8 語りえぬ者沈黙すべし

8 - 1 箝口

 薄暗い部屋。


 壁に据え付けられた、ボタンのように小さなランプが瞬く。

 食事の到着を告げているのだろう、ただちかちか青白く明滅する。

 扉越しに差し入れられる一人分の食事。

 従者型ゴーレムが命令に従い、ただ規則的に運んでくる。

 私はそれを食べ、ときどき備え付けのシャワーで体を洗い、そして寝る。


 ここは『大隊』の地下本拠地にある一室。


 おそらくは避難所のようなものだろう。

 生活に必要な設備が一式据え付けられており、食事や衣服を工面してもらえれば、外に出ずとも生活できる。

 私はその部屋に閉じこもり、一人、深く深く沈みこむ。


 初めのうちは、ナーナやカレル、ガル博士が気づかってくれた。

 しかし、その気づかいが私を苦しめると理解したのか、今は優しく無視してくれている。


 今、私が目覚めるのは夢の中だけ。

 金色の夢の中、それが最悪の結末しか見せないことを知りながら、追憶に浸るためただ眠る。

 夢の中の物言わぬ兄は、彼だけは、決して私を裏切らない。

 沈黙の中には、望む答えがあるのだから。


 食事を受け取ったまま、立ち尽くす私。

 席に着き、せめて一口食べようと思ったが、その気力もない。


 私のいくらかを構成する土にとって、それは自傷に等しい行為。

 自身の体すら私を裏切り、否定する。


 けれど一つだけ、私を肯定する器官がある。

 それはこの口。

 語ることをやめた虚ろな空洞は、その虚ろさゆえに亡き兄を連想させる。

 そして、夢におぼれる私を責め立てない。


 兄は私の口を、蕾のように可愛らしいと言ってくれた。

 ならば、私は蕾のままこうしていたい。

 私は手に取った食器を置き、椅子の上で茫漠と時を過ごす。


 言葉の無い密室。

 一人置き去りにされた私にはちょうどいい。


 その優しい沈黙を破るかのように、壁の小さなランプが再び灯った。

 特定のパターンで、ランプは規則正しく瞬く。


 これは確か、食事が到着した時の瞬き方だ。先ほど見せた光と同じ。

 しかし今、食事は私の手元にある。もう受け取った後だというのに、なぜランプは瞬き続けるのだろう。


 胡乱な瞳で見詰める私。

 そのランプを眺めているうちに、おなかが小さな音をたてた。

 かろうじて空腹を実感する。

 ほんの一口、パンをかじる。


 今はうまく自覚できないが、きっと想像以上におなかがすいていたのだろう。

 気がついたら、パンを一切れ食べ終えていた。

 それを見届け、ランプは沈黙した。



   …



 目覚めると、またランプが瞬いていた。

 青白い光が目を刺す。

 眠気と僅かな不快感から唸り声をあげようとしたが、私の口は沈黙したまま。


 毛布に顔をうずめ、横目でランプを盗み見る。

 この瞬きは、たしか服を表すパターン。

 従者型ゴーレムが服を差し入れる時、ランプはこんな光り方をした。


 しかし、服の替えは寝る前に受け取っている。

 また新しい服を持ってきたのだろうか。

 ランプの瞬きを無視したまま、私はごろりと寝返りを打つ。


 薄い胸と痩せた肩を撫でる毛布。

 そいうえば、体を洗った後何も身につけずベッドに倒れ込んだのだった。

 自分が裸であることを自覚すると、少し寒いと感じた。

 毛布にくるまったまま、せめて下着だけでも身に着ける。


 すると、ランプの瞬きが止んだ。


 青白い光は消え、束の間部屋を沈黙が満たす。

 しばらくすると、ランプは別のパターンで瞬いた。


 これは初めて見る。

 同時に、どこからか温かな空気が流れ込んできた。

 先ほどの瞬きは、この暖房を表しているのだろうか。


 地下に穿たれたこの部屋は、どんな人間でも生存できるよう、最適な環境を保ち続ける。

 たとえ、その部屋の主に生きる意志が無くても。

 いやそもそも、人でなかったとしても。


”あなたが温度を上げてくれたの?”


 私は手帳にそう書いた。

「あなた」が何を意味するのか、分かりもしないまま。


 その一文を読み取ったのだろうか。

 ランプは短く瞬いた後、沈黙した。



   …



 それから幾度も、ランプは私に語りかけてきた。

 差し入れられる食べ物や服、私の動作に連動して、ランプは瞬く。

 たいして意識もしていないのに、私はその明滅のパターンを覚えてしまった。


 今も、ランプがなにやら瞬いている。

 一つ目のパターンは「体」を意味している。二つ目はたしか「味」。


 どういう意味だろう。

 私はしばし戸惑う。


 「体」は私の体を指しているのだろう。

 けれど「味」の意図とは。

 いや、そもそもこの瞬きは「味」を意味しているのだろうか。


 このパターンが使われた状況を思い出す。


 それは確か食事の後だった。繰り返される明滅に、私はとりあえず”おいしい”と答えたのだ。

 それが正しい返答だったのか分からない。

 ただ、その後ランプが黙り込んだので、正しい返答ができたと思っていた。


 それゆえ、私はそのパターンが「味」を示すと理解した。


 しかし私の体に対して用いるのなら、別の意味があるのだろう。

 味に限定せず、物事の善し悪し、調子や具合を尋ねる符丁なのかもしれない。


 私はその仮説を紙とペンで問いかけた。

 肯定の明滅。

 再び二種類のパターンが繰り返された。返答を手帳に書きつける。


”そんなに私の体が気になる?”


 人でもゴーレムでもない、この体が。

 ランプは戸惑うかのように黙り込んだ後、見覚えのある符丁を返した。

 そして、再び沈黙した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る