第8話 彼が噂の激甚指定かね?

 丑三つヶ森公園は、林の合間に遊歩道が敷かれ、池にはスワンのボートが浮かぶ、この辺りでは中規模の公園だった。その一部は運動場やテニスコートになっており、クラブハウスに併設して噴水付きの水場やバーベキュー広場まである。

 そんなところなので、夕暮れ時でも人は少なくない。もう少し暮れると遊歩道の街頭だけが灯る侘しさだが、まだ薄明りの残る今は、犬の散歩、ジョギング中のランナー、帰りたくない子どもたちと、それなりに人が残っていた。


 その隅に、なぜか人の立ち入らない一画があった。

 とくに避ける理由があるわけではない。誰も彼も何となく近づく気にならないだけなのだが、それを疑問に思う様子もなく、ごく自然にそうなっているらしい。

 よく見ると地面に紐をより合わせた縄が敷かれて、その無人地帯を囲っているようだった。


「やった! とうとう内霊管ウチが一番乗りね!」


 駐車場に車を停めたサトミは迷うことなく、足早に無人地帯へと踏み込んでいった。


「?」


 恐怖のドライブにげんなりしながら、後ろからついていったタダヒトは思わず目をこすった。サトミが地面の縄をまたいだ途端、なぜか急に見えにくくなったのだ。

 よく見れば確かにそこにいる。ただ、そこにいると知っているから見えるのであって、知らなければ気づきもしないような、気を抜けば見失ってしまいそうな──そんなはずはない、と自分に言い聞かせてみても、感覚的な違和感が拭えない。

 サトミが振り向き、手招いた。


「大丈夫。入ってきて」


 おそるおそる縄をまたいだタダヒトは、その瞬間、一変した視界に腰を抜かすところだった。


「便利でしょ」


 無人に見えたその一帯には、数十人がひしめくようにして動いていた。縄に沿って周囲を監視する者、カメラのフラッシュを焚いている者、マスクをして粉つきの刷毛を振っている者、ピンセットで何か拾い上げてはビニール袋に入れている者──。


 数人が地面に描かれた白い輪を囲み、何やら話し込んでいた。その背でよく見えないが、輪の中にあるのは──女子高生の制服だろうか?

 いずれにしても、つい先ほどまでは見えなかったものばかりだ。


「な、なんで?」

「気づいたと思うけど、さっきまたいだ縄のせいね。注連縄しめなわの応用みたいなもんなんだけど、ものすごくざっくり言うと、縄の内側に結界を張って外側にいる人の注意をそらしてるわけ」


 サトミは周囲を見まわした。誰かを探しているらしい。


「まあ誰にでもできるってわけじゃなくてね、随神かんながらの道に詳しい人のなかでも相当の高位能力者じゃないと、なかなかこうは──あ、いたいた」


 随神とは日本古来の神のことで、その道とは神道をさす。その道の高位とは神主だろうか──ともあれ、サトミはその人物に近づいていった。 


「ミチザネさん、お疲れ様です」

「お疲れさん」


 白い輪の傍らにしゃがんでいた少女──ひょっとすると幼女──が立ち上がった。


「? ? ?」


 背の低い成人女性ではないかと、タダヒトは何度か目をこすった。だがそこにいるのは、あどけない顔をして、こちらを見上げている少女だった。

 少女は手袋を外しながら立ちあがった。


「ふむ──彼が噂の《激甚》指定かね」

「ええ。でも、いい子ですよ」

「驚くべきことだ」

「私もそう思います」


 サトミは振りかえって、


「タダヒト君、こちら二課のミチザネさん」

「加茂タダヒト君だね。ミチザネと呼んでほしい。まだ戸惑っていることとは思うが、できる限り力になりたく思う」

「あ──ええと」


 さしあたっては今、戸惑っているのは君のことなんだけど。という言葉をどうにか呑み込んで、


「よ、よろしくお願いします。加茂タダヒトです」


 差し出された手は小さくて柔らかかくて、やはりどう考えても子供だ。しかしサトミも周囲で働いている大人も、とくにそれを気にする様子もなく、何より本人が完全に対等──か、むしろ目上であるかのように振るまっていた。


「さて。拝見、拝見」


 サトミは地面の白い輪を覗きこんだ。そこにあるのは、やはり学生服──女子が着る夏服のブラウスだった。そぐそばにスカート、靴下、靴もあり、同じように白い輪で囲まれている。

 どこの学校か思い出せないが、タダヒトも見たことがあるような気がした。


「この前の事件と同じですか?」

「うむ、これまでとまったく同じだ。昨夜から連絡のとれない霊対士の着衣だよ。詳細は鑑識を待つしかないが、制服は消息を絶った少女が通っていた学校と一致する」

「名前は判明してますか?」

「伊吹まい、十七歳。神祇院退魔局に所属している」

「今度のターゲットは神祇院ですか」

「うむ。公特調、文霊研、法務院ときて、今度は神祇院だ」

「──下着は?」

「下着は発見されていない。それも以前と同じだ」

「うーむ」


 サトミは腕組みをして考え込んだ。


「わざとそうした──って考えていいんでしょうか」

「結論をだす前に、より多くの情報を集めたい。協力してもらえるだろうか」

「もちろんです。犬塚、来て」

「は」


 と、声がした時には、もう傍らに男が跪いていた。先ほど、神社でハルカを送っていった二人とはまた別の、体型のがっしりとした男だった。


「お願い。一応、手袋はしてね」


 犬塚と呼ばれた男は手袋をはめ、注意深くスカートを拾い上げると、注意深く鼻先にもっていった。すん、すんと微かに嗅ぐ音がした。犬塚は勿論、サトミやミチザネも緊張した面持ちで見守っていたが、タダヒトは内心、


(うわあ──)


 女子学生の制服を嗅ぐ男。あまりいい絵面ではないのは確かだった。

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