男爵令嬢レイクーリアがんばる

山吹弓美

一 龍と私とおかしな空気

1話 あら、そうでしたっけ

「レイクーリア。お前には、来週からグランデリア公爵家に行ってもらうことになった」

「え」


 のんびりとした、夕食の後のお茶。その香りを楽しんでいたところに聞こえた唐突なお父様のお話に、私はぽかんとした。お父様から見ればきっと、私のすみれ色の目がまんまるに見えていることだろう。


「え、じゃないだろう。公爵家のアルセイム殿は、お前の婚約者じゃないか」

「え、あ、はい、えっ?」


 一緒にお茶を飲んでいたウォルターお兄様に言われてとっさに頷いて、それからあれ、と思った。

 この私、エンドリュース男爵家の長女たるレイクーリア・エンドリュースは、幼い頃に家同士の約束としてグランデリア公爵家の嫡子アルセイム様の正室となることが決まっていた。公爵家と男爵家、という家格の差については事情があるのだけれど、それはともかく。

 そのお話は、2年前までのお話だったはず。


「と言いますか、お父様、お兄様。アルセイム様との婚約は、まだ効力あったんですの?」

「別に、婚約は破棄されたわけではないよ。グランデリア家の状況を鑑みて、あくまでも一時的に様子を見るということだったんだが」

「もしかしてレイクーリア……2年前の一時凍結、そんなにショックだったのかな?」

「………………はい」


 お父様に困ったような顔で説明されて、お兄様に苦笑されつつそう言われて。

 私は何だそうだったのか、とはしたない言葉を胸の内で呟きながらほっとする。よかった、私はまだアルセイム様の隣に立つことができるんだ。

 数度お会いしたことのあるアルセイム様は、サラサラの明るい金髪に涼やかな青い目のとても見目麗しいお方だった。さらに頭脳明晰、そしてとてもお心のお優しい方で、こんな私にもとても親切にしてくださった事を覚えている。私の栗色ふわふわの髪と、すみれ色の瞳を気に入っているとおっしゃってくださったことも。

 そのアルセイム様の奥方になることを約束されていただけで、私は頑張れた。少なくとも、アルセイム様の横に立って恥ずかしくない女にならなくてはいけないものね。

 あの努力は、無駄ではなかったのだと安堵する。でも。


「それでも、いきなり結婚というのはやはり問題では? 2年の間、あちらからはほとんど連絡もなかったのでしょう」

「ああ。だからひとまず、行儀見習ということでしばらくの間預かってもらうことになった」


 気になったことをお父様にお尋ねしてみれば、なるほどというお答えが帰ってくる。

 私は男爵家の娘だけれど、公爵家に輿入れすることになれば周囲からの目は今以上に、礼儀作法に厳しくなるだろう。この家ではお父様がちょっと緩めなので、それも心配だ。


「私をですか」

「お前をだ」

「僕が行っても、しょうがないしねえ」


 すっかり銀色になった髪をなでつけながらお父様は頷いて、私よりも濃い栗色の髪を短くまとめたお兄様が苦笑する。お兄様、こうやって見ると私よりもずっと亡くなられたお母様にそっくりだ、と思う。

 我がエンドリュース男爵家は、女の方が勇ましいという伝統がある。

 お母様もかつて、領内に入ってきた盗賊団をまとめてぶっ飛ばしたことがあったという。いや、その時はまだお母様は、エンドリュースの人間ではなかったけれど。で、そのお母様の勇姿を見て、盗賊団討伐に出てきていたお父様が一目惚れしたという経緯がある。

 そうして私も、例外ではない。


「アルセイム殿のことは、嫌いではないのだろう?」

「それはそうですが、もう2年お会いしておりませんし……」


 嫌いではないし、正直に言えば今でも大好き。今すぐ嫁げと言われれば、即座に荷物をまとめよう。

 でもそれは、こちらの話。そもそも、アルセイム様が私のことをどう思ってくださってるかなんて私には分からない。連絡のない2年の間に、新しいご縁があったとしてもそれは仕方のないことだと思う。

 ただ、少なくともグランデリア公爵家で行儀見習をさせていただけるのであれば、期待は持ちたい。


「ああ。龍神様のメイスはもちろん持っていって構わんよ。あれは、お前の大事なお守りだからね」

「ありがとうございます、お父様」


 お父様のお言葉ににっこり笑って頭を下げて、それからふと気づく。

 龍神様のメイス。それは、エンドリュース領を守る龍神たる龍女王様から私が直接にお力をいただいた、特別なメイスだ。

 それを持っていっていい、大事なお守りだからとお父様がおっしゃった、その意味。


 つまり、グランデリア公爵家に何やらおかしな話があるということだ。そして、龍神様のメイスを私が使ってもいい、ということよね。お父様。


「あのメイスの力を発揮できるのはレイクーリア、おまえだけだ。グランデリアでもその力、必要ならば遠慮なく振るいなさい」

「はい。龍女王様の信頼にかけて」


 本当に、そういうことらしい。

 もしかして、この2年の間にグランデリア公爵家で何かがあったのだ、とお父様は見ていらっしゃるのだろうか。

 ならば、エンドリュースの名に賭けて振るってみせよう。アルセイム様の、ために。

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