第2話

 私は高校は女子校に通っていた。その後女子大を卒業後、この会社に就職した。学生時代の女子校時代も女子大時代も男性と付き合ったことがなかった。付き合うどころか、言葉を交わす機会さえなかった。

たんなる憧れだったなのか、本当に好きだったのか、わからないままだけど、中学三年間ひそかに想い続けた男子はいたものの、それだって片想い止まりで終わってしまった。

 実は、男性と話をするのも仕事の上ならできるけど、仕事が終われば男の人と面と向かって普通の話なんてできない。上がってしまって、きっと顔も真っ赤になってしまうだろう。もう二十九にもなるのにこんなザマである。


 この部署に配属されたのは、二十五歳の時だった。

 まだ若いって言われるギリギリの年齢だった。そこに独身の上野さん。絶好の機会だった。の・に………。


 配属になって少ししてから、私の歓迎会で部長を含めて飲みに行くことになったんだけど、部長は一次会で姿を消した。理由は簡単。最初の一次会は当然割り勘となる。あ、歓迎される私は抜きで。その後の二次会は部長職の人間がまあ、みんなの分とまではいかなくても、多少多めに出したりするもんなんだよね。普通。そう、部長はそれから逃げるために、何だかんだと理由をつけてさっさと帰ってしまった。私は歓迎されてないらしい。と、思っていたけれど誰の時にも部長は消えるのでどうやら毎度のことらしい。

 と、そんな中あの部長もいないんで、羽を広々と伸ばしだしたのが上野さんだった。私の第一印象は脆くも崩れ去った。上野さん……こう一人で淡々と強めのお酒をゆっくり飲んでいて欲しかったよ。それが若手と一緒に大盛り上がり。た、楽しいけどさ。どうなのこれって?


 この年になると女子大時代の友達も女子校時代の友達もみな、続々と結婚していく。結婚式に呼ばれる度にこれがチャンスなんだ! と、新郎の友達にかける私の思いはだいたい二次会で消えてなくなる。な、なにこの人たちは? 酒瓶片手にはしゃぎまくり、新婦も苦笑い。さらに三次会になると、そこはもうセクハラ地獄だった。以来三次会には顔を出すのはやめたし、結婚式には純粋にお祝い目的に行くことにした。


 そんな中での上野さんだった。さすがにセクハラまがいはなかったものの、酒に乱れる姿は見たくなかった。がっかりしてすっかり想いも冷めてしまった。


 その日以来これという男性すら現れなくなり、さらには新人ばかりが入ってくる。つまり、みんなほとんど年下君になってしまった。学生気分の抜けない新人君に心ときめくわけもなく、私は二十九という三十にあと一歩手前と言う微妙な年齢になってしまったのだ。



 *



 と、話は大きくそれてしまった。


「和泉さん?」

「あ、うん?」

「どうしましたあ?」

「あ、その大変だったなあと」

「ですよね。上野さんが出てくれて助かりましたね」


 やっぱり、私のせいになるところだったんじゃないの。


「危なかったわ」

「本当ですよね」


 そう受け答えしながら、香川さんは一度すべてのメークを落とす。え? 誰? とか、なりながら、下地を整えてメークが施されていく。神業だね。眠たそうな目はぱっちりと、薄かった唇は色っぽくぽってりと、鼻筋まで出現する。ある意味アートだね。


「和泉さん、化粧してます?」とは、始めて彼女とここにいた時の彼女の言葉。さっと化粧を直して出ていこ行こうとしたら、そう声をかけられた。初めはバカにされた気分だった。確かに、メイクが薄いのは自覚している。これ以上濃くメークする方法がわからないわけじゃないんだけれど、急に派手なメイクなんてできない。なんだか恥ずかしい。

 そこで彼女のお手並みを拝見。あっという間に真っ白なキャンバスに、香川さんが浮かび上がっていた。

 で、できない。そんなこと。というわけで拝見したが、そこまではとても真似はできそうになかった。


「じゃあ、行こうかあ」

「はーい」


 綺麗に作り変えられた顔は、十分に役立っているみたいだ。香川さんは彼氏がいる。


「もう二十九になったら見合いするからな!」と、父から今年の正月に言われてしまった。でも、もうここまで来ると、もうそれでもいいんじゃない? という気分にさせられる。来年の正月には、見合い写真が私を待ってるはずだろう。せめていい人に当たりますように。


 *


 自分のデスクに戻ると、部長が珍しくこちらに向かって来ている。あれ? 例のコイコイという手招きはないんだ。なんかしたっけ……私? ま、まさか電話の件? 私、関係ないんですけど!


「和泉君、ちょっと話があるんだよ。あ、それと吉野君も」


 吉野君とは例のデザインをする新人君だ。ええ! これってなんの罰?


 部長に連れていかれたのは、四人入ったらいっぱいになる小会議室。な、なんの話?


「和泉君、ちょっとお願いがあるんだけどね」

「はい?」

「吉野君はほら、あれだ、なんというか担当はデザインじゃないか」

「はあ」


 どっから何の話になるの?


「それなのに事務職まで、手伝ってくれようとしたんだがね」


 やっぱり電話の件じゃない!


「僕は別に」

「いや、いいんだよ。あれはこちらのミスなんだから。ねえ。和泉君」


 え? 私その場にいなかったんだけど。その私に同意を求めます?


「和泉君?」

「は、はい。そうですね」


 私がその場にいなかったのは全く覚えてないの? ならなぜ、私を呼ぶのよ! 部長!


「で、だ。まあ、吉野君もいろいろ社会人として、知っておいた方がいいこともあるだろうし」


 なんの話になって行くんだろう? 吉野君も部長を見つめてる。


「今後は、吉野君! 和泉君に、いろいろと教えてもらうように。席も近いんで、ちょうどいいようだしね」

「は、はい」


 嘘! それはないよ。ないよお! どうして? どうやって教えるのよ? 仕事が違うのに何を教えればいいのよお! 私の心の叫び声と共に部長は姿を消した。相変わらずの身のこなし。


「和泉さんよろしく」


 ニッコリと少女漫画に出てきそうな笑顔付きで、言ってくれる吉野君。いやいや、よろしくって言われてもお!


「あ、うん。よろしく」


 よろしくって言い返すしかない。これって罰だ。あんなすごいデザインできる人に、雑用しかできない私が何を教えればいいわけ? それを教えてよ!

 大人の社会は、愛想良く答えるってことしか彼に教えられないよー!


「ねえ、じゃあ僕の担当なった記念に、一緒に飲みに行きません?」

「え?」


 いや、急だよね。担当って。それに……この話って二人だけの話だよね?


「嫌ならいいんですけど……」

「あ、ううん。違っ! 違うの」

「じゃあ今日の帰りに」


 ニコッと爽やかな笑顔で返された。えー? 二人だけ? だよね? 今は仕事モードだけど……二人だけになんてなって話せるのかな?


 その後は、何も教育係としてすべき仕事も見つけられないまま、終業時間をむかえた。そうだよね、彼に何を教えるって言うの今さら。入ってきたばかりならいざ知らず、ホント今さらだよ。

 多分、部長は次に彼が何かやらかしたら、私のせいにするつもりなんだろう。もう二十九のくせに、いつまでも居座りやがってって、ことかもしれない。……それが私の被害妄想だといいんだけど。

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