ツァイトの鎮命歌

雪城藍良

序章

序章―Ⅰ 異変

 田舎の山のふもとに、一件の屋敷が建っていた。

松の木が似合う、主に和風の造りの古い屋敷。

そんな屋敷に住む、一人の少女のとある朝。

「ノア様、お時間ですよ」

呼びかけた声の主は、人の形をしてはいるが、目元にうす緑色のうろこが浮き出ていて、金目の瞳孔は細く縦に伸びている。

「はぁい、ん?ねえ、誰もいないけど行っていいの?」

ノアと呼ばれた少女は黒髪、黒目が特徴。ノアは急いで紅茶を飲み干し、勢いでむせてしまった。

「大丈夫でございますかっ!?」

「……っ……いってきます!」

支度してあった鞄をつかみ、屋敷を飛び出す。

家の者には行先は教えていない。しばらく走り、見慣れた獣道へと進んでいった。

(そもそも道じゃないからね)

この先には森が開けて、いつもちょうどいい温度が保たれている。

いつでも心地がいい。人が入れるつくりになっていないから静かで、私にとって落ち着ける場所。左にずっと進むと父たちが眠る墓がある。

「密来ているかなあ……」

いつもここで会う友人の姿を探し、あたりを見回していた。

そんなことを呟いていると、

「っ……!?」

(なにこれ……!?頭が割れそうっ……心臓が、熱い……‼)

突然のことだった。何が何だかわからなくて、ただただ痛みから逃れたい一心で。

――何か扉のようなものが音を立てて開いた。


 ここはどこだろう。右も左もわからない。上も下も。

「死……んだ……?」

光が入ってくる。

いや、瞼を閉じていただけらしい。

目を開く。でも、そこは違和感ばかりある場所だった。

すでに午前9時は過ぎていたはずだが、暗い。何より妖の気配がとてつもなく濃い。

 キキィーッ‼

ネズミの鳴き声が聞こえる。それも一匹や二匹ではない。

(千……二千……妖か)

窮鼠――その名の通り追い詰められ、妖化したネズミたちが寄せ集まった集団――

数秒後、一気にネズミの大群がこちらに――私を食らいに――来た。

耳障りな雑音と死か聞こえない鳴き声と足音。

「――散れ」

右手で空気をなぞるようにスライドさせると、突風がおこり、そのままネズミはなす術なく飛ばされていった。

(しかしながら、何でこんなボロボロなの?)

服はところどころやぶれ、泥がついて汚れている。

恐らく重症を負っていたのだろう。

無傷に見えるが、治すためにごっそり体力が削られているのでこれは確かなことだ。

「――いやぁ、言霊も呪文もなしにそこまでとはなぁ。おどろいた」

私ははっとして顔を上げた。この声は――

「父……さん?」

数年ぶりに見た、父の姿。

その周りには、見慣れた顔ぶれがそろっていた。そう、今私と暮らしている父が屋敷へ遺していった妖たち……

「皆……!何でここに?」

(私の行き先は誰にも教えていないし、お父さんなんてすでに死んでいるはずだった)

わからない、いくら考えても。そのうち底冷えするようなぞくりとする感じ、それは自身が今感じている“恐怖”であるとわかるには、十秒ほどかかったのではないかと思う。

「お前……何者だ?」

父が発した言葉は、私を“畏れ”させるには十分なものだった。

「は?何言ってんの?父さん……ねえ、皆‼」

皆顔をしかめて男たちを見わたす。

おたがいに顔を見合わせ、やがて悲しげな顔で私に視線を向ける。

この“目”は哀れむ色をしていた。

「迷子かい?可哀想だねェ」

芸妓さんのような身なりの、いつもきれいな舞を見せてくれた彼女も。

「この森は危険だぜ、妖に食われるかも知れねーぞ」

外に遊びに行ったときいつもアスファルトの上で干からびていた河童も。

本当に、誰も私を覚えてないの?

驚きと、ショックが重なって頭の中でぐるぐるまわる。

そのうちふっと意識がはっきりし、頭の中が冴えてくる。

(……何だかイライラしてきたわ……)

冗談じゃない。忘れたなんて、サプライズにも冗談が過ぎる。

でもこれは冗談じゃないことくらいわかっていてもそう思いたかった。

何か言ってやろうと口を開く。しかし、声が彼らに届くことはなかった。

それは――

「あの――――!」

「グアウァ――――ッ!」

空から降る獣のような唸り声にかき消されたからだ。

頭上数百メートル先には、見たこともない妖がこちらに向かって降下してくる。

地面ぎりぎりのところで翼を一振りし、着地した。

驚いたのは、その巨体だ。

170cmくらいの高さ、ベースは多分フクロウ。真っ白だから……シロフクロウ、とか?

しかし顔面だけ狼、目は充血し、気持ち悪い。

体長72cm、体重4kg、この体格で13kgのシカを捕えた記録をもち、巣の近くを通った人間の頭蓋骨を陥没させたデータもある。

これが一般のフクロウの大きさだとして、目の前の頭が狼のフクロウはどうだろう?

体長170cmははるかに上回る。質量は単純計算で倍以上はあるだろう。

……おわかりいただけたであろうか?

導きだせる答えは一つだけ。

こいつは化け物だ。妖からしても、だ。

「お前が最近、昼間山に入った妖やら人やらを食い散らしているってやつかい?」

父はさして驚いた様子もなく変な……狼面鳥?に話しかけていた。

(ああいう化け物は一発で仕留めたほうがいいわよね)

狼面鳥が父を食らおうと口を開けたとき、ノアは呪文を唱えた。

「荒れ狂う風にひれ伏せ!舞い 空を駆け 音もなく切り刻め!」

風が舞い上がり、一秒を数える間もなく狼面鳥はブロック状になる。

けれど甘かったのか、狼面鳥は最期にありったけの妖力を私にぶつけてきた。

不覚を取られた私はよけることも防御する力もなく、見事に正面から当たった。

普段体重計に乗っては悲鳴を上げていた。そんな日常からはありえないほど軽々と風に飛ばされた紙のように自分の身体が浮き上がった。

(う……防ぐ力が私に残らないことを、わかっていたのかしら……あの妖め……)

そんなことを宙に飛ばされながら考えていた。

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