03-13

 本来、桜井嘉寿としてはあり得ないことだが、授業に集中出来ないでいる。五月に入り、桜が咲き始めて、ようやく見頃を向かえたばかりだ。空からはぽかぽか陽気が降り注ぎ、多くのクラスメイトたちがそれにやられ舟を漕いでいる。

 今日のコーイチとの約束が気になって仕方ないのだ。最後の一押し。そして、結婚の幸福感。それを嫉妬しながら見て、そして、その喜びを我がものとすることを空想する。というか、すでに結婚の充実感を想像してるだけで軽くトリップしかけている。

「はい、この問題を桜井。前に出て解いてみろ」

 数学教師が、三角関数の微分を求めてきている。問題を聞いていなかったが、黒板を見れば書いてある。勉強のできないやつなら焦るだろうが、嘉寿は全く微塵もうろたえたさまを見せず、心持ちゆっくり前への道程を歩みながら、解答の展望を頭のなかに描く。

 そして、チョークを持ったときにはすでに、教師がなにを学ばせたいのかという出題者の意図すらつかんでいた。

 軽やかにチョークを踊らせ、答えを示すと、教師は「よく勉強しているな」と褒めてくれた。教室の眠気が少し薄れた気がする。

「さすがだよね~。桜井くんは」

 昼休み、男友達の一人が女子の真似をしながら言った。

「なんだよそれ?」

 ちょっと不機嫌な声で嘉寿は言った。

「え。いや。数学の時間の嘉寿を見た女子のセリフ?」

「うらやましいやつめ」

「今更だろ。桜井のモテ具合なんてよ」

「全くだ。見ていて、うらやましくないときがあるものか? いやない!」

 口々に発せられる嘉寿の評価。もし、嘉寿がオタクだと知ったらこいつらはどんな反応をするんだろう。そんなことを考えた。

 たぶん、「まあ、いいんじゃね?」とか言いつつ徐々に距離を取っていくというのがわかりやすいか。自分も同じ状況になったら似たような反応になるだろうし。

「おまえなんか欠点ないの?」

 友達がふざけたつもりで言ったのだろう。

「なんだよ、欠点て。そんなもの探せばいくらでもあるだろう。オレは別に完璧な人間のつもりはないし、なりたいとも思わないね」

「そうそう、実はマザコンだとかさ」

「足がくせえ、とか」

「歌が実は超下手だったり……しねーな」

「なんか、ねえーの。五行と一緒にオタク趣味があるとか」

「ないだろ。この前の話じゃそれが原因でケンカしてたんだろ?」

 一瞬どきりとしたが、あくまで適当に上げてることに過ぎない。いつもの笑顔で、なに馬鹿なこと言ってんのよってのりで行けばいい。

「家に帰ると、でっかいテディベアに抱きついてたりとか」

 ほら笑っていれば、角も立たずに流れていく。……るみなの抱き枕に抱きつくことはあるけどな。

 結局オタクであることはばれなかった。完璧のような優等生で、みんなの憧れの的、桜井嘉寿が、これから日本人をもっとも驚愕させ落胆させたにじこんを行おうなどということは誰も気付きもしないし発想すらないだろう。

 そんな完璧な仮面をかぶって、今日も学校が終わる。

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