だから待ち合わせが好きなんです

理科教室からけーすけが走り去るのを、おれとなおやは止めることもできず眺めることしかできなかった。

普段面倒くさそうに動くけーすけがあそこまで機敏に走り去るとは、余程あの子のことが嫌だったのだろう。

にしてもねえ。

「啓介、なにがそんなに嫌なんだろうね?」

「さあ? さっきけーすけが言ってたみたいに祥子先輩の付属品みたいに言われたことが、かな」

「あの」

「でもその前から完全に無視してたしなあ」

「あの……」

「「ん?」」

女の子の声がして直哉と二人でそっちをむくと、先ほどけーすけに泣かされた女の子が困ったような顔で立っていた。

うーん、パッと見普通の子だし、どっちかといえばかわいいし、けーすけはなにが嫌なのやら。

「あの、新崎君と降田君だよね?」

「そうです。あらさきすなおです」

「降田直哉です。えっと、どこかで会ったことあったっけ?」

どうやらこの子はおれらのことも知っているらしい。

でも直哉も言うとおり、おれらこの子のこと知らないんだよな。

他人の顔と名前を覚えるのは苦手だけど、全く忘れちゃうほどでもないはずだし。

「わたし嘉木真下(かぎさなか)といいます。隣のクラスの1組。

それで、その、笹井君はわたしのこと嫌いなのかな」

かぎさんは困ったような、悲しいような顔でうつむいている。

若干目が潤んでいるのは先ほどのことを思い出してのことだろうか。

「たぶんけーすけはかぎさんのこと好きでも嫌いでもないと思うよ。

ていうか興味ないと思うよ」

「寿直、ストレートに言い過ぎだから」

「ここで取り繕ったってしょうがないじゃん。

あのねかぎさん。けーすけのこと『笹井先輩の弟』って言ったでしょ。あれ、けーすけがすごい嫌がることなの。

だってさ、先輩の弟ってことはけーすけの人格完全に無視してるよね。

先輩あって、その付属品としてのけーすけってことでしょ。ひとりの人として認めてないじゃん。

すげー失礼だと思わない?」

「え、あ、わ、わたし、そんなつもりじゃ」

かぎさんはまた困ったような顔をする。

あーいけない。けーすけみたいなきつい言い方しちゃったかな。

でもおれの口は止まらなかった。

「それにさ、おれらとも知り合いでもなんでもないよね。

なのにいきなりけーすけどうこう言ってくるのって不仕付けじゃない?」

「寿直」

「なに」

「言い過ぎ。嘉木さんが感じ悪かったのは確かだけど、だったら無視すればいい。

それこそ啓介みたいにさ。ダメだよ、女の子をいじめちゃ」

そう言って直哉は嘉木さんに向き直ると満面の笑みで口を開いた。

「そういうわけで俺らは君のこと気に入らないから、啓介についてなにも教えない。

今後啓介にも寿直にも俺にも話しかけてこないでね。

さ、次の授業始まっちゃうから教室に戻ろう」

直哉は教科書とノートを持って理科教室を出ていく。

おれも慌ててその後を追った。


放課後、一人で教室で宿題をしていると誰かが入ってきた。

顔を上げるとその誰かはおれを見てため息をつく。

「いいんちょう酷いなー。そんな顔しなくてもいいじゃない?」

「寄ってたかって隣のクラスの女の子いじめる男に言われたくない」

いいんちょうことすずりけいか。漢字は硯桂花だったっけ。

うちのクラスの学級委員長をやっているのでいいんちょう。そう呼ぶのはおれくらいだけど。

「いいんちょう、かぎさんのこと知ってるの?」

「1年の時同じクラスだった」

「仲いいの?」

「よくない」

「でもかばうんだ」

「誰かにいじわるくする男が、次は自分にいじわるくする可能性ってどれくらいだと思う?」

そんなに警戒しなくていいのに。

おれはいいんちょうのこと知ってるし、嫌な子じゃないことも失礼な人じゃないことも知っている。

だからあんな風に拒絶する気なんてさらさらない。

いいんちょうにそんな風に警戒されるのは心外なので話を逸らす。

「かぎさんて、わりと迂闊な子?」

「どうだろう。そこまで知らないなあ。まあ、聞いてた限りどっちもどっちっぽかったけど」

「そうだね。初対面の女の子にあんなきついこと言ったおれらも悪かったし、初対面の男の子が嫌がるようなこと言って被害者面するかぎさんも悪かったと思うよ」

いいんちょうの目が鋭くなる。

なんかまずいこと言ったかも。

「初対面なんだからさ、相手がなにを嫌がるかどうかなんてわからないでしょう」

「初対面なんだからさ、相手の様子に気を遣うでしょ」

「屁理屈」

「そっちもね」

いいんちょうはため息をついておれの正面の席に座った。

鞄から教科書やらノートやらを取り出してパラパラ捲る。

「寿直君、宿題どこまでやった?」

「ほとんど終わった」

「写させて」

「高いよ」

いいんちょうの眉がぴくっと動く。

そんなに気にすることじゃない。だってもうきみは支払いを終えている。

「明日の宿題の範囲を教えてくれればいい」

「どういうこと?」

「知ってるでしょ。おれは授業なんてほとんど聞いてないからさ。だからなにが宿題になったか、授業が終わったら教えて」

「安くない?」

「そうでもない」

それがおれにとっては結構高値になることをいいんちょうはまだ知らないようだ。

おれね、待ち合わせって好きなんだ。

幸せは歩いてこないっていうけど、待ち合わせ場所で立ってたら歩いてくるでしょ。

そういうこと。

きっといいんちょうにはわからないだろうけど。

「宿題の範囲と宿題の答えの交換ってさ、等価かな」

「おれにとってはそれだけじゃないからいいんだよ」

ふうん、と言っていいんちょうは答えを写し始める。

そういう放課後の過ごし方っていいよね。

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