第20話 幸運

 マルタレクスはなんとかして、再びグレナドーラ姫と会おうとしていた。父や母、セリアルーデ姫がいる場ではなく彼女とだけ。しかしそれが叶わない。


 グレナドーラ姫はマルタレクスの面会申し込みをことごとく断ってきた。正式な場には彼女もやってくるため、顔を合わせることはできる。しかしそれだけ。彼が話しかけても無視を決め込まれ、用事が済めば逃げるように立ち去られる。


 とうとう母王妃に言われた。


「マルス、お前、グレナドーラ姫に何をしたのです?」


 母は細い眉をひそめてとがめる目でマルタレクスを見ている。両親に彼が呼ばれ、茶の席が設けられていた。


「お前のことです。不用意に、人質の件を口に出したのではありませんか」

「いえ、そんなことは……」


 マルタレクスは口ごもるように答える。父王もその様子を見ていた。温かい湯気を立てる紅茶に、誰も手を出していない。


「なら、何をしたのですか」


 重ねて問われる。


「私は……ただ……」


 ただ? 自分が口走った言葉に自分で疑問を覚える。ただ、なのか? 求婚が「ただ」と称されるようなことなのか?


 母王妃はため息をついた。


「政略による結婚とは言え、お前とあの姫は夫婦となるのです。これから長い時をともに過ごすことになるのですよ」


 政略、結婚。マルタレクスは愕然がくぜんとした。自分は、恋をした――幼いころから恋心を抱き、今再び恋に落ちた――あの若葉の姫と、愛のない政略結婚をするのか?


 ガタンと音を立ててマルタレクスは立ち上がった。


「グレナドーラ姫に、お会いしてきます」


 それだけ言って急いで向かおうとする。だが母の声が飛んできた。


「やめておきなさい。おそらく会ってはもらえないでしょうし」


 思わず立ちすくんだ彼の横で、母王妃はようやく茶器を手に取った。


「固く閉ざされた心の扉を、ただ言葉を弄しただけでひらけると思ったら、大間違いですよ」


 母はゆっくりと茶をすすった。マルタレクスには立ち尽くすしか、できなかった。



 彼が自室に戻るのを待っていたように、唐突にリーアヴィンが訪ねてきた。


「マルス、お人払いを」


 リーアヴィンの声も振る舞いもやはり固い。それでもマルタレクスは、友が来てくれたことがひどくうれしかった。急いで侍従たちを追い出す。


「相談したいことがあるんだ、リーン」


 助けてほしいと、のどから出かかった。しかしその前にリーアヴィンが言った。


「アルティグレナ殿が、グレナドーラ姫だった、ですか」


 絶句した。友のことを凝視する。


「……なぜ、それを」


 リーアヴィンは深々とため息を吐いた。


「あなたとグレナドーラ姫の言動、それに姫の周囲の様子、あとは私がカルメナミドで見聞きしたことを足せば、推測はできます」

「グレナ姫の周囲って……」

「気づいていなかったのですか」


 友の眉が大きく上がる。


「カルメナミドでもここノルフィージャに来た当初でも、あの姫は周りの侍従や侍女たちから明らかに軽んじられていました。それが突然、下にも置かない扱いになったのですよ。ある日を境に、ね」


 うっとうしそうに長い髪をかき上げる仕草。


「それで調べてみたら、その日あなたがグレナドーラ姫に面会していた。夜遅くに姫の部屋まで一人で押しかけて、人払いまでさせて。あなたは比較的すぐに帰ったそうですけど、まあ、カルメナミド側としては疑いますよね。『マルタレクス王子の歓心は、グレナドーラ姫にあるのではないか』と」


 マルタレクスはただ黙っていた。


「しかもそれ以来あなたはやたらグレナドーラ姫にご執心ですし。ここであなたがアルティグレナ殿から急に心変わりしたと考えるよりは、何か事情、事件があったと考えるほうが、私にとって納得がいくので」


 私は子供のころからあなたを見ていますからね、とリーアヴィンは言った。自分を知ってくれているとマルタレクスは喜ぶべきなのだろう。だが友の声はあまりに冷たかった。


「その何かとしてもっとも説得力があったのが、『アルティグレナ殿がここにいるグレナドーラ姫で、カルメナミドで見たグレナドーラ姫は偽物だった』なんですよ」


 もっと証拠と説明を加える必要がありますかと問われ、マルタレクスは首を横に振った。やはりリーアヴィンは、マルタレクスの友だった。幼少の時に友となるべく王宮に連れてこられ、将来腹心の臣下となるべく周囲から定められている、青年だった。


 しかし目の前に立つリーアヴィンは、触れたとたんに指を切られる、てついた刀身のようだった。


「リーン……」


 マルタレクスはあえぐように声を出した。


「だから私は、グレナ姫に……求婚したんだ」


 それなのに。


 リーアヴィンはふんと鼻を鳴らした。


「あなたは思ってもみなかったに舞い上がった、というわけですね」

「幸運って……」

「ただの幸運じゃないですか」


 冷酷な紫の瞳がマルタレクスを見据えていた。


「あなたが何かをしたわけじゃない。行動を起こしたわけじゃない。単に降りかかってきた幸運ですよ。何も、変わらない」


 マルタレクスの足が、一歩後ろに退いた。体が勝手に逃げようとしていた。その彼を、続くリーアヴィンの言葉が強く殴りつけた。


「あなたに、あの姫に求婚する資格があるんですか」

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