キンモクセイ

「到着しました。お嬢様、お気をつけください」


 そう言いながら私はお嬢様の手を優しく引きます。


「ありがとう、スウェン」


 お嬢様は私に手を引かれて車椅子からゆっくりと立ち、覚束おぼつかなく立ち上がります。


 今日は午前中のうちに来る予定で、予定通り、しかも雨も降らず、春らしい穏やかな気温で、きっとお嬢様も過ごしやすいはずです。


 この心地よい風が吹く高台は、昔からお嬢様のお気に入りの場所です。


「では早速、私の言葉で伝わるかは自信はありませんが」


 そういって私は少しかしこまります。

 私は旦那様の執事用ロボット、SWN4200であり、本来はこのような用途のロボットではありません。

 旦那様が携わる金融のお仕事のサポートが主であり、それ以外のことはあまり知りません。

 日々お嬢様との生活で試行錯誤、というものを繰り返しています。


 ですがお嬢様と過ごす時間は、決して辛いものではありません。

 むしろ、お嬢様と一緒いるこの時間のほうが大切に思えます。


 これが”生きがい”というものでしょうか。


 そして私は今、ここから見える景色の説明を始めようとしています。これもお嬢様のお世話をし始めるまではやったことのなかった試みで、本来私のライブラリにはないものです。

 今日の言葉は、先日、埃の被った書斎から本を見つけて、参考にしました。


 うまくいくでしょうか。


「私がここへお連れしたのは、お嬢様のご病気が治ったら、ぜひもう一度見ていただきたいと考えているからです」

 お嬢様はため息交じりに答えます。

「それは聞いたわ。それまでのお楽しみ、というわけね」

「はい、お楽しみ、です。それでは、想像してください」

 私もお嬢様と同じように目を閉じて一拍おきます。私の仕草はお嬢様には見えませんが、何故か分かってらっしゃる気がします。


「この高台から見下ろす花々はまさに圧巻でございます。白や黄色のキンモクセイの花がまるで天の川のような帯になっておりまして、所々に咲くサルビアの紫やオシロイバナの赤い花が星のようです。それに・・・」


 私が話している間、お嬢様は静かに空を見上げる仕草をして、何かを確かめるように、ゆっくりと大きく呼吸をしていらっしゃいます。

 そして私の説明が一通り終わると、私のほうに笑顔を向けて、感想を言います。


「きっと素晴らしい景色なんでしょうね。でもスウェン、その表現はなんだかスケールが大きすぎてピンとこないわ」


 ・・・どうやら、まだまだのようです。

 そういうと、お嬢様は少し困った顔をして笑いながら、こうお話されました。


「でも少し、花の香りがする気がします・・・あ、そうでした、スウェンもまだわからないのでしたね」


 お嬢様はそういうと、もう一度、大きく息を吸い込みました。


 残念ながら、私の香感センサーは初期不良で壊れています。すぐに旦那様がオーダーして下さいましたが、まだ入荷を待っている状態なのです。


「すみません、お嬢様。業者に頼んではいるのですが、なかなか来ないようでして」

「本当ね。今度連絡が来たとき、私からも文句を言ってあげるわ」

 私は、お嬢様の耳元に顔を近づけて、ささやくようにお答えします。

「もうしばらくお待ちください。もうしばらくすれば私も、お嬢様のおっしゃる花の香りがわかるようになると思います」

 お嬢様はそんな私の仕草を気に入っているようで、クスリと笑って答えます。

「そうね、期待しているわ。私は目を治して、スウェンは鼻を直す。そうしたら、春の花・・・・の香りを教えてあげるわ」


 そう言ってお嬢様は車椅子に座りなおします。それはもう帰る時間の合図。

 私は車椅子をゆっくりと回し、家路に向かうことにします。

 そしてもう一度振り向き、本当は花どころか草木一本も生えていない茶色い荒野を見渡しました。


 2年間に起きた"世界大戦"は、その言葉通りの大惨事でした。

 そして終わってみれば、戦勝国と呼ぶ国すらありません。


 世界人口も激減したようで、私たちのこの地域一帯ですら、正確には何人いるかさえわかりません。時折どこかへ移動する人や、家族のような集団に、こっそり・・・・お話して得られた情報だけです。


 そんな日々を、お嬢様と私は旦那様や奥様のお帰りを待ちながら、過ごしています。

 この高台からみる荒野が本当に緑一面に、花一面になる日も待ちながら。

 その兆しは、少しずつですが、見えています。


 ですから、来年にはきっと。

 もし来年がダメでも、その次にはきっと。


 そして私は、お嬢様から春に咲くキンモクセイの花の香りを教えてもらうのです。

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