その2 モンスター

「タメエモンはシヤモから来たんだね」

「南方シヤモ国傘下のタンニという小国だ。そこの親方おうさまに世話になっておった」


 木綿で織られた簡素な衣に帯を締め、肩まで伸ばした長髪を括って髷に結い。タメエモンは身支度を整えながら、少年たちに自分のことを話して聞かせた。


「どうして旅してんの?」

「うむ。『相撲』をとる為、だ」

「スモ、って?」


 首をかしげるナモミに小さな眼を細めて返し、タメエモンはやおら立ち上がった。

 たき火の傍らに“建っている”柱に、大きな手を添える。柱はタメエモンの持ち物であり、傍らには他の荷物が寄せて置いてある。


 それは、柱としか呼びようのない巨大な金属の棒だ。

 立派な家屋の大黒柱並みの円柱は、全体が鋳鉄のような“何か”で出来ている。表面に時折うっすらと浮かび上がる蛍光色の紋様が、これが単なる鉄の塊ではないことを示唆していた。


「相撲、だ。そうだなあ、ワシも一口ではうまく説明できん……見せた方が早いな」


 タメエモンが金属柱に両手を添え、グイと体重をかける。大地に無造作に突き立てられただけの円柱は、巨漢が体重をかけてもびくともしない。まるで強固な土台の上に建てられたかのようだ。


 柱の感触を確認したタメエモン。片方の掌を胸の高さで金属柱に打ちつけた。乾いた快音が青空に響く。

 続けざまにもう一方の掌を打つ。両の手が円環を描き、何度も何度も金属柱を打ち据える。

 完成された規則的な動きは、両腕だけでなく両脚の捌きあってこそだ。強靭な四肢が生み出すシンプルかつ力強い動きに、少年たちはまたしても目を奪われた。


 奪われたのは目だけでなく、耳もだ。空気を伝わる振動に、柱を通して大地から伝わる振動が体の内外をビリビリと揺さぶってくる。


 しばしの間、言葉を忘れ。間近に座して見物する少年たちは、タメエモンの『相撲』なるものを、小さな全身で感じていた。



「とまあ、こういうのをやっておるんだ」

 テッポウの披露を終えたタメエモンが二人に向きなおると、二人から拍手が贈られた。


「すげえ!」

「うん、うん、すげえよ!シヤモって皆こんなことやってんの?」

「いや、相撲をやるのも知っておるのもワシだけだったよ。だから、旅だ。行く先々で出会った人々と相撲をとる。この世の強い連中と残らず相撲をとって、天下の横綱になるんだ」

「ヨコヅナって?」

「相撲取り――力士リキシの目指す頂点てっぺんだ」

「すげえ!」


 素直なナモミが手放しでタメエモンを称賛する。トハギもこの時ばかりは、タメエモンなるこの男は本当にこの世で一番の力士なんじゃないかと思った。

 何故を問うなら、答えは一つ。大きくて力の強い者への無条件な憧れは、健全男子おとこのこ本能しくみであるからに他ならない。


「立ち寄れる人里には一つでも多く立ち寄りたいのだ。改めて、頼まれてくれんか。ナモミ、トハギ」

「ボクは最初からいいよって言ってたもんね。トハギ、タメエモンはもう知ってる人だからいいよね?」

「お……おう!そうだよな。知ってる人なら大丈夫だよ、きっと!タメエモン、村まで案内するよ」

「かたじけない。そうと決まれば、手土産のひとつも準備しなくてはな」


 掌で帯をばん、とひと張り。気合十分の巨漢の声が木々によく通る。


「ひと狩りするか!」



 村への手土産に森の獣を狩っていくと言い出したタメエモン。少年たちを伴って、しばし茂みの中を行く。


「お、あそこに居るやつがちょうど良いな」


 首尾よく見つけたのは、巨大な熊だ。立ち上がればタメエモンより頭三つは超すであろう。

 とんでもなく巨大な獣にたじろぐ少年たち。だがこの男ならば大きな熊さえ仕留められるかもしれない――そう思い“獲物”の観察を始めた三人は三様に驚きを得ることになる。


「ありゃあ奇ッ怪な熊だのう」


 二重に重なった顎に手をやり感心するタメエモンの後ろで、少年二人は慄いた。

 タメエモンが目を付けた大熊は、上半身は獣毛に覆われた熊であったが、下半身はごつごつとした鱗をまとい、大蛇のような尾を引きずっていたのである。


「すげえ……あれ、熊蜥蜴ファラミーヌだよ!」

「タメエモン、あいつはやばいよ!動物じゃない、魔者マーラだ!」


 魔者マーラ。茂みの向こうを闊歩する熊蜥蜴ファラミーヌなる奇怪な獣を目の当たりにした少年、特にトハギが慌ててタメエモンを制止する。


 魔者マーラとは、いつからかクァズーレに現れた怪物異類モンスターの総称である。人間をはじめとした通常の生物には持ちえない能力、性質を持つ者たちだ。

 この世にとっての異物である彼らだが、今や世界全域に分布するに至り少なくとも人間たちはその存在を日常にある怪異として受け入れている。


 受け入れているとはいえ、怪異は怪威。通常、人間には太刀打ちできぬ存在であった。


「早く離れなきゃ。昔、熊蜥蜴ファラミーヌと鉢合わせた猟師が食われちまった、って爺ちゃんから聞いたことあるんだ!」

「ほう、そんなに強い魔者マーラがこの辺には居るのか。危ないな」

「たくさんは居ないよ。ボクもナモミも初めて見たし」

「話してる場合じゃないって!気付かれないうちに逃げようぜ!」


 ひそめた声に焦りの色を乗せてうったえるトハギ。だがタメエモンは彼らの話を聞いてもなお、熊蜥蜴ファラミーヌを狩人の目で見やっていた。


「ボウズどもは危ないから近づくなよ」


 身を隠していた茂みを抜け、タメエモンは視線を投げていた先へとゆっくり歩き出した。

 その手には弓――などない。剣もない。先刻張り手を打ち据えた金属の棒――も持っていない。


 巨漢に得物なし。徒手空拳なり。


「タメエモン、武器は?」

「ない」

「どうすんの?」

「相撲でいく」

「すげえ!」

「いやマジやばいって!要するに素手じゃん!?」


 少年たちの心配をよそに、ずんずん前へ出たタメエモン。歩を進めつつ諸肌を脱ぎ、上体の肉鎧が露わになる。

 身を隠す努力を一切しない大男の姿に、鋭敏な感覚を備えた魔者マーラ熊蜥蜴ファラミーヌも感づいた。


 次に、タメエモンは熊蜥蜴ファラミーヌに目を合わせた。


 野生の生物にとって、目を合わせるという行為は闘争開始の合図を意味することが多い。はたして、森に棲む魔獣にもそのルールは適用される。


「ゴォォォ!」


 上体の熊が吠え、オオトカゲの脚で大地を踏みしめ立ち上がる。

 右の前肢が振り上げられ、鋭い爪がタメエモンを襲う。


「どすこい!」


 巨漢突進。白い肉に爪が到達するより速く、魔獣の懐へ飛び込み横面に張り手を一撃。

 突進の脚力と200キロに及ぶ体重をのせた掌底は、熊蜥蜴ファラミーヌの脳髄を強かに揺さぶりその巨体を大きくふらつかせた。


 熊の懐にぴたりと張り付きタメエモン、両の張り手を連続で見舞う。

 重い衝撃が連続で熊蜥蜴ファラミーヌに着弾。小さな脳味噌は激しく揺れ続け、魔獣の動作を混乱せしめた。


「グォ!」


 獣ひと吠え。出会いがしらの連打に生じた間隙に、熊の上体を屈ませて四足歩行の体勢をとる。

 続けざま、本能的な動きで素早く後方へ身をひるがえす。巨漢は己が勝てぬ相手と見たか。


「グォォォォ!」


 そうではない。反撃だ。身をひるがえす勢いを利用した熊蜥蜴ファラミーヌは硬い鱗をまとった長大な尾を横薙ぎに叩き付けてきた。


「どぅおお!!」


 尾はタメエモンの脇腹に命中。バチンという音がして、巨漢の肉が波を打つ。

 攻防を見守っていた少年たちが「あっ!」と声を漏らしたとき、既に形勢は決していた。


「ようし、捕まえたぞ!」


 脇腹に尾を打ち付けられた力士は、自らを狙った凶器を脇に抱いていた。

 身体ごと尾をよじらせ巨漢からの離脱を試みる熊蜥蜴ファラミーヌだが、万力のごとく締め付けるタメエモンの膂力がそれを許さない。


「どりゃああああ!」


 魔者マーラの尾掴んだタメエモン。全身を竜巻のごとく回転させ獣の巨体をぶん回し、手近にあった大木へ熊の脳天打ち突けた。

 メキメキ倒れる巨木を道連れに、魔者マーラ熊蜥蜴ファラミーヌは割れた頭蓋の裂け目から脳漿をはみ出させ絶命した。


「すげえ!力すげえ!」


 丹田に残った力息いきを吐き出すタメエモンに、ナモミ少年は興奮気味に駆け寄る。

 彼の無邪気な視線を受け、力士は泰然とした声音を返した。


「力だけじゃないぞ。技も使わねばこういう“こと”はできんのだ」

「技も?」


「そうだ。力と技だ。これが、ワシの相撲だ」

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