書架塔の魔女の事件譚

小木 寸

書架塔の魔女

「私は魔術そのものに興味があるわけじゃない。魔術の歴史に興味があるのだ」

 書架塔の主である、マルゴット・マリーは俺に言った。安楽椅子に体育座りをして、読み掛けてある大仰な本を抱えて前後に揺れている。

 そうは言いながらも、呪い本を片手に実践はするので説得力は無い。さらに言えば、彼女は魔術を完全に否定している人間でもない。


「いいかい、リカルド君? 今日では魔術は迷信的なものと捉えられてきたわけだけれど、人類の歴史を紐解く最中、文明の栄えには必ず魔術が関係してきたんだ」

 えへんと得意げに話を始める彼女の言葉に耳を貸しながら、俺は俺で思考にふける。


 俺の名前はリカルド・クラレッド。歳は20だが、未だ大学に在籍している。文学を専攻しているが、最近は講義に出ずにずっと大学図書館に引き篭っていた。

 俺も、彼女と同じように、自分の好きなことに没頭したかったのだ。


「古代人たちは邪悪な超自然的存在に対抗するために、祈りを捧げ、呪文を唱え、生贄を焼いた。こうした魔術的儀式のおかげで人々の心に安寧が訪れ、素晴らしい文明を築き上げたと言える」


 安楽椅子を揺らして雄弁に講義している少女は――二度目になるが――マルゴット・マリーという。この街に高く聳える石造りの塔の所有者である。彼女は地上の人々からこう呼ばれた。

 書架塔の魔女と――。


「ギリシア人だってそうだ。自然科学の礎であり、同時に妨げでもあった彼らの自然学は科学と魔術の融合と呼べるのではないかと私は考えている。雄大な論理に対して、彼らは実験検証を怠った。それは彼らが超越者を信じ、魔術の存在を信じていたからだ。それに対して、科学的実証は不要だと考えていたんだ。プラトンには精霊の友人が居たとも言われているが、それについては十八世紀のネアズの論文を――」


 それにしても話しの長い魔女である。

 彼女が魔女と呼ばれているのは、何も今語られているように、魔術やその歴史に対する造詣が深いからではない。そして魔法や錬金術などの不思議な力を行使できるわけでもない。

 ただ、そう見られてしまうような怪しいことをしているというだけだ。


「旧約聖書にだって魔術の存在は記されてある。しかしそれは奇蹟の対となっていて、魔術は奇蹟よりも劣るように書かれてあるのだ。それは魔術が悪魔から授かるものであると考えられる。例えば奇蹟は羊を生み出し、それを消すことが出来るが、魔術だと生み出すことしか――」


 その怪しい行動というのが、夜、塔の天辺から黒煙を上げていたり、階下に悪臭を放出していたり、傍から見れば黒魔術の儀式でも行っているんじゃないかと疑ってしまうようなことをしてみせているのだ。

 そして何より、一番問題なのは――。


「聞いているのかい、君?」

 そこでマリーが俺に声を掛けてきた。話が終わったのだろうかと顔を上げると、彼女は不服そうに唇を尖らせていた。

 とりあえず俺は適当に頷いて見せる。けれどもそれで機嫌が良くなるはずも無い。


「君は私の言葉に耳を傾けなければならないのだよ。分かっているのかい?」

 傍若無人なそのもの言いに俺は顔を顰めた。

「それはなぜだ?」

 すると少しの間も置かずに彼女は言った。

「だって、君は私の弟子なのだからね」とニヤリとしてみせて。

 それを見て、俺は「お断りだ」と言ってやる。


「うぅ……、なぜだ……」

 マリーは一気にしおらしくなる。だが、マリー。自分の身の振りを見て欲しい。そんなお前の弟子となって、呼ばれて、誰が喜ぶというんだ? なぜならお前は――。


「部屋は散らかしっぱなし。お風呂嫌いで清潔とは程遠く、部屋では人が居るのに対して服を着ない……、そんなお前の弟子になりたいやつなんて居るものか。弟子じゃなくて召使と思われるだろう」


 全裸の少女を見て、私は言った。彼女は書架塔で、全裸でいるところを何度も目撃されている。そして上の方で挙げたこともしている。人々の仕方の無い不理解から、彼女は魔女と呼ばれているのだ。

 部屋を片付け、風呂に入れ、服を着せる――侍女でも雇えば良いと呆れるが、マリーはあけらかんにこう言った。


「なら、召使でもいいぞ?」

「お断りだ」

 ブーと口を鳴らすマリー。それに口をへの字に曲げる俺。


「そんなことより、分かったのか?」

 俺はマリーに事件の話をしていた。友人であるシーヴィスの頼みだ。彼はこの少女によく、厄介な事件を持ち込んでいるのだった。

 彼女はこくりと頷いた。


「ああ、分かったとも。シーヴィスに伝えてやってくれ。ご令嬢の命を狙っているのは神父殿だ。彼は朝、昼、夕の気温差を利用して、信者たちに神託を見せたんだよ。その仕掛けと言うのが――」


 彼女の翡翠色の瞳がきらりと輝く。

 その澄んだ輝きに見蕩れてしまう。

 論理の中で、不可思議の着衣は取り払われる。最後に残ったのは丸裸の真実だけ。

 不可能ではなく、可能の証明。

 それに彼女は少し残念そうだ。

 マルゴット・マリーは魔術を否定する。しかしそれは、何時か本物を目にしたいという、少女らしい願いの、捻じ曲がった実現の仕方なのかもしれない。

 

 しかし、今までもそうだったように、これからも始まるわけだ。

 マルゴット・マリーの下には不可思議の性質を持った事件が舞い込んでくるのだから。その中にいつかきっと、本物が混じっているかもしれない。


 ただ今日の所は神父の人為的なトリックで片が付くようだ。

 俺はそれに胸を撫で下ろして、マルゴット・マリーの話の終わりまで、静かに耳を傾けた。





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