1-2.友情よ、永遠なれ

 会場の隅の方で、俺は舐めるように給仕から貰ったワインを飲んでいた。後から来るこの渋みが苦手だ。舐めるたびに俺は顔を歪ませた。

 人々は楽しそうに話し、踊り、そして笑った。色取り取りのスーツにドレス。女性たちは肩から手先に掛けて素肌を晒し、スカートの丈も膝下と短めのものを履いている。


 大人たちの蔓延る社交場だったら、彼らの格好は許されることはないだろう。大人たちは未だに古い慣習に倣って、顔色を窺うのだから。

 しかし今は若人の祝宴だ。主賓は白色の燕尾服を着て盛大に祝い、祝われている。ここは窮屈ではなかった。

 後は赤以外のワインも置いてくれれば完璧だと俺は一人で笑った。


「や、やぁ……。君、リカルドだろ?」

 突然の声掛けに俺は振り返った。か細く、消え入りそうな男の声。振り向けば背を曲げた痩躯の男が立っていた。顔には薄らと笑う表情が貼り付けられている。

 寄宿学校時代から変わらぬその姿に、俺は懐かしく感じてしまった。

「シルド。シルド・ダットネルか。お前も変わらないな」

 その言葉にシルドは少し顔を厳めたが直ぐに薄ら笑いを浮かべ直した。

 ダットネルという姓が語るように、シルドはバリアの弟だった。目の前の痩躯の男は兄と違って背は低く、お世辞にも逞しいとは言えない肉付きをしている。けれども心根は優しい青年だった。時々、暗くなるのが玉に瑕だが。

「君は、お、大きくなったね。ますます、逞しくなった」

「それはどうも。お兄さんのところに行かなくて良いのか?」

 その言葉を聞いた瞬間、シルドの眉が上がった。彼は目を見開いて、じっと俺を見た。

「どうして?」とか細い声でシルドは言う。

「いや、何時もお兄さんの後ろに付いてやっていたじゃないか」

 するとシルドはブンブンと首を横に振って言った。

「い、今と昔は、違うよ。お、俺はもう、兄さんの後は追わない」

 その黒い瞳には、強い意志が見て取れた。


 俺も失礼なことを言ってしまった反省する。俺だって、いつまでも兄の後姿なんて追っていないのだ。

 少し気不味い空気を漂わせていると、シルドの横から手が伸びた。

「シルド、ほら、ワインのおかわりだ」

 一人の青年がそこに立っていた。彼はワイングラスをシルドの前へと持ってきた。

「あ、ありがとう。ジョン」シルドは青年に向かってお礼を言う。

 青年は俺の方を見た。そして言いにくそうにしながら、シルドに尋ねた。


「あ――、紹介してくれないか、シルド。そちらの方は?」

「り、リカルド・クラレッドだ。ぼ、僕の友人の一人さ」

 そう言われて俺は軽く会釈をする。

「どうも、リカルドです。あなたは……」

 俺の方も青年には見覚えが無かった。輝かしい金髪に凛々しい眉。こんな美青年、寄宿学校時代に見ていれば忘れることはないだろうに……。

 困惑の表情を浮かべていると、青年は苦笑いを浮かべた。


「知らないでしょう。今日ほど自分の名前を言った日はありませんよ」と自嘲する。

「私の名前はジョン・スタンリードゥーです。シルドとこうして友人関係を築いたのは、彼が寄宿学校を卒業してからでして……、記憶に無いのも仕方ありません」

 彼は微笑を俺に向けた。

「ああ、すみません……」俺は思わずそう言っていた。

「敬語の必要はありませんよ。私とあなたとで歳の差はそうありませんから。ほら、バリアを見て。彼は自由の鳥のように振舞っている。ここでは慣例は意味をなしません」

 そう言って笑いながら、俺に言うので、俺もまた、ジョンに言った。

「なら、君も敬語はよしてくれ。俺一人が気安く接するようでは、気が引ける」

「では、改めてよろしく。リカルド」

 俺たちは握手を交わした。


 次の瞬間には、ジョンは不躾な話題を俺にぶつけてきた。

「シルドから聞きましたよ。君は寄宿学校時代にバリアと一悶着あったそうじゃないか」

「じょ、ジョン……」俺たちの成り行きを見守っていたシルドが顔を青くさせる。

 俺はそれに平然と答えた。

「ああ、あった。それが、どうかしたのか?」

 ふふと小さくジョンは笑った。その目が少し怪しく光っているように俺は見えてしまったのだ。


「シルドの話を聞く限りでは、私は君が悪いとは一切思えなくてね。あんなことを言われれば、愛情を授かり、注ぐものとして激昂するのは当たり前だ」

 ジョンの言葉は心地よく耳に届いた。けれど俺はその言葉に易々と耳を貸したりはしない。

「俺の肩を持ってもらえるのは有り難いが、もう全て終わったことだ。それにジョンの言い方は大袈裟だ」


「そうは思えません。だってバリアはあなたに謝罪の言葉も無かったのでしょう? リカルド。君は優しい人間だ。けれど心の奥底ではこう思っているんじゃないか? なぜ、あいつは謝らないのか。なぜ、自分だけが謝らなければいけないのか。俺だけが悪いのかって」


 静かに耳に入る言葉は、ぐるぐると頭の中で渦を巻き、反芻される。酔いのせいだろうか、頭もぼぉ――としてくるが、口を閉じる理由にならない。俺は彼に言わなければならない。

「バリアはきちんと罰を受けた。これ以上、何も望むべきものは無い」

 金色の瞳と俺の目が合った。

「罰? 君が殴り倒したことが?」


「ジョン……!」とシルドが静かに、怒った。

 そのおかげで我に帰ることが出来たのか、ジョンは最初の好青年の振る舞いを再び始めた。彼は頭を下げる。

「失礼しました。言いたいことをそのまま言ってしまう人間なもので……」

「さぞ、生き難いだろう」

 その言葉に引っ掛かりを感じた俺は、棘で返した。

 けれどもジョン・スタンリードゥーという男は動じなかった。彼は羽の様にふわりと言葉を吐いた。

「案外、そうでもありませんよ? 有りの侭、生きていくだけですから」

 そう言ってジョンは別のグループの方へと歩いていった。

 そこでシルドが申し訳なさそうに、萎れている。

「あ、あ……、御免よ、リカルド。僕の友人がひ、非礼を……」

 俺はシルドに首を振る。シルドが弱弱しくなる理由がないからだ。その友達の非まで被る必要は無い。


「気にしなくていいさ。世の中には色んなタイプの人間がいる」

 そう言うとシルドは少しだけ表情を明るくさせた。

「そ、そうかい? じゃ、あ、僕も失礼するよ」

 そう言ってシルド・ダットネルはジョン・スタンリードゥーの下まで急ぎ足で向かって言った。

 俺はその光景を見ながら、ふと思う。その光景は寄宿学校時代、兄を追いかける後姿に似ていると。

 バリアがジョンに代わっただけ――そう思うことに、自分に嫌気が差してしまった。


 ●


 俺は頭を冷やそうとバルコニーに出た。山間から吹く風には仄かに緑の匂いが混じる。それは冬の風でもあったが、俺は心地よく感じた。

 上を見上げれば星空が浮かぶ。冷たい空気に澄んだ空。暫くの間、俺はそれを眺めていた。

「なんだ、先客が居たのか」

 聞き覚えのある男の声が聞こえてきた。

「よお! リカルドじゃないか」そう声を掛けてきたのは――。

「カート。髪型変えたのか?」俺は目元に掛かるくらいまで髪を伸ばしていた男に言った。

 中肉中背の優男で、髪型は昔、オールバックで固めていた。

「何、試しに伸ばしてるのさ。久しぶりだな」

 懐かしそうにカートは俺を眺めた。

 カート・ライトはどちらかというとシルドとよくつるんでいた男だ。気弱なシルドの面倒を見て、一緒に馬鹿をやっているのを何度見たことか――。

「シルドには挨拶したのか?」俺がそう言うと、カートは苦々しい顔をしながら溜息を吐いた。

「挨拶はしたけどよぉ。なんだあの男? ジョンって言っただろう。シルドの野郎、子分みたいにぺこぺこ着いて行きやがって」

 急に始まったカートの愚痴を、俺は適当に聞き流していく。

「今のシルドは腰抜けだ。昔はナヨナヨした奴だったが、今じゃ、じめじめした奴だ」

 そしてカートはバルコニーの塀に腰を掛けた。

「まあ、じめじめする気持ちも分かるがな……」

「カートに人の気持ちが分かるのか?」

 カート・ライトは恋愛魔であり、悉く玉砕してきた過去を持つ。それはカートも自虐気味に語る笑い話の種だった。

 しかしカートはその言葉に乗って来なかった。彼は至って真剣な表情を浮かべて俺に言う。


「あいつ、親父さんに不出来な弟って呼ばれてるらしいぜ。親父さんなりの叱咤激励なんだろうが……、あいつには逆効果だ」

「シルドがそう呼ばれているのか……?」俺はそれ思わず顔を顰めてしまった。

「お前も気持ちは分かるだろう? そんな言葉、叱咤でも激励でもない。侮蔑さ」

 そう言ってカートの表情に陰が落ちた。カートもまた、友人想いの男である。


「まあ、少しはな」俺はすれ違う級友たちの目線が嫌だった。好奇の野次馬。それに晒されているようで不快に感じたし、声を掛けられないことには悲しくなった。それはまあ、あの渾名のせいなのだろう。


「俺に話しかけるには、勇気が必要か?」

 俺がそう呟くと、カートは噴出した。

「少しばかりは必要なんじゃないか? お前、野熊みたいに身体でかいじゃないか」

 俺は露骨に顔を顰めた。

「そんな話をしていると思っているのか?」

「そりゃあ、悪かった。当事者同士じゃ決着してるんだろ?」

 カートの言葉に俺は頷く。決着していなければこんなところに送り出されてはいない。

「なら、気にすんな。今、お前に声を掛けてきた奴らを大切にしろ」

 なかなかいいことを言うと俺は感心した。そこであることに気付いて噴出す。

「つまり、お前を?」

 すると陽気な声とワイングラスを高々と挙げる。

「そのとーりー。カート・ライトをよろしく頼むぜ」

 そう言ってカートは一気に赤ワインを胃袋の中へと流し込んだ。ワインは水だと言わんばかりの飲みっぷりに俺はまた感心した。


 カートは塀から降りると、俺にシーヴィスのことを尋ねた。「シーヴィスは元気なのか?」

 俺自身、シーヴィスの状況はイマイチ分かっていなかった。ただ今日のパーティーも招待されていたが、遅番ということで来れないと言う話を電話口で聞いただけだった。それと少ない情報をカートに語る。

「ああ、元気にやっているんじゃないか? 頑固な警部殿に敷かれている様子だ」

「へぇ――。末子といえどもリップヴァン家の者を尻に敷くとは、中々豪胆な警部殿じゃないか」


 リップヴァン家は政界でも屈指の実力を持つ家だった。シーヴィスの父親は政府顧問の一人であり、時期、国務大臣と謳われるほどの人物だった。

 そんな一族の人間を軽んじているのだから、カートの言う通り、豪胆な人間かもしれない。けれどもシーヴィスはそう思っていないだろう。


「シーヴィスは溜まったもんじゃないってさ」

「そりゃあ、そうだろう。仕切り屋だからなぁ――。それが刑事か……、可笑しいな」

「すぐに手柄を立てて、出世するつもりらしいぞ」

 そう言うとカートは首をふる。「無理だろう。だってあいつ、本当に、無能者だからなぁ――」

 酷い言われようであるが、無能者とは本人の言だ。シーヴィスは自分の至らなさを自覚している。だから彼は、人を頼ることが得意だった。それ故に、顔が広い。

「酒も無くなっちまったし、中に戻るよ。お前はどうする?」

「俺はまだあるから、暫くここにいるよ」カートの問いにそう答えた。

 カートはニカっと白い歯を見せて笑う。

「そうか。じゃあ、またな」

 そう言ってカートはバルコニーの中へと戻って行った。

 残った俺は最初と変わらず、ただ一人で夜空を見上げていた。


 カルデア人は星の中に神様を見つけたのですよ――妹の話をふと思い出してしまった。

 天体の動きは規則正しく、それを観察し続けた彼らはその法則性を見出した。そしてそこに最高神を見出したと妹は語った。カルデア人は法則が雁字搦めの縛りじゃなくて、偶然という抑圧から解放してくれるものと捉えていたらしい。

 ノアは星占いが好きだったから、そう言う話だけは博識だった。何事にも法則があり、偶然が介在することは無い――この考え方は俺のお気に入りだ。決して、妹を溺愛しているからではない。

 人に話せば笑われるようなことを考えていると、バルコニーにまた人がやって来た。


 それは、白い燕尾服を着たバリア・ダットネルだった。

 彼は意を決したように俺に声を掛けた。

「ちょっと、外で話さないか?」

 その申し出に、俺は気後れしそうになった。けれども初めに見せていた自信家の姿とは打って変わって、彼は今、少しだけ小さく見えた。

 悪いことにはならないだろう――そう考えた俺はその申し出を了承した。

 会場から抜け出すとき、バリアは一人の給仕に声を掛けた。

「バトロ。少し出てくる。俺を探してる者がいたら、お手洗いに行っていると言ってくれ」

「かしこまりました」

 そう言って給仕は頭を下げて、ワイングラスを運んでいった。

「よし、行くか」そうバリアが言うと、俺は頷いて彼の後を追った。

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