、コンラッド王子が執務室へと帰ってくる。

 エリザベスは茶器を手押し車へと載せ、一礼したのちに部屋をでた。


 厨房へと繋がる長い廊下歩きながら、虚ろな目付きで嘆息する。

 自らの夢を、自らの手で閉ざしてしまった。これは間違った選択でないと、確信している。

 エリザベスは自らの役割を、十分に理解していたのだ。


 ◇◇◇


 今日は珍しく、シルヴェスターと帰りが一緒になる。

 エリザベスは不機嫌な顔で馬車へと乗り込んだ。


「君は、いつになったら私に微笑みかけてくれるのか」

「一生ないと思います」

「ひどいな」


 ひどいのはどちらだと、恨みを込めて睨む。

 シルヴェスターはにっこりと笑みを返すばかりで、まったく効果はない。


「……先日のことは、謝るよ。君の逃げ道を封じてしまった」

「悪いと思うのならば、わたくしを故郷に帰してください」

「申し訳ないけれど、それはできない。それ以外のことで望むことがあれば、なんでも叶えよう」


 そこまで言うのならば、とんでもない願いを叶えてもらおうか。

 そんな底意地悪い考えが頭の中を過る。

 けれど、どんなことでもスマートにこなしてしまいそうだと思い、止めることにした。

 もう悔しい思いはしたくないので、仕返しなどはとりあえず忘れて、実用的なことを頼もうと思う。


「でしたら、わたくしに乗馬を教えてくださる?」

「乗馬? いいけれど、どうして?」

「牧場に帰った時、役立つと思ったものですから」


 エリザベスの実家の牧場はひたすら広い。

 家畜の様子を見るとなれば、徒歩ではいささか厳しいものがあるのだ。


「わかった。今度の休みに教えるようにしよう」

「ありがとうございます」


 シルヴェスターの休みは五日後。エリザベスは勤務の日であったが、休日にするように手配をすると言う。


「そんなこと、許されますの?」

「大丈夫。そうでもしないと、休みが合わないし。それに、私がいない時に、コンラッド殿下が君をいいように使いそうで心配だから」

「……ええ、そうですわね」


 シルヴェスターの言葉に、内心ギクリとするエリザベス。

 確かに一度だけ頼み込まれて、重要書類の計算式を代わりに算出したことがあったのだ。

 相変わらず勘が鋭いと、恐ろしく思う。


「乗馬服や馬具は?」

「レントンが準備をしてくれましたわ」

「了解。当日を楽しみにしているよ」

「ええ、わたくしも」


 表面上はにこやかに約束を交わすエリザベスであった。


 ◇◇◇


 ――五日後。

 朝食を終えたエリザベスは乗馬服に着替えた。

 詰襟のシャツに、襟はタイで結ぶ。テールの短い紺の燕尾服を着て、下はぴったりと足にフィットした白いズボン。最後に、厚手の靴下と長靴を履くのだ。

 全身のスタイルがはっきりとわかる服装をみて、顔をしかめるエリザベス。

 今日は、胸部に詰め物をしていない。それも、なんとも言えない気持ちにさせてくれた。


 髪はサイド編みのお団子シニヨンにした。乗馬する時は安全帽を被るので、邪魔にならないような髪型に整えられる。


 集合時間になるまで優雅に紅茶を啜っていれば、侍女よりオーレリアの来訪が知らされる。

 シルヴェスターに乗馬を習うと言えば、彼女も教わりたいと言いだしたのだ。


「ごきげんよう、エリザベス様」

「ええ、ごきげんよう、オーレリア様」


 オーレリアの紅茶も用意され、二人はしばしお茶とお菓子を楽しむ。

 出会いは最悪の二人であったが、案外気が合うこともあって、親しい付き合いをしているのだ。


「わたくし、乗馬は初めてで」

「私も、昔お父様に乗せてもらって以来なのよ」

「大丈夫かしら?」


 そう呟けば、オーレリアは何故かウッと嗚咽を漏らし口元にハンカチを当てる。

 そして、落ち着いたかと思えば、エリザベスの元へと回り込み、そっと手を握ってくれた。


「今日一日、エリザベス様のことは私が守るわ」

「え?」

「シルヴェスター様が鞭でたないように、目を光らせているから」

「ああ……」


 その設定、まだ覚えていたの……とは言えずに、引き攣った顔でお礼を述べるエリザベスであった。

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