第7話公爵令嬢の、優雅な暮らし

 エリザベスは昨晩、食事などほとんど取っていない状態であったが、化粧を落とし、着替えをすると力尽きてしまう。

 使用人を下がらせ、そのまま眠ってしまった。


 シャラリ、という音で目が覚める。使用人がカーテンを開いた音だった。

 外はまだ薄暗い。

 エリザベスの覚醒に使用人が気付き、こうべ を垂れる。


「おはようございます、エリザベスお嬢様。今、お茶をお持ちいたしますね」

「……ええ」


 まだ、はっきりと目覚めていない意識の中、返事をする。

 起き上がったものの、朝に弱い彼女はぼんやりと過ごす。


 数分後、侍女が目覚めの紅茶を持って来た。

 エリザベスは受け取った紅茶を、まじまじと見つめる。


 このように、使用人が寝台へと紅茶を持ってくるのは初めてだったのだ。

 知識として、高貴な身分の者達が『目覚めの一杯アーリーモーニングティー 』を嗜むことは知っていたが、実際に目の前に運ばれたので、今までの暮らしとの違いを実感することになる。


「エリザベスお嬢様、ミルクや砂糖は必要でございますか?」

「いいえ、必要ないわ」


 香りで、ダージリンだとわかる。

 頭もぼんやりしていたので、目覚ましにはちょうどいいと思い、香り高く渋い風味の紅茶を啜った。


「今から身支度を始めますと、若様とご一緒に朝食をいただけますが、いかがなさいますか?」


 寝坊したと思われるのも癪だと思い、侍女に身支度の準備を頼む。

 すると、紅茶をのんびりと味わっている暇などなくなってしまった。


 まず、どのようなドレスがいいか聞かれる。

 叔母、セリーヌに毎朝聞いていた質問を受ける側になるとは思いもしていなかった。

 同時に、エリザベスは額に手を当てる。

 何故かと言えば、質問する侍女が一人や二人ではなかったからだ。


 ドレス係、下着係、化粧係、宝飾品係、髪飾り係、靴係――数名の侍女達が続け様にどのような品を所望するのか聞いてきたのである。


「エリザベスお嬢様、ドレスはいかがなさいますか?」

「あまり、派手じゃない物を」

「エリザベスお嬢様、下着はいかがなさいますか?」

「体の線が綺麗に見える物を」

「エリザベスお嬢様、お化粧は?」

「あまり濃くしないで」

「エリザベスお嬢様、アクセサリーはいかがいたしましょう?」

「ドレスに合う物を」


 いつもセリーヌが言っていたような内容を真似て指示してみた。

 すると、侍女達は静々と会釈をし、準備に取りかかる。


 間違った回答はしなかったようで、エリザベスは安堵の溜息を吐く。


 主人と使用人の間にも、確執は起こる。

 一度、舐められると、仕事に手を抜いたり、私物がなくなったりと大変な事態になるのだ。

 一瞬たりとも隙を見せてはいけない。

 それが、叔母の元で働いた時に学んだことである。

 これは結婚してから役に立つと思っていたが、想定以上に早い段階で役に立った。


 朝食の時間に間に合うよう、身支度は素早く進められた。


 用意されたのは、レースで縁取られた立ち襟のドレス。

 スカートは体の線に沿う形となっており、腰から足元にかけてボリュームのあるフリルやリボンで飾られている。

 ドレスは空色で、それに合わせて耳には真珠の飾りを付けられる。

 着替えが済めば、首元から布を巻いて化粧を始める。

 その間、丁寧に櫛も通された。

 化粧が済めば、髪を結う。

 波打った髪はサイドに編み込み、ピンとリボンで留める。


 身支度は一時間ほどで完了した。


 朝食の準備が整ったというので、食堂へと向かう。


 まだ、シルヴェスターは来ていなかった。

 心の中で、勝利を喜ぶエリザベス。

 執事と話をしながら食堂へとやってきたシルヴェスターは、優雅に紅茶を啜っていたエリザベスを見て、驚いていた。


「おはようございます、お兄様・・・

「おはよう、リズ」


 呆気に取られながら、従僕より新聞紙を受け取る。


「驚いたな。昨日、疲れていただろう?」

「いいえ、あれくらい、なんてことなくってよ」

「それは、それは。心強い妹だ」


 本音は押し隠し、強がりとも言える発言をするエリザベス。

 昨日の疲れはいまだ引きずっていたし、心の奥底では、早く朝食を済ませてのんびりしたいと思っていた。


「家族と朝、食事をするなんて久々だな」

「そうでしたの?」

「父は忙しいし、もう一人のリズはお寝坊さんだったし」


 にこにこと浮かべる笑顔は嘘に見えなかったので、エリザベスは「本当の妹ではないけれど」という発言は控えておいた。


 目の前には、カリカリに焼かれたベーコンとオムレツ、トマトにレタスが載った皿が運ばれる。

 丸い白パンも、皿に盛りつけられた。

 食前の祈りをしたあと、ナイフとフォークを手に取る。

 オムレツにナイフを入れたら、トロリと卵が溢れる。それを一口大に切り分け、口元へと運んだ。


 朝食の美味しさに目を見張っていると、シルヴェスターが話しかけてくる。


「――昨日は、褒められたよ。君のことを」


 とんでもない放蕩娘だという悪評は流れていたものの、実際は品のある美しいお嬢さんだと、シルヴェスターに親しい友人などが口にしたという。


「妹らしさを残しつつ、貴婦人らしい振る舞いができる。それに、堅物で辛口なユーインに屈しない度胸。私は素晴らしい身代わりを見つけたようだ」

「まあ、光栄ですこと」

「このまま公爵令嬢としていて、代わりにいてほしいくらいに」

「冗談ではありませんわ」

「なぜ?」


 真顔で問われ、エリザベスも言葉に詰まる。

 だが、すぐに我に返った。


 朝から優雅な生活を体験したが、これが数ヶ月、数年と続けばうんざりするだろうと。

 それに、貴族社会の腹芸はどうにも苦手に思っていた。


「不自由のない暮らしを約束するし、結婚相手だって、君の望むようないい男を探して来るけれど?」

「結構ですわ。あなたの駒になるなんて、一晩でうんざり」

「なるほど」


 はっきりとした迷いのない返答を聞き、至極愉快だとばかりに笑うシルヴェスター。

 エリザベスは扇を広げて口元を隠し、ジロリと睨みつける。


「私に、そのような熱い視線を向ける女性は、君が初めてだ」

「でしょうね。わたくしのように、恨みがましい目で、あなたを見つめる女性はいないでしょう」

「恨み……そういう意味だったのか。好かれていると思い、勘違いを」

「どうぞ御自由に」


 朝食を終えたシルヴェスターは、新聞を読みつつちょっかいをかける。

 その様子は楽しそうで、エリザベスを静かに逆上させていた。


 散々楽しんだあと、出勤時間だと言って、立ち上がる。


「では、行ってくるよ。帰りは遅いから、待たなくてもいい」

「心配なさらずとも、先に寝ています」

「それを聞いて安心した」


 脇を通り、去りゆくシルヴェスターに一瞥もくれないエリザベス。


「では、行ってくるよ、エリザベス」


 エリザベスの座る椅子の背に両手を置き、顔を覗き込んだかと思えば、頬に口付けをするシルヴェスター。

 ぎょっとして、思わず振り返る。

 が、当の本人は背を向けて、手を振っているところであった。


 家族と挨拶のキスをすることは決して珍しいことではない。

 けれど、それは親しい者同士での話。

 昨日会ったばかりの二人がするべき行為ではない。


 エリザベスは、怒りで震える。


 生意気な態度を取ったので、嫌がらせをしてきたのだと思ったのだ。


「シルヴェスター・オブライエン、許さない、絶対に……」


 エリザベスの呟きを聞いた給仕係が、余りの迫力に食器を地面に落としてしまう。

 幸い、柔らかな絨毯の上で割れることはなかった。

 エリザベスは気にも留めていない。


 けれど、その顔は怒りで歪んでおり、周囲の使用人を恐怖で震えさせるには、十分過ぎるほどの迫力があったのだ。


 ◇◇◇


 朝食後、二度目の着替えを提案される。

 昼用のドレスが何着か用意され、エリザベスは薄紅色のシンプルな意匠デザイン を選んだ。


 身支度を終えたあと、館内を自由に歩き回っていいと言われていたので、物色して回る。

 途中、書斎を見つけて、中にあった本を数冊部屋に持ち帰った。


 侍女が紅茶とお菓子を運んでくる。

 レモンとオレンジの風味を利かせた紅茶を優雅に飲みつつ、本を読み進める。


 窓の外にある木々は、すっかり紅葉していた。

 王都にきて二年。

 エリザベスは季節の移り変わりにも気付かないほど忙しい日々を過ごしていた。

 風に煽られ、はらりと落ちていく紅い葉を美しく思う。


 ここでの生活も、悪いものばかりではない。


 そう考えていた刹那、侍女がやってきて、耳打ちをする。


「おやすみのところ、申し訳ありません。エリザベスお嬢様に会いたいと、アリス・センツベリー侯爵令嬢がいらっしゃっているのですが」

「なんですって?」


 あくまでも優しく、囁くように侍女へと問いかける。


 けれど、腹の中では苛立ちのようなものが渦巻いていた。


 静かな時間を邪魔されたのも嫌だったし、先ふれのない訪問というのは、まったくもって礼儀がなっていない。


 きっと、わざとだろうと決めつける。

 訪問してきたご令嬢は、エリザベスに何か文句でも言いにきたのだろうとも。


 溜息を噛み殺し、代わりに笑顔を侍女へと向けた。


「だったら、身支度をしなくては。このままの姿では、失礼になりますわ」


 侍女を震え上がらせるような悪魔の微笑みを浮かべていたとは、本人は知る由もない。

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